9. 心・形を現す

 和歌山の田舎に、約四百年つづいている西山浄土宗の無量院養徳寺という古刹があります。
 このお寺はつい最近迄、永年の雪霜の重みに老朽がひどく、本堂はもちろん、庫裡(くり) の中に雨樋が二重に走っているような荒れ寺でした。
 しかし村人達の心の中にとけこんでいった住職の影響をうけて約八十軒の檀信徒は、いつしかお寺を自分達の安らぎの場と思うようになり、 今からちょうど六年前の総会で、無謀にも自分達だけで本堂再建の決議をしたのです。
 それからというもの、住職はもちろん、この村の信人深い人達は、自分達の生活をきりつめて建設資金をつくり、ついに本堂は もちろん、庫裡や山門迄立派に再建させ、入仏式の後、荘厳を整え、平成五年四月十八日、山門の開門式に加え、盛大に本堂の落成記念 慶讃法要を営むことになりました。
 私も、このような法要に出席させていただくのは一生に一度の法縁と思い、お招きいただいたことに感謝して、その法要に参列させて いただきました。そしてこのまたとない機会に、ひとも光背も(まばゆ) い阿弥陀如来のお慈悲をいただき、生きていることの本当の幸福とは 何かを、純粋な村人達に接しながら考えてみたいと思いました。
 また、式の前夜には、私も存じ上げているテレホン説教で有名な西山浄土宗極楽寺の住職橋本随暢師の法話があるというので、前日の昼 の新幹線に乗りました。
 車窓から目の前を流れ去っていく早春の田園風景を、ぼんやりと眺めているうちに、いつしか今から十年前、一度しか会ったことの なかった養徳寺の橋爪賢秀住職からの電話で、夫婦して和歌山に行った時のことを思い出しました。
 その時の用件とは、私を生んで僅か八か月で他界した母方の菩提寺であった養徳寺には、祖父母のお墓の外に母の先祖のお墓が八基 建っており、今はお参りする人もないまま、無縁仏になっていたため、今度お寺が新しく墓地を購入したのを機に、他の無縁仏や古く なって墓表も判別できなくなっている竿石(御戒名の刻んである墓碑)を一つ処に集めてお祭りをしたいという内容でした。
 私にとって、その時の墓参は祖母のお骨を納めた時以来、じつに二度目、二十五年ぶりのことでした。
 当時、私の会社は経営が極端に悪く、いつ倒産してもおかしくない状態だったため、家内と 二人だけの旅行はこれが最後になるような気がして、無理をして二人で和歌山に出かけて行きました。
 用件を済ませての帰り途、せっかくここまで来たのだからと、和歌山城に登りましたが、やはり会社のことばかりが頭の中で空まわり をして、天守閣からの素晴しい眺めも霧の中にかすんでおりました。
 また、それらの事情もあまりよく知らない家内の、白浜に一泊して行こうという提案を、会社の仕事にかこつけて断わり、疲れ切って 東京に帰ってきました。
 それから半年、幸いにも親会社の社長の肝煎りで新会社が発足し、債務も親会社に肩替りしていただき、大半の社員は新会社に私と 一緒に移ることができ、将来への希望を若干ではありますが持てるようになりました。
 そうなると、あわや倒産の苦しみを味わった結果の、心の変化からか、以前お墓を一つに集めた時、できれば御先祖様の供養の意味で 五輪塔を建立するようにとある人から勧められたことが思い出されて、まだまだ経済的には苦しい時期ではありましたが、養徳寺の住職 にお願いして五輪塔を建立させていただくことにしました。
 それから二か月後、めでたく五輪塔もでき、住職にお経もあげていただき、代金六十万円も支払って東京に帰った次の日、会社にきた 車のセールスマンから、ぜったいに値上りするという株の話を聞きました。
 これまで一度も株をやったことのない私が、どうした風の吹きまわしか、この時だけは大学の卒業名簿を調べて後輩の証券マンに電話 をかけ、今まで聞いたこともない、それも大阪の二部上場の会社の株を買いました。
 ところが驚いたことに、その次の日から、その株が異常な値上がりをみせはじめ、気味の悪くなった私はそれから三日後にまたまた 証券マンに電話をして、すぐに株を売るように指示したところ、なんと手数料を差引いて六十万円強の儲けがあったのです。
 いまさらながら、「死んでしまった人に対して私達は何の力もないが然し、死んだ人の真心が生きている我々に働きかける力は絶大な ものがあると思う」といった武者小路実篤の言葉が思い出されて身ぶるいが出たものでした。生後八か月で母を亡くし、その後私を育てて くれた養母の手前もあってか、母方の親戚との交際をまったくもたなかった私は、父を除きこの世で唯一の肉親であるじつの祖母に 対しても邪険なふるまいしかできず、いま思い出してもたいへんはくじように薄情(はくじょう) な孫でした。
 十二、二十二、二十四、二十八、三十一歳の五人の子どもに先立たれ、ただ一人の孫の私にもまったく他人扱いをされたまま、淋しく 世を去った祖母は、生前よく一人でこのお寺にお詣りに来たと聞きました。
 信心深かった祖母がこの立派に再建された本堂を見たらいったいどう思うだろうか。
 私は本堂内にお祭りしてある、まばゆいばかり金色に輝く宮殿(ぐうでん) の中の阿弥陀如来の前で、今 は亡き祖母の影を背中に負って祖母と一緒に一心にお念仏をとなえ、お経をあげさせていただきました。
 "心・形を現わし、形・心を現わす"といいます。
 数少ない檀信徒の、目に見えない心の世界が、形となって現われ、こんなにも立派なお堂を建立することのできた素晴しさに感激 しつつ、そして田舎にはまだまだ人間の心が残っていたのだと、何かすがすがしくほのぼのとした気持で、見えない祖母と一緒に一心に お経をあげさせていただいたことでした。