10. う そ

      宣 誓(せんせい)
   良心(りょうしん)(したが) って真実(しんじつ)() べ、
   何事(なにごと)(かく) さず、
   (いつわ) りを() べないことを
   (ちか) います。
          氏名 西村修一

 この文章は証人尋問を受ける人が、まず最初に法廷で裁判官に向って、朗読する誓いの言葉 で、この印刷物を見たとたん、まず私が思ったのは、いったいこの誓いを誰に対してするというのだろうということでした。
 また、嘘というものは何も法廷の場と限らず、いつどこでも決して言ってはならないものと決っているのに、わざわざ裁判の前にそれを 改めて誓わせるというのも、いかに裁判で嘘が多く使われるかということの証拠であり、その上法廷では嘘をつきませんということを、 神様に向って誓うのでも、また自分自身の良心に対して誓うのでもなく、ただただ裁判官に対して誓うというだけのところに、日本人の 裁判に対する甘さというか、日本人の心の貧しさが現れているように思えて淋しい気持になりました。
 さらに、この宣誓に対して裁判官は、重ねて念をおすように「偽りを述べると偽証罪として罰せられますから、何事も偽りなく陳述する ように」と、偽証罪に問われるのが嫌なら真実を述べなさいと付け加えるのです。
 ここまで念をおされては、がんらい、天邪鬼(あまのじゃく) の私はひとつ、途轍(とてつ) もない嘘をついて、相手を煙にまいてやろうか、とも思いましたが、 今回は初めての経験でもあり、一応神妙に答えてやろうと思いなおしました。
 そしてこのへんのことを、後で私の顧問弁護士に聞いたところ、よくよくの証拠でもない限り、裁判で嘘を立証するのはむずかしく、 裁判官はただ、判決の際に、その証言を採用しないというだけで、法律上、偽証罪は三か月以上、十年以下の懲役となってはいても、 なかなか偽証罪は成立しにくく、従って良心の乏しい日本の政治家達は、そのへんのところをよく心得ていて、その場さえ言い逃れれば、 後は裁判所の公認候補として水にもぐったオットセイよろしく涼しい顔で人前に現れ、臆面もなく選挙演説をやり、国会にも出てくるのです。
 最近では政治家の顔がテレビのブラウン管に映し出されると、何かブラウン管が腐るような気さえする時があります。
 それはさておき、なぜ私が文頭に書いた宣誓をするはめになったかといいますと、今からちょうど四年前の1991年、私の家を新築する にあたって、ある大手の建設会社の営業課長が、新築家屋の注文がいただければお客様には一切ご迷惑はかけません、会社として責任を もって次のことを御約束いたしますと言っておきながら、その後の経済情勢の変化から、会社として損失が出ることに加えて、 一部重役の、相手がたかが一個人だという(あなど) りと、会社内部での点数かせぎも手伝って、まったく当初の営業課長の約束を無視し、 家屋引渡し後は、その態度を一変させたため、その誠意の無さというかあまりの自分勝手な行為が許せなくなって、その建設会社を 相手取って、金銭上の損害は度外視しても、相手に「申し訳ありませんでした」と一言謝罪させてやろうと大人気もなく告訴にふみきり、 生まれて初めて裁判所で証人尋問を受けることとなり、宣誓文を読まされるはめとなったのです。私としては証拠の書類もあり、 証人もいることだし、ありのままを述べればいいと、しごく楽な気分で何事も経験と割り切って証人台に立ちました。
 裁判の結果は、まだまだ先のことと思いますが、相手の弁護士は私の反論にあって汗をふきふき、気の毒にも質間事項を書いた紙を 持つ手がふるえているのがよくわかり、そうなると我が軍はますます余裕が出てきて、相手の質問の揚げ足をとったりして、非常に楽しい 時を持つことができました。
 法廷からの帰りに、顧問弁護士と昼食をとりながら、勝ち(いくさ) の裁判は考えようによってはスポーツするよりよっぼど面白い、等と 不謹慎な話を(さかな) に、昼間から大いに祝杯をあげてしまいました。
 考えてみれば裁判なんて、双方が最初から約束したことを忠実に実行し、また() りに実行できない場合でも「悪う御座いました」 と素直に謝れば喧嘩も起きず、裁判等で無駄な費用と時間をかけることもないのに、約束した事を実行しなかったり、白を黒と言い 逃れようとするから事がややこしくなるので、いっそのこと、法廷で尋問の際に、必らず嘘発見器を使用すると決めておけば、 世の中の裁判沙汰は九割方減ると思うが、といったところ、弁護士先生日く、今のところ、嘘発見器を法廷で尋問の際に使用してもいい という法律はなく、またそんな法律は、暴力団に暴力規正法をつくらせるようなもので、今の国会議員が議会で承認するはずもなく、 どだい大物政治家になればなるほど、嘘発見器等は通用しないと思うと言われ、それもまた一理あるなと変なところで納得してしまいました。
 また、政治家や営業マンがよく使うもので、私の嫌いな諺に、「嘘も方便」というのがありますが、嘘も方便のつもりで一度嘘を つくと、次に話のつじつまを合せるため、さらに嘘を重ねる結果、ついに嘘八百をならべることとなって、ほんの一時逃れのつもりの 嘘が、結局、思いもかけない破綻をきたすことにもなりかねません。そもそも「嘘も方便」という諺は、一般には物事を円満に運ぶ手段 として、場合によっては嘘をつかなければならないことがあるという意味に使われていますが、元来、方便という言葉は、目的を遂げる ために用いる便宜的手段のことで、「嘘も方便」を言葉通りに直訳すると、目的達成のためには嘘も辞さないということになって、 嘘の効用を黙認する不潔きわまりない諺だとつねづね思っておりました。
 私はやはり「嘘は泥棒の始まり」というのが正しい解釈だと思いますし、西洋には「オネスティ・イズ・ザ・ベスト・ポリシー」という 諺があるように、日本の政治家も、嘘も方便等使わずに、自分の良心に誓って絶対に嘘をつかないというくらいのプライドを持って、 政治を行ってもらいたいものだと思います。
 そして、せめて法務大臣は法廷の宣誓文を、

    「良心に従って真実を述べ、
     何事も隠さず、
     偽りを述べないことを
     私個人の名誉にかけて
     誓います」

 ぐらいに改めていただきたいものだと思いました。