は じ め に

 昔から「天を行くは龍に() くは() く、地を行くは馬に如くは莫し。馬は甲兵の本、国の大用なり」 といわれる如く、馬ほど人間に直接役立ってきた動物はありません。
 () れるという字に馬がついているのをみてもわかるように、元来、馬は人間に馴れやすい生き物です。
 しかしそれでもなお、人が(また) がって馬に高い障碍を飛び越えさせたり、サラブレットの若駒を競走馬として レースに出場させるためには、わかりやすくいうと、馬にハンドルとブレーキとアクセルをつける必要があります。
 一般には動物に対するこのような行為を「調教」といって、つまるところ調教とは馬や犬を人間の都合の良い ように訓練することを意味します。
 私の場合、約半世紀もの長い間、つねに馬に接し、毎日のように馬に話しかけ、馬を何とか自分が乗りやすいよう に訓練することが生活の一部となっていたにもかかわらず、お恥かしいはなし、還暦を迎えようという年になって、 やっと馬を調教する上でもっとも留意しなければならない点は何かということがわかってきました。
 すなわち「調教」とは、結果的には馬を人間の都合の良いように訓練することに違いはないのですが、その訓練の 過程において、馬に対して一方的に命令し、服従させるのではなく、馬の気持を尊重しつつ、馬の都合に合せて、 いいかえると馬に上手に調教されながら、その馬の持っている優れたところを上手に引き出すようにすることだと 気がつきました。
 そしてこのことをつねに心掛けながら馬に接し、いろいろなケースに対応しているうちに、これはひょっとすると、 妻や子どもをはじめ、私達が人生という長い長い旅のなかで出会うさまざまな人達とのつき合い方にも、どこか 一脈相通ずるものがあるように思えて、いつか機会があれば、馬を通してみた私なりの処世術というか、 人生観のようなものを書いてみたいと思うようになりました。
 幸いなことに、今から四年程前、商売上のおつき合いのありました日本設備工業新聞杜の長岡氏と雑談の折、 新聞社が近々月刊誌を発刊することになり、建築設備関係の技術的な記事の外に、なにか肩のこらない文章を 入れたいので、競馬の話でも書いてくれないか、という依頼があり、それなら馬の話を、半年だけ書かせて頂こう ということで話がまとまりました。
 ところが、いざ自分の考えを文章にしようとペンを執ってみると、素人の悲しさ、いったい自分が何をいいたい のか、風呂敷を一杯にひろげて物をつめこんでみても、それを上手に結ぶことができず、えらいことを引受けて しまった、と後悔しても後の祭り、それ以来、つねに原稿の締切りに追われ、一か月という期間が、今迄の倍の早さ で過ぎてゆくようになりました。
 しかし、何とか約束の半年間だけは頑張ろうと努力しているうちに、だんだんと自分の考えを順序だてて表現する ことの面白さの(とりこ) になり、また自分の勉強のためにも非常に良いことだと気がつき、出来ることなら約束の半年以降 も書いてみたいと思うようになりました。
 早いもので、それから三年半がまたたく間にたちました。
 私の書きましたものも、四十数回を数え、新聞社の方より、この際一冊の本にまとめてみてはというお話も いただきましたので、恥のうわ塗りを覚悟の上、今度、皆様のご協力をえて、『馬耳東風』として出版する決心 をしました。
 従いまして、この本は、そのときどきに私の心に浮んだことをそのまま、前後のつながりもなく書きましたもので、 いまあらためて自分の文を読みなおしてみて、これはまぎれもなく、三年数か月の私の心の遍歴の記録であり、 とうてい人様にお読みいただけるような代物ではないことを重々承知の上、なにとぞ、この本の題名のように、 「馬耳東風」、馬きちがいの寝言と、お気軽にお読みいただけたらと思います。
 おわりに、刊行にあたって、お忙しいなか序文をいただきました、サントリー株式会社会長.佐治敬三様に 心より御礼申し上げる次第であります。

(1993.11)