11. 新内(しんない)流し

 仲の良い友人と久しぶりに楽しい酒を飲んだ帰り途、まだ少々飲みたりなくて、すぐ近くに新橋の烏森があったのを思いだし、ほろ酔い 気嫌で、ふらりと入った細い路地、どこの店にしようかと、お稲荷様の前まで来ると、なんともいえない() えた三味線の爪弾(つまび) き。
 数年前に亡くなった父によく似た、いかにも江戸っ子の生き残りとおぼしき角刈りの背の高い着流しが、赤提燈の前で新内の一節。
 これはもうまぎれもない新派の舞台がそこにありました。
 古き良き時代の銀行マンだった父が、良く新橋の馴染(なじ) みのバアサン芸者を家につれてきて、母との二丁三味線で長唄からはじまって、 はては新内や都々逸(どどいつ) まで、三人で楽しそうにしていた姿が走馬燈のように私の頭を過りました。
 あまりの懐しさに、酒の酔いも手伝って、つい呼びとめ、一緒に近くの一杯飲み屋の「のれん」をくぐり、お通しで一杯やりながら、 今はなき花柳章太郎や水谷八重子の話を、父の顔をその人の顔とダブらせながら話すことができました。
 しかし、話がはずんで江戸の庶民演芸論にまで及んでは、営業妨害になると思いかえし、お銚子はそこそこにして盃を伏せ、父の好き だった新内の「若木仇名草(わかぎのあだなぐさ) 」(蘭蝶(らんちょう) )を目をつぶって聞かせてもらいました。
 こんな経験を、日本人として一度は妻や娘達にも味わわせてやりたいと、その人の名刺をもらい「近いうちにまたきます」と上機嫌で、 今聞いた蘭蝶や浦里時次郎を口ずさみながら家に帰りました。
 今や日本に一人しかいないこの新内流しのお師匠(っしょ) さんは富士松時三郎さんといわれ、いつまでも元気で良い喉を聞かせてもらいたいと 願わずにはいられません。
 浄瑠璃の一流派で、主に男女の情事を語るこの新内節は、常磐津や清元と同じように、人情の機微(きび) にふれた文章が多く、今の日本人が 失いかけている義理、人情の世界が多く語られています。
 古いといわれるかもしれませんが、やはり私は永遠の女性を追い求めた泉鏡花の『婦系図』や『歌行燈』の世界や、そこに登場する鏡花 の「女」がたまらなく好きです。
 師匠の新内に聞きほれながら、昔見た章太郎や八重子の舞台を思い出している私の周囲にはサラリーマンと思われる人達が何組も グループで酒をのんでおりました。ところが悲しいことにその人達のうち誰一人として、話をやめてこの新内に耳を傾けようとする人 はおりませんでした。
 せめて、お酒を飲んでいる時ぐらい、仕事を忘れて、どうしてうまい酒が飲めないのでしょう。
   「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」
 若山牧水の嘆がきこえるような気がします。
 時代が変り、社会の流れが早く、そんな悠長なことでは今の時代にとり残されてしまうというのでしようか、時代が変ったとはいえ、 たかだか百年程前の一般庶民の演芸や邦楽が、どうしてこんなにも美事に日本国民から忘れられてしまったのでしょう。
 今日では一般的に日本人の意味する音楽とは洋楽のことで、「貴方はどんな音楽が好きですか」という質間に対して「クラシック」 とか「ジャズ」と答える人はいてもまず「長唄」とか「浄瑠璃」という答えはかえってきません。
 今の若い日本人は邦楽は音楽ではないと思っているようで、小学校で自分の国の音楽を教えないのは世界広しといえども、おそらく 日本だけだと思います。
 なぜそんなことになったのでしょうか、その答は明治の初期、文部省が音楽取調掛を設けて、普通教育として全国に施行すべき音楽教育 の内容と、その方針を調査した結果、当時の掛長、伊沢修二がその内容を洋楽と定め、日本全国の小学校にオルガンを入れてしまった ため、我が国の大多数の人達が、旧来の邦楽よりも、欧米の音楽をもって新時代に適した進歩した文化的芸術として、これを愛好する風 を生じたのです。
 文明開化は、日本古来のものはすべて古いもの、駄目なものという思想を大衆にうえつけてしまいました。
 すなわちこれが「上等舶来」の思想であり、江戸や京阪で盛んであった浄瑠璃や義太夫以外にも日本各地に伝わる民謡までも、子ども 達はもちろん、大人達でさえ、歌わなくなってしまったのです。
 しかし考えてみると、この責任がすべて明治政府にあるとは言いきれないふしもあります。
 それは邦楽が、()(かん)(いき) の音楽であって、大勢の人に一度に教えることが不可能なばかりか、楽譜も無きに等しく、また指揮者 もいないという欠点があるからです。
 十丁の三味線が揃った場合でも、立三味線の「ハッ」という声が、わずかに指揮者の役目をはたしているにすぎません。
 その上、義太夫の時代物に至っては五時間以上、世話物でも二時間以上を要し、一歳半から稽古を初めて、四十歳でまあまあ、六十、 七十歳でやっと本物といわれる程むずかしく、小学校で教えるには、あまりにも問題が多すぎたのも事実です。
 だからといって日本人の心の故郷(ふるさと) ともいえる邦楽や民謡が無くなっても良いということは決してないと思います。
 義理、人情の世界が廃れて、総て金、金、金の世の中、機械にふりまわされ、計算づくで打算的な人間ばかりが多くなった現代、 欧米人には持ち合わせのない繊細な気くばりや、人生の機微にふれることのできるシットリとした古き日本人の良き面を、もう一度取り もどすためにも、邦楽関係者や文部省の努力によって、何時の日にか邦楽や民謡をもとにした新しい日本人の心の歌が、小学校の教室や テレビを通して流れてくる日を夢みて、今日も一人、口三味線で、下手な小唄をうたいつつ、日本酒の盃を静かにかたむけることとします。

 「我々が愛する日本の伝統と文化を、日本の真の姿にもどそう」
                        (三島由紀夫の最後の言葉)