白いカーテンをひるがえして、五月の爽やかな風の入る病室の窓から、目の前にそびえる東京都庁の新庁舎をぼんやりと眺めていたら、
一週間ほどかけて手なずけた鳩が一羽、窓辺に飛んできて「ククー」と咽
を鳴らした。「この鳩は今どんなことを考えているのだろうか」
と思ったら、またしても二日後に迫った心臓手術の恐ろしさがよみがえりました。
そしてあえて成功率の低い形成手術をすると決めた日から、「人は決して死から逃れられない」と日頃から頭の中で理解していた「死」
が、ついに実感となって私の頭の中につねに居すわるようになりました。
たった一人でしか行くことのできない死の恐怖。こんな強烈なものがはたして第三者に理解できるだろうか。いや決してわかるはずが
ない。人はよく相手の気持ちのわかる人間になれなどというけれど、死の恐怖だけは別のような気がします。
しかし釈尊は老・病・死の姿に出会ったことによって出家したといわれており、釈尊がもし老
いた人、病
める人、そして死んでいる人
をただたんに第三者としてとらえて、自分のこととしてみることができなかったとしたら、釈尊はおそらくすべてのものを投げ出して、
そのことを解決しようという決心はなされなかったはずで、釈尊が、「死の恐怖」すら自分のこととして受けとめたからこそこの世の中
に自分の人生と無縁なものは何一つない、すべては自分の人生のこととしてあるのだという悟りを開かれ、それが仏教の原点になったの
だと聞きました。
また「衆生病むゆえに我病む」といった維摩居士の言葉は、医術や看護に携わる人達の根本的な考え方だと思うのですが、手術の前日、
私と妻の前で私の心臓がいまやどのような悪い状態にあり、また、いかにこの手術がむずかしいかを、約二時間にわたって懇切丁寧に説明
したあとで、「絶対にとはいえませんが、大丈夫です手術は成功させますよ」と自信に満ちた声でいわれた執刀を担当される先生の言葉
より、その日の午後診察に来られた学校を出たばかりと思われるかわいい先生の「手術後の肋骨
のまわりの筋肉の痛みは相当きついです
よ」と、まるで自分が経験したかのように話した一言に、なぜか非常な救いをおぼえたのは、その先生が手術は成功するということを
大前提として話をされたからだと思います。幸いに手術は大成功で二週間もするとすっかり筋肉の痛みも薄らぎ、それから退院までの
一か月半、病院の一日は長く退屈で、本を読むあいま等についつい昔のことなど思い出しておりました。そしてそのなかでもっとも強烈
でしかも悲しい思い出はやはり癌で入院していた父のことでした。
ある日、入院している父を見舞った私に、父は恥ずかしそうに病院の食事の時についてきたビスケットを四、五枚紙に包んでくれました。
もう二十歳をすぎた私の娘にお土産だというのです。
ある事件にまきこまれて、会社の経営が一夜にして行き詰まり、精神的にも経済的にもひじょうに苦しかった一時期、申し訳ないこと
でしたが大部屋に入院していた父の、せめてもの孫に対するお土産だったのです。
紙包を受取った私は「二十歳にもなる孫へのお土産にビスケットなんて、まして病院のものは不潔だ」とばかり、父と別れてから、
帰りに病院のエレベーターのわきにあった屑入れに、多少の後ろめたさをおぼえつつ、その包を捨ててしまったのです。
いま思い出しても、本当に申し訳のないことをしたと心の中で深く謝ると同時に、やり場のない悲しい気持にさせられてしまいます。
また、入院中にはさまざまな人達の心からのはげましや、労
りもいただきましたが、そのなかでも感激したのは、一人の若い看護婦
さんの私に示してくれた好意でした。
若い医師のいったように手術後の脇腹の筋肉の痛みは大変なもので、長い病院の夜、その痛みを一人じっと堪えるのは非常な忍耐が
必要です。そんなある日、夜中の二時頃だったと思いますが、若い一人の看護婦さんが、そっと私の病室に入って来て、「西村さん、
大丈夫!ちょっと手がすいたから痛いところをさすってあげましょう」と言ってくれました。一日中神経を使う仕事をして、やっと
一段落し、やれやれとくつろぐことのできる貴重な時間を、私のためあなたにさいてくれようというのです。私は涙が出るほど嬉しく
「貴女
のその行為こそ本当の『布施』の心なのだよ、ありがたいけれど私は大丈夫だから帰って休みなさい」とひきとってもらいました。
父を見舞った私に、この看護婦さんの、やさしい心の百分の一でもあったらと、恥ずかしく思いました。
相手の身になって考えるということは、「やさしい心」を持つということです。しかしそれが「同情心」や「憐れみの心」となると、
少々ニュアンスが分かれます、すなわち、純粋な同情心や憐れみの心を持つことのできる人もいる反面、自分が優位に立たなければ
同情心や憐れみの念を持てない人も、またいるからです。
倉廩実
つれば礼節を知り、
衣食足りて栄辱
を知る (管子・牧民)
生活が豊かになって、初めて恥や外聞に気をくばるようになったり、相手を憐れみ、思いやることができるというのですが、それは
本当の布施ではありません。
また相手を間違えて施しをすれば、相手の自尊心を傷つけ、怒らせることにもなりかねません。また、なにか下心を持っての施しは
まったく無意味なものになってしまいます。
迷いの世界から彼岸に到達するための六波羅蜜は、自分本来の姿に目覚める知慧というか、本当の知慧である般若波羅蜜があって
初めて真の布施波羅蜜が行なえるのだと説いています。
般若心経でいう「真の知慧」がどのようなものか、今の私にはよくわかりませんが、しかし精神的な施しにしろ、はたまた物質的な
施しにしろ、よくよく考えてみると、私達がこの世で所持している富や財産は、私達の生命を仏様からお預りしていると同じように、
すべて仏様からのお預りもので、何一つ私達自身のものではなかったのです。
それらの物はがんらい皆のために使うようにと仏様から一時的にお預りしているにすぎないのです。
だからこそ、釈尊が「死」さえも自分のこととしてみることができ、その問題を解決しようと決心されたのでしょう。
成功率の低い心臓手術にあえて挑戦し、死とむかいあい、幸いにも第二の人生をいただいたいま、私は私なりに、真剣に相手の身に
なって考え、常にやさしい心を持つことのできる人間になりたいと思うようになりました。