8. 六十の手習い

 5〜6年前から、心臓弁膜症の悪化による息切れがひどくなり、ついに会社勤めはもちろん、馬術選手として競技会に出場することも 断念し、それでも最初のうちは未練がましく毎日のように馬屋に通い、馬の肌恋しさに常歩(なみあし) だけで馬に乗ったり、馬の手入れ等をしていましたが、 思い通りに馬にも乗れずただ馬の体をさわっているだけなら、いっそのこと、かなり以前から造りたいと思っていたブロンズの馬像造り に挑戦してみようと決心したのが、偶然にも今から三年前の満六十の時でした。
 何はともあれ、彫塑とはいかなるものか知る必要があると思い、東京の台東区谷中にある有名な朝倉彫塑館(故朝倉文夫先生のアトリエ) に出かけていきました。
 そしてまず最初に一階大ホールに陳列されている朝倉先生の作品のボリュームとみごとさに度胆を抜かれ、これはもうとうてい私ごとき ズブの素人(しろうと) には立ち入ることのできない領域だと早々に白旗をかかげてしいました。
 それでも、せっかくの機会だからと順路に従って作品の一つ一つを見てまわるうちに、二階の階段横の棚に、彫塑の造り方が骨組みから 粘土づけ、粘土像から石膏取りと、数段階にわけて素人でも一目でわかるように陳列してあるのが目に入りました。
 ああ、こうやってブロンズが造られるのか、と初めて知ると同時に、これなら私だって半世紀以上も馬の体に触りつづけて、馬体の すみずみまで知りつくしているはずだから、せめて馬の粘土像だけでも造ってみよう、下手でもいいじゃないか、どうせ素人なんだから。 何も芸術作品を造ろうというのではなし、本物の馬に触っているつもりで、馬に語りかけ、馬を愛撫しながら粘土をこねていれば何とか なるだろう。それに、恥を後世に残すことになるかも知れないけれど、西村修一という馬きちがいがこの世にいたという動かぬ証しにも なり、またそれが幸いに壊されたり捨てられたりさえしなければ、私の死後、孫達のそのまた子ども達にも私の存在をアピールできるでは ないかと、変な欲が湧いて来ました。
 そこでさっそく、銀座の伊東屋に行って油粘土と(へら) を買いこみ、次に有名な本屋を片っぱしから歩きまわって、やっと彫刻の造り方の出 ている本をさがしあてました。
 また、近くの文房具屋で大きめの画用紙を買って来て、さて自分ながら一ぱしの芸術家になったような気分で、私が今までにもっとも 美しいと感じている自然な馬の、生き生きと走る姿を思い浮かべながら、デッサンし、それに合わせて骨組みをつくり粘土をつけてみました。
 だんだんと馬の形ができてくるにつれて、四、五〇センチの馬像が、ほんの芥粒(けしつぶ) ぐらいの粘土の着け方一つでがらりとその様相の変わる 面白さに、たちまちのうちに虜となって、はては夜中にひとり起き出して明け方迄粘土遊びをする始末。一年もすると石膏取りの先生や 美術鋳造(ブロンズ製作業者)の人達を介して、本職の偉い彫刻の先生方とも知り合いになり、今までとまったく違った世界の人達との おつき合いも楽しく、また老後の人生の生き甲斐が、ひとつ増えたと大いに満足している次第です。
 また人に近況等聞かれる時も、別に自慢するわけではありませんが、彫塑の話をすると、例外なく、お前にそんな才能があったとは 思えないと言いながら、それでも「すごいものだ、まさに六十の手習ですね」と感心してくれます。自分でもいささかいい気持になって おりましたけれど、よくよく考えてみると、この六十の手習いという諺は、おそらく「人生五十年、七十古来(まれ) なり」といわれた時代、 今からおそらく一世紀以上も前の諺で、その当時と比べると平均寿命も著しく延びており、七十の老人など(ほうき) で掃いて捨てるほどで、 八十等もごく普通、今や九十をすぎてやっと稀になるという時代だから、昔の「六十の手習い」は今では「八十の手習」と改めるべきで、 何も六十から新しいことに挑戦したからといって、別に驚くにはあたらない。さらに昔の夫婦は平均して四、五人の子どもを育てていた のだから、子育てを終えて死ぬ迄の年数というか、自分達の本当に自由に使える年数は、せいぜい十年程度だったのにくらべ、現在の夫婦 の平均出生数は約1.5人、子育てを終えて死ぬ迄の年数は、寿命の延長と合せると、ざっと計算しても自分達だけの自由に使える年数は 三十数年も延びた勘定になります。
 山本有三の詩ではありませんが、たった一度しかない人生、たった一人しかいない自分を、本当に生きるための時間は、現在では充分 すぎるほどできたわけで、その時間を、孫のお守りやテレビ等のために使うにはあまりにももったいないような気がします。
 「よく学び、よく遊ぶ」といいますが、これは読んで字のごとく、良く勉強してから次に気分を変えて良く遊ぼうということで、 私のような不器用な男にはそんな芸当のできるわけもなく、できることなら「遊ぶことが学びであり、学ぶことが遊びである」というよう なものが見つかればと都合の良いことを考えておりました。
 ところが、どうやらこの粘土遊びは、馬術と違って年齢に関係なく、幾つになっても遊びながら大いに学ぶこともできるように思えて、女房や子ども達には評判があまり良くありません が、自分ではひそかに良いものを見つけたと思っておりました。
 実際に四、五十年も延びた、自分だけが自由に使える年月を、それぞれの人に合った手習いを見つけて、より楽しく生きようと考えても 別に罰はあたらないと思います。  またその手習いにしても、選ぶものや、やり方次第では決してお金のかかるものばかりとは限らず、ひょっとするとお金が入るかも知れ ないという、一石二鳥の手習いだってあるに違いありません。
 とにかく、他人に気がねなどせずに、恥ずかしがらず、自由に好きな手習いを選べばいいと思います。
 私の選んだ彫塑にしても、朝倉文夫先生は、その著『彫塑余滴』の中で「芸術は自由でなければならぬ。近頃の多くの芸術家に 見る様に、何々主義とか、何々流とかいうものに拠って、或るいは自已の主張から出立して、製作に従事するのは、全く無意義なことで ある。芸術の本源は主張でもなければ議論でもない。芸術は徹頭徹尾、自由な個性の表現でなければならぬ」と書いております。
 人が何と言おうと、そんなことには耳をかさず、何も人のために造るのではないのですから、自分さえ楽しければ、それで良いでは ありませんか、その上その手習によって何かを学ぶことができるとすれば、こんなうまい話はなく、これこそ老後の真の「日日是好日」 が送れるというものです。
 安泰寺の前の住職、内山興正師も、「人間生きる原動力は、所詮いかに今、退屈せずに過ごそうかというだけのこと。人間的あらゆる営み、金儲け、権力闘争、さらに仕事も研究も、すべてみんな人間退屈しのぎの小道具にすぎない」といっております。ひとつ私達も退屈しのぎの「八十の手習」に挑戦してみようではありませんか。