17. 最善をつくしても悔いは残る

 馬術の試合では、仮りにそれが自分なりに最善をつくしたつもりの試合であったとしても、その試合に負ければ 必らず悔いが残るものです。
 さらにいえば自分なりに最善をつくしてその結果幸いにも試合に勝ったとしても、何らかの悔いが残るものです。 よくスポーツ選手の話を聞いていると、「最善をつくしたから負けても悔いは残りません」等と馬鹿なことをいう 選手がおりますが、最善とは一体どういう意味なのか、その人がやった最善とは神様でもこれ以上はできないという 絶対的な最善だったのでしょうか。
 私は決してそんな絶対の最善なんてあり得るはずがないと思います。
 もしその選手の言う最善が、その選手の絶対の最善であったとしたら、こんな惨めなことはありません。
 なぜならば、自分の限界はここまで、もうこれ以上はどのように練習方法をかえてもぜったいに駄目です、 彼にはかないませんということになり、もし自分に勝った相手が最善をつくしていなかったとしたらさらに惨め ではありませんか。
 それでも悔いは残らないのでしょうか。
 自分では最善をつくしたつもりでも、どこかにもっと良い方法があるのではなからうか。「悔しい!今度こそ 必らず」と思うからこそ次の飛躍があるのです。
 また仮りに競技で優勝したとしても馬術の場合は満点の80パーセントが今迄の最高得点です。それなら、 少しでも100パーセントに近づきたいとさらに努力すべきです。
まして試合に負けて悔しがりもせずに言い訳をする者は論外です。
たった一度の人生、負けてたまるか、挫折したり失敗したらせいいっぱい悔しがり、次の目標に向ってつき進む のが本当の悔いのない人生だと思います。