あ と が き

    汝等知らずや、
    競走の場を走る人は
    悉く走ると難ども、
    賞を受くるべきは一人のみ、
    汝等受けべき様に走れ      (コリント前書九章二十四節)

 私の中学校から大学を通して馬術部の同級生で、また所属する乗馬クラブも一緒、よく同じ馬で競技会に出場していた親友が、1951年、 今の天皇が立太子になられたお祝いの記念馬術大会が皇居内の馬場で開催された折、その中障碍飛越競技で、昭和天皇、はじめ、 多くの皇族方の御覧になられる目の前で、馬と一緒に転倒し、即死した事件がありました。
 クリスチャンであった彼の葬儀の日、教会で一枚のカードをいただきました。
 文頭にかかげた文章がそれで、四十年たった今でも、そのカードは私の唯一のお守りとして、何回も何回もラミネートしなおして常に 私の財布の中に入っております。
 そのカードをいただいてから十年間近く、私はそのお守りを乗馬服の中に入れて、死んだ友 人の分も頑張ろうと競技会に出場し、賞を受けることに専念しました。
 「競技会に出場するからには、ぜったいに勝たねば駄目だ」。これが私の信条でした。
 しかし、私も両親を亡くし、いろいろと人生について考えさせられることの多くなったある日、フッと、あることに気がつきました。
 それは、多くの人が走る競走の場とは、人間誰もが走らなければならない永い永い人生という一人旅のことなのだということを。
 そして賞を受くべきように走れとは、いつ終るとも知れない人生の最後のゴールを切る時に、仏様から人間として人生の優等生であった という賞を受けられるように、毎日毎日努力しなければいけないということだったのです。
 十九世紀のフランスの名馬術家で、近代馬術の創始者に、フィリスという人がおります。彼は、一生の間に15万鞍(15万回)騎乗し、 新しい馬場馬術の種目を編み出し、数多くの名馬を世に送り出し、八十歳で大往生を遂げるその三日前迄、高等馬術の研究に熱中していた と言われます。
そのフィリスの有名な言葉に「En avant, en avant, et toujours en avant!」というのがあります。日本語に釈すと「前進・前進・常に 前進」で、これを馬術用語では「旺盛なる推進気勢」といいます。
 学問であれ、スポーツであれ、または芸術の世界にあっても、常に絶対というか、理想というか、そういうものを一所懸命に探求すると ころに意義があるので、おそらくフィリスの一生も、馬術の理想を探求するための「前進・前進・常に前進」であり、「苟日新、日日新、 又日新」の毎日であったのだと思います。
 私も、フィリスの15万鞍には及びもつきませんが、それでも死ぬまで馬に乗り続け、馬から何物かを学びとりたいと、賽の河原の 石積みよろしく、毎日毎日止むに止まれぬ気持で馬場がよいを続けております。

   "去年 今年 つらぬく棒の如きもの"

 私の好きな高浜虚子の句です。
 「前進・前進・常に前進」そして「去年 今年 つらぬく棒の如きもの」これが私の信条であり、これが私の「生涯学習」だと思って おります。
 しかし本音(ほんね) は「馬鹿は死ななきゃ、治らない」どころか、自分では「死んでも治りそうにない」し治りたくもないと思っているのです。