4. 執 念

 スポーツで優勝するためには根性が必要だといわれるようになったのは、東京オリンピックの頃からだったと思います。
 しかし、どのような困難にも決して挫けることのない強靱な精神力のうえに、思いこんだら命がけになることのできる「おれはどんなことがあっても ぜったいに優勝するぞ」という執念もまた優勝するうえでの大切な要素です。
 本当の健康な体をとりもどすために、むずかしい心臓手術をしてもらおうと決心した時から、 「おれは、どんなことがあっても決して 弱音を吐いたり、見苦しい振舞はすまい」と心に強く誓うと同時に、せっかく一般の人には体験できないことをするのだから、幸いにも 手術が成功して再びこの世に戻れたとしたら、本当の第二の人生の出発ともいえる麻酔からさめる瞬間がどのようなものなのかを、なんと しても見届けたい、と思うようになり、その思いは日を追うにつれてだんだんと成長し、ついには「おれは、どんなことがあってもぜった いに死なないぞ、必ず生きかえって、その瞬間を見届けてみせる」と、まるで執念ともいえるようなものに変ってきました。
 そして、その執念は小泉八雲の小説『怪談』のある一編が頭に浮んだ瞬間、決定的なものになりました。
 何という題であったか忘れましたが、恨みをのんで首をはねられようとする武士が、無実の罪のために自分がいかに主人を恨んでい るか、そして死後必ずこの恨みをはらしてみせるという(あかし) を見せるために、切り落された首で目の前の庭石に噛みついてみせるとその 主人に約束し、実際に切り落とされた首が地面を転がって庭石に「がっき」と噛みついたという話です。
 この話はあくまで小説のうえでのことには違いありませんが、現実問題としても、死ぬ間際に、(麻酔のかかる瞬間)一つのことだけを 一心に念ずれば、きっと第二の人生の始まりともいえる麻酔の覚める瞬間が体験できるに違いないと思いました。「今から麻酔を かけます」という医師の言葉の直後、スーツと意識の薄れていくなかで、「おれはぜったいに麻酔から覚めて、意 識が再びもどる瞬間がどのようになるのか見きわめてみせる」と死にものぐるいで心に誓いました。
 それから約一日半、(これは後で看護婦に聞いたこと)何となく周囲のざわめきが耳に入ってきました。「ああ、おれは今気がつきつつ あるのかもしれない」、朦朧とした意識のなかでそう思った時、なんとなく灰色の影が動いて、そのむこうにトンネルの出口のような 薄明かりがぼんやりと見えたような気がしました。
 そして灰色の動く影は、多分看護婦さんか、先生であり、ぼんやりと見えた薄明かりはおそらく集中治療室の電気だったのでしょう。
 これが私の第二の人生の出発なのだ、私は助かったのだ、とその時私は思いました。
 そして次に私は「助かった以上、これからもぜったいに見苦しい振舞いだけはすまい」と決心しました。それから約一日、どうやら 意識が正常にもどってから、まず第一に集中治療室のベッドの上で、胸にいろいろな管やコードを入れられたまま、あきれ顔の看護婦 さんに頼んで電気カミソリをもってきてもらい、少々のびた髭を苦労して自分でそりました。これは一つには自分自身に気合を入れる 意味もあったのです。次にメモ用紙と鉛筆をもってきて下さいとお願いしたところ、親切な看護婦さんは「無理をしては駄目ですよ」 といいながらも、便箋に台紙迄つけて鉛筆と一緒に持って来てくれました。
 ベッドに寝たまま暗い中でメモを書くのに慣れている私は、身体の節々の痛さや、目のかす みを必死に堪えながら、夢中で意識のもどった時のことや、その時の気持を忘れないようにとメモを書きました。
 それから二日後、無事集中治療室を出る時、ベッドの下に皺くちゃになっていた数枚のメモ用紙を、そっと自分の病室に持ち帰り、 やっと判読出来たそのメモを読みかえしてみました。
 そのメモには次のように書いてありました。

    「周囲の雑音が耳に入る
     ぼんやりとした明かりが目にもどる
     かすんだ顔がのぞいている
     あゝ おれは助かったのか、よかった
     どんなに皆が喜ぶ事か
     皆の顔が早く見たい
     のどがかわく体がひどく痛い
     ぼんやりして来たのでStop」

 また別のメモ用紙には

    「この何週間かのなやみは総て解消、
     万歳……
     空の中から色が浮かんだ」

 この集中治療室には約十二、三人の患者がいました。小さな赤ん坊も三人いて、なかなか元気な声で泣いていました。同じ年頃の孫の ことが思い出されて、きっと丈夫になって長生きするようにと心より祈りました。
 私より二日も前に手術をしたという隣りのベッドの人は、私が集中治療室を出る時も意識がもどっておらず、面会の家族の人達が来て 看護婦に頬をたたかれても気がつきませんでした。
 「これは長期戦になるぞ」という医師の声が耳に入り、まだ若いその男の人はこのまま意識がもどらないのだろうか、あゝおれは生き返 って良かった、退院したらあれもできる、これもやりたい、有難い!
 この世を忍土だといった人がいるが、もったいないにも程がある、どんなに苦しくても生きているということのすばらしさ、どんなに 感謝しても感謝しきれるものではない。
 学生時代のように、まったく心臓の不安や息苦しさを感じなくなった今、以前には決して感じたことのなかった自然の美しさと、 調和の世界の妙を味わうことのできる幸せをじっくりとかみしめながら、このような得がたい経験をさせていただいたことに感謝し、 喉の下から臍の上まで一直線に切りさかれた傷の痛みは消えても、この傷あとが決して消えることのないように、今の感謝の気持ちを いつまでも持ち続けたいものだと思うのです。