1990年7月、馬術の世界選手権がスウェーデンのストックホルムで約二週間にわたって開催されました。
ちょうど、ドイツの世界的に有名な馬術家、ドクター・クリムケ氏のところで良い馬がいるから乗ってみて、
もしもよければ譲ってもいいという連絡が入り、良い機会と思い、少し足を伸ばして世界選手権を見に出かけました。
ストックホルムに着いた次の日、一人で地図を片手に北欧でもっとも美しいといわれる水の
都を見物しながら地下鉄を利用して、世界選手権に出場する選手達の準備運動をみようとホテルを出ました。
十七世紀建造の建物が並び、中世の雰囲気をそのまま残している細い路地を歩き、何となく過去への郷愁に浸り
ながら約半日、そろそろ地下鉄で競技場に行こうと思いましたが、地下鉄の駅がわからず、その上足も疲れたので、
ちょうど坂を登って来たジェームス・スチュアートによく似た八十歳ぐらいの背の高い老人に、地下鉄の駅と競技場
にはどうやって行くのかをたずねてみました。
その老人は心よく「私についていらっしやい」と言いながら、坂道を登り、また下りて約十分、地下鉄の入口迄
案内してくれました。
老人の親切に感謝して、別れようとすると、その老人は、かまわずに地下鉄の階段を下り、切符を買って私にも
同じように切符を買わせて地下鉄に乗り、三つばかり駅をすぎて、また別の地下鉄に乗り替えて競技場に一番近い
という駅に着きました。
語学の下手な私は、その間まったく無言、老人も私と一緒に電車を降り、駅の階段をあがって目の前にそびえる
煉瓦造りの大スタジアムを指差しながら、「貴方のスウェーデンの旅が良い旅でありますように」と言って、
大きな温かい手で握手をしてくれました。
そして驚いたことに、その老人はまた、今きた地下鉄の階段を下りていくではありませんか。
まったくの偶然から、その老人も私と同じ方向に用事があったのだろうとばかり思っていた
私は、今きた地下鉄の階段を足早やに下りていく老人の後ろ姿を見たとたん、急に目頭が熱くなって、
あたりの景色が霞んでしまいました。
彼は私のために、わざわざ自分も切符を買って地下鉄に乗り、競技場まで案内してくれたのです。
私はその人の後ろ姿を涙で霞む目で見送りながら、フッと遠い平安の昔、比叡山を開かれた伝教大師の「宝とは
道心なり、道心ある人を国の宝となす」と言った言葉を思い出しました。
道心ある人とはいうまでもなく、人間として正しい道を求め、正しい道にいそしむ人のことです。
それ以来、私は大のスウェーデン贔屓
になりました。
東京の近郊でゲートボールを楽しんでいる老人が、外国人に神宮球場に行く道を聞かれて、地下鉄に乗ってその
外国人を球場まで案内する人が、はたして一人でもいるでしょうか。おそらく英語で話しかけられただけで逃げ出す
か、または無視する人が大半だと思います。
私にはこの一事を「スウェーデンは福祉が良く、老後の人生が国によって保障されているから、自然と心も豊かな
のだろう」とかんたんに片づけるべき問題ではないように思いました。
いまや世界一の金持国になった日本が、いったいいつになったら、そしてどのような教育をすればこのような老人
を育てることができるのでしょう。
本当の政治、本当の教育とはこのような心の豊かな、精神的な金持の国民を育てることではないでしょうか。
人は美しく老いたいと誰しも思うものです。しかし現代の日本では老いることは苦しみの始まりです。
現代の日本の老人の生き甲斐は政治家のいうような年金制度の確立や福祉施設や医療制度の充実等によって見出せ
るものではありません。
欧米では老後の心のよりどころを60パーセントの人が「宗教」に求めているのにたいし、悲しいことに日本では
60パーセントの人が、老後の心のよりどころを「お金」に求めている現実をみてもわかるように、今後の日本では、
物質的福祉社会の充実を図るよりも、人間的精神的福祉社会の充実をめざすための政策や教育によって、精神的な
金持ちをつくる必要があるように思います。
1980年春、私の会社は思いもかけない親会社のトラブルにまきこまれ、一夜にして会社の経営すら危うくなり、
考え抜いたあげく採算のもっとも悪い九州営業所を閉鎖する腹をかためました。
さっそく九州に飛んだ私は、社員を集め、会社の事情をよく説明したうえで、転勤可能な人には、とりあえず
他の営業所に移っていただきき、どうしても九州を離れられないという社員については、少しでも條件の良い会社
に再就職していただくように、私は毎日九州のいろいろな取引先に、その事情を話して廻りました。
そんなある日、泊った宿の近くに椿花山成就院武蔵寺というお寺がありました。
朝早く起きて、九州営業所の人達の将来の事等考えながら境内を歩いていた時、池の中に立ててあった古い立て札
が目につきました。
そこには非常な達筆で
「生きているすべての人と
触れ合って心あたため
生きたいものを」
とありました。
その時、退社していただいた人達とはいまでも交流があり、皆元気に暮しているのが私のせめてもの慰めとなって
おります。
亀井勝一郎の生まれた函館にある彼の文学碑には、「人生は邂逅であり、開眼であり、瞑目である」と書かれて
いると聞きます。
人はめぐりあいによって、お互いに自分の持っていないものを得ることができます。
ジェームス.スチュアート老人によって、私も一つ開眼することができたと同時に、私にとってスウェーデンの旅
は本当に素晴しく、また思い出深いものとなったことはいうまでもありません。
「生きているということは
誰かに借りをつくること
生きているということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように
誰かにそうしてあげよう
生きているということは
誰かと手をつなぐこと
つないだ手のぬくもりを
忘れないでいること
めぐり逢い愛しあい
やがて別れの日
その時悔いのないように
今日を明日を生きよう
人は一人では生きてゆけない
誰でも一人では歩いてゆけない」
これは私の大好きな永六輔の詩です。旧い年が過ぎ新しい年を迎えるたびに私はこの詩を、これから一年間毎日
使う手帳の第一頁に、心をこめて書くことにしています。そして私が手帳をとり出すたびに、この詩はいやでも
私の目にとびこんでくるしかけになっていて、いってみればこの詩は私にとっての一日の栄養ドリンク剤でもあるのです。