1. 第二の人生(一)

 私にとって本当の第二の人生がおくれるようになるか否かの危険な手術をするまでの一か月間、風薫る静かな信州の高原で静養しながら、 この美しい大自然の姿も一か月後には見ることが出来なくなるかもしれないという思いのなかで、刻々と変りゆく山なみの美しさに感動を おぼえることのできる今の幸せをじっとかみしめつつ、この短かい一人旅の間に出会う人、また別れる人達と本当に充実した毎日をおくり たいと考えていたある日、NHKで『第二の人生』をとりあげた特別番組がありました。
 その内容は、要するに会社の定年を迎える十年ぐらい前から、俗にいう第二の人生のことを考えてその準備をするのが賢明なサラリーマン の生き方であり、そのために今勤めている会社で毎日の仕事をこなしながら十年も先の定年の準備をすべきだ、というのです。
 本当は明日の生命さえもわからないというのに、何と十年も先の自分達の生活のために勉強をし、交際を広めて第二の人生の準備をして、 停年後には新しく会社を創立するとか、または第一の人生のキャリアを生かして別会社に再就職するのが第二の人生のもっとも賢明な方法 だという結論でした。
 考えてみれば昔から、私達の将来の夢は、すべて食べるための職業と切り離すことができず、そのために人生の終局に近づいた第二の 人生までも食べるための第一の人生の(なきがら) をひきずって、その延長線上でしか人生設計を考えることができなくなってしまったのです。
このように、停年後もまた同じような職業について、以前と同じように働くことが果して第二の人生なのでしょうか。私達の時代では 子ども達の将来の夢は陸軍大臣か海軍大将でした。そして終戦後の子ども達の夢は野球やサツカーの有名選手になることであり、現在の子 ども達の夢は大会社の社長や大政治家になることではなく、少しでも良い大学を卒業して安定性のある一流企業に就職し、楽しい家庭を 築いて、できれば家の一軒も持ちたいというように変りました。
 このように、子どもの時代の夢は、親の影響もあってある程度仕方がありませんが、しかし少くとも私達が考える第二の人生の夢は もっと別のところにあっても良いように思います。
 すなわち、妻子を養い、食べるための人生は、例えその職場が幾度変っても、これはただ一つの人生であって決して第二の人生では ないように思います。本当の第二の人生とは、時間におわれ、他人と競い合い、食うために我武者羅(がむしゃら) に働くだけの人生ではなく、そうした 生活のむこうにあるもの、すなわち人間に生れ、たった一度しかないこの貴重な人生を、人間として、『これでよし』と悔いの残らない ようにおくるべく努力する人生だと思います。真の人生の勝利者となるために、どのように生きるべきかを考え、本当の人間らしい生き方 を送る方法をじっくりと考える人生、定年のない、時間にしばられない人生、物質にこだわらない心の金持になるための人生のおくり方を 真剣に考えて、心の豊かな人生をおくれるように毎日を過ごすのが、本当の第二の人生であり、われわれ大人の夢でもあるはずです。
 要するに生まれた時から始まっている人間らしく生きようという第二の人生に、いかに美しい花を咲かせるかが問題だと思うのです。
 現に私はこれまでに職業を四回も替えております。転職するのが第二の人生であるならば、現在私は第五の人生を辿(たど) っていることになってしまいます。
 しかし、一般に第二、第四の人生という表現方法がないために、幾度転職しても、すべて第二の人生ということで、ことに男性の場合の 人生は職業と切り離すことができなくなっているのです。
 冒頭にも書きましたが、私の場合は仏様から与えられた心臓病によって、ほんの僅かではありますが、死というものを実感し、 ありがたいことに手術によって再び新しい生命をいただき、文字通り第二の人生を歩き出すことができました。
 そして、この危険な手術をすると決心したおかげで般若心経にいう『けいげ(罫のが無い字+礙) なきが故に、恐怖(ぐふ) することなし』の真の意味が ほんの少しわかりかけたような気がしております。
人間が自分の力だけで生きていると思うと死が恐ろしくなりますが、死を実感として捉えることのできたいま、人間の力の弱さをいや というほど思い知らされ、まさに仏様によって生かされて生きている生命なのだと気がついてみると、息をしているかぎり一所懸命に 人間らしく生きてみたいと思うようになりました。
 また『色即是空・空即是色』にしても、この世の中にはなにひとつ永遠のものはないのだ(色即是空)、人間の生命だってその死亡率は 100パーセント、そして一度死んだら二度と生まれてこない者同士が、夫婦として親子としてまたは友人として同じ世代に生きている ことの不思議と素晴しさに感謝しつつ、だからこそお互いに助け合い仲良くしようではないかということ(空即是色)も若干わかりかけて きたように思います。
 仏様からお預りしている人生ならば、人間はそのお預りした人生をもっとも有意義に使わなければならない義務があります。
 私の手術にしても、仏様から『お前の生命はもう返してもらうよ』といわれれば決して『いや』とは言えなかったのです。
 いつお返えしするか、まったくわからない人生ならば、今の時間をもっとも有効に使う方法を考えるしかありません。
 昔の人が言ったように私達は、たった一度しかない貴重な人生を、

    超然として天に任せ
    悠然として是を楽しみ
    蕩然として人に接し
    厳然として白から粛み
    毅然として満を持し
    泰然として難に処す。

 といきたいものだと、つくづく思います。