12. 身を捨ててこそ

 オリンピックの大障碍飛越競技は、大会の最終日、閉会式が開催される前に、メインスタジアムで行なわれますが、 この競技は青い芝生の中に美しく飾られたいろいろな種類の障碍物を白の乗馬ズボンをはき、赤や黒の乗馬服を着た 騎手が、次々と飛越していくもので、馬術を知らない人にとっても非常に美しくまた見ごたえのあるものです。
 また馬術の盛んなヨーロッパでは馬術競技に優勝することが最高の名誉とされ、一夜にして国民的英雄となって、 その優勝者の名前は日本の王や長嶋選手のように小さな子どもたちにとって憧れの的となるばかりか一躍社交会の 花形にさえなるのです。(1932年、ロスアンゼルス大会で西竹一男爵が大障碍飛越競技に優勝。)
ちなみに国際的障碍競技のレベルは年々高度化し、現在の障碍飛越の世界記録は障碍の高さ2メートル44センチ、 また障碍の幅は8メートル40センチとなっており、いまかりに2メートルの障碍を馬が飛んだとすると、騎手の目 の高さは3メートル以上のところを通過することになり、上手に飛越すれば迫力満点、最高の醍醐味を味わうこと ができます。
 しかし、万一馬が飛越の踏み切りを誤って障碍の上に落ちたりすると、人馬ともに転倒して、悪くすると騎手が まず地面にたたきつけられてから、次に600キロ前後の馬が背中を下にして騎手の上に落ちてくることになり人命に もかかわりかねない大事故となります。
 私もこのような事故を何度か経験し、その結果、膝の皿を割ったり、背骨を痛めたりしておりますが、今から 約四十年前、中学校から大学まで一緒だった馬術部の友人もこの人馬転倒によって、(今の)天皇の眼前で即死した ことがありました。
 このように一歩間違えると、騎手の命にもかかわる危険な障碍飛越では、何よりもまず騎手の正確な判断力と 豊富な経験が必要となることはいうまでもありません。そして、とくに高い障碍に向った場合には、フランスの諺 にあるようにまず「乗り手の魂を障碍の向うにほうりだせ」ということになり、まず騎手が自分の魂を障碍の向う にほうり出す必要があります。
 馬が飛越体勢をとったら、まず自分の魂を障碍の向うにほうり出せ、馬の体は必らずその魂について障碍を越え、 騎手の身体もまた、馬の体について自然と無理なく飛越することができる、というのです。日本の、「身を捨てて こそ浮かぶ瀬もあれ」と同じことです。
 大きな障碍に向ったら、迷わず小細工を弄せず、馬を信じて、決断を下すことが大切だというのです。
 平素のたゆまざる鍛練は馬に対するぜったいの信頼感を生み、馬もまた騎手を信じて必らず その信頼に応えてくれます。
 このような状態での飛越には人馬ともに無理がなく、その飛越の弾道は何ともいえなく気持の良いものです。
 自信のない騎手は、試合の前の準備運動で、何回も高い障碍を飛んで、何とか自分に自信をつけようとしますが、 これはいたずらに馬を疲れさせ興奮させるだけで、決して良い結果は生まれません。
 試合の前の準備運動では、ただ馬の体の緊張をほぐし、馬に今から障碍を飛ぶぞという気持だけをおこさせれば、 それで充分です。
 目の前に迫ってくる障碍物に対して、日頃の調教によって騎手が「飛べ」と合図すれば、例えそれがどのように 大きくとも、ぜったいに止まらないようにしておくべきであり、試合直前の準備運動ではもう手後れです。
 会社の経営にしても、上司と部下の相互の強い信頼関係によって、上司は部下を信じ「次はこの障碍を飛越しろ」 という指示を出したら、飛越の前に馬の上から拍車や鞭でつまらぬちょっかいは出さぬことです。
 下手なちょっかいは、せっかくの馬の飛ぼうという気勢を損なうだけです。
 障碍飛越競技と同じように、私もこの長い人生をふりかえってみた時、自分の魂をほうり出さねばならないような 決断に迫られたことが何度もありました。
 重度の心臓弁膜症にかかり、成功率94パーセントの人工弁にするより、成功率50パーセントの形成手術にあえて 挑戦した時も、ありがたい般若心経の教えより、大きな障碍を飛越する瞬問のように「身を捨ててこそ浮ぶ瀬もあり」 という一種のひらきなおりの方が有効だったように思いました。