岡山県の民家

高草家住宅 国指定重要文化財 (昭和44年6月20日指定)
岡山県小田郡矢掛町矢掛1981
建築年代/天保4年(1833)
用途区分/商家(脇本陣・大庄屋)
指定範囲/主屋・表屋・表門・蔵座敷・内倉・大倉・中倉・米倉・門倉
公開状況/公開
山陽道矢掛宿の西端に間口17間もの屋敷を構える商家建築である。「大高草」と称される旧家で、江戸初期より庄屋職を世襲し、18世紀末に脇本陣を、19世紀初頭には大庄屋をも務めている。街道に南面する建物は表屋で、これに並行して背後に主屋を配置し両者を直交する棟で繋ぐ。主屋内の西側上手に座敷を配するが数寄屋風意匠を主体とする点は脇本陣という位置付けに因るものと解される。表屋の東隣に不釣合な程に重厚な表門を構えるが、これは明治初年に矢掛陣屋から移築した故のこと。
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石井家住宅 国指定重要文化財 (昭和44年6月20日指定)
岡山県小田郡矢掛町矢掛3079
建築年代/江戸時代末期
用途区分/商家(本陣・酒造業)
指定範囲/主屋・座敷・御成門・裏門・内倉・西倉・米倉・酒倉・絞り場・麹室・中門・宅地
公開状況/公開
山陽道矢掛宿は本陣、脇本陣の建物が共に残る宿場町として知られている。当家は江戸初期より酒造業を営むと共に本陣をも務めた旧家で、町中ながらも1200坪もの敷地を有する大商家であった。町の東寄りに所在する屋敷は南北に長く、裏手は小田川畔にまで届いていたらしい。ちなみに川沿いに建つ二階建の裏門は津山藩主森候からの拝領と伝える。当住宅は日常的な生業に関わる建築群と非日常的な本陣建築群の双方が往時のまま残る稀有な例で、その意匠と共に本陣建築の最高峰と云っても過言ではない。
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大橋家住宅 国指定重要文化財 (昭和53年1月21日指定)
岡山県倉敷市阿知3-385
建築年代/寛政9年(1797)
用途区分/商家(金融業・大地主・庄屋)
指定範囲/主屋・表門・内蔵・米蔵・土地
公開状況/公開
現在、倉敷観光の中心は大原美術館東側一帯となっているが、中央大通を挟んで西側に在る当住宅の存在を忘れてはならない。当家は現在の倉敷駅周辺の土地の大半を所有するなど倉敷屈指の大地主で、江戸末期には庄屋を務めるなど町を代表する存在であった。出自は豊臣家の家臣であったというが、現在地に居を構えたのは宝永2年(1705)のことで新興商人層の「新禄」に属する。住宅は一般的な町家とは異なり、通りに面して長屋門を構え、主屋は背後に控える形式。当家の格の高さを示している。
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大原家住宅 国指定重要文化財 (昭和46年3月11日指定)
岡山県倉敷市中央1-2-1
建築年代/江戸時代(19世紀前半)
用途区分/商家(反物販売・庄屋)
指定範囲/主屋・内倉・座敷・倉・新倉・中倉・内中倉・北倉・壬子倉・西倉・塀・土地
公開状況/非公開
倉敷美観地区を代表する景観で倉敷川に架かる今橋の袂に所在する商家建築である。当家は江戸中期から周辺の干拓地で盛んとなった綿花栽培の取引によって財を成した「新禄」と呼ばれる新興商人の代表格であるが、むしろ明治以降の日本の繊維産業を主導した倉敷紡績の創業家と云った方が話が早いかもしれない。当家が現在の屋敷地を取得したのは寛政年間(18世紀末)のことで主屋や内倉はその頃の建物と云われているが、造作から少し時代が下った19世紀前半の建築が妥当との見方もある。
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井上家住宅 国指定重要文化財 (平成14年5月23日指定)
岡山県倉敷市本町1-40
建築年代/18世紀初期(正徳年間1711-16)
用途区分/年寄役・地主
指定範囲/主屋・三階蔵・井戸蔵・土塀
公開状況/公開(但し平成29年まで修理中のため非公開)
美観地区として著名な倉敷町の発展は江戸初期からのことで、高梁川下流域の干拓化が進むと最初に阿智神社が鎮座する鶴形山の南麓付近に水夫屋敷が形成され、次にその船運を利用した年貢米の集散地として栄えるようになる。当住宅は町を東西に貫く本町通り沿いに南面して建つ倉敷最古の町家建築で、当家は町の成立初期に水夫役を負担し、町政を主導した「古禄」と呼ばれる豪商13家のうちの1つで年寄役などの村役を務めるとともに、屋号を宮崎屋と称し酒造業を営んだという。
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林家住宅  国指定重要文化財 (昭和44年6月20日指定)
岡山県美作市中谷556
建築年代/天明6年(1786)
用途区分/農家(大庄屋)
指定範囲/主屋・長屋門・衣裳倉・米倉
公開状況/外観公開
因幡街道の宿場町・大原から兵庫県宍粟市に抜ける国道429号線で北東方向に8km程遡った山間部に所在する旧大庄屋屋敷である。緩やかな南下がりの斜面に築かれた棚田の奥に老樹が鬱蒼と茂り、木々の隙間から桁行14間半にも及ぶ長大な茅葺屋根が見え隠れする風情は、関ヶ原の乱で敗れて帰農、土着して以来、400年以上の歳月のみが紡ぎ出し得るものである。「あの木の躯には梟が住んでいるんだ」と座敷から庭を眺めながら教えて下さった亡き御当主の言葉を思い出す。素晴らしい民家である。
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森江家住宅 国指定重要文化財 (昭和44年6月20日指定)
岡山県苫田郡鏡野町富西谷118 (昭和51年移築)
旧所在地・岡山県苫田郡富村大字大70
建築年代/江戸時代(17世紀末)
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
県北の中核都市・津山の北西30km程の山間地に所在する農家建築である。現在は旧富村役場近くの公民館脇に移築保存されているが、そもそもは4km程西方の大集落に所在していたとのこと。当地域は山間地ながら田畑が多かったため階層分化も進まず、住宅は標準的な規模とされている。大屋根を深く葺き下ろすため軒が低く、壁面は前側にのみ開口部を設け他の三方は大壁で完全に塞ぐ建前は古式で、加えて四周に独立して建つ下屋柱の存在は特徴的で民家の原初形態を想わせる。
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犬養家住宅 国指定重要文化財 (昭和53年1月21日指定)
岡山県指定史跡 (昭和52年4月8日指定)
岡山県岡山市川入102

建築年代/江戸時代(18世紀前半)
用途区分/農家(庄屋・郡方米金奉行)
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/公開
岡山市西郊の田園地帯に所在する旧大庄屋邸宅である。一帯は古くから開けた地域で、国宝の社殿で有名な吉備津神社など古跡も多い。当家は戦前に首相を務めた犬養毅の生家としても著名であるが、民家としての価値も高い。建築年代が18世紀初頭まで遡る古民家であるにも関わらず、当初から瓦葺で建てられたと推測される点などは、農家でありながら非常に稀有な例として挙げられる。更に当家の祖先が桃太郎伝説のお供の犬に比定される人物であったという逸話も残されるなどいろいろと興味深い。
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大国家住宅 国指定重要文化財 (平成16年7月6日指定)
岡山県和気郡和気町尺所38
建築年代/宝暦10年(1760)
用途区分/酒造業・運送業・鉱山業・地主・大庄屋格
指定範囲/主屋・蔵座敷・中蔵・乾蔵・酉蔵・井戸場・宅地
公開状況/非公開
和気清麻呂公の生地として知られる県東部の和気町中心部に所在する商家建築である。当家は戦国武将の備中辛川城主・大森新四郎道明の末裔と伝え、江戸期には大森姓を名乗っていたが明治以後は大國姓に改姓している。18世紀中頃より酒造業や運送業を営み財を成し、尺所村の大庄屋格を務めた。住宅は豪快で、特に主屋は平行する二棟の間を別棟で繋ぎ「工の字」形の複雑な屋根形状を示し、俗に八棟造と称されるもの。地元では国宝の吉備津神社本殿と同様の比翼入母屋造としている。
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野ア家住宅 国指定重要文化財  (平成18年12月19日指定) 
岡山県指定史跡 (昭和52年4月8日指定)
岡山県倉敷市児島味野1-11-19

建築年代/天保4年(1833)
用途区分/製塩業・地主・大庄屋格
指定範囲/主屋・玄関棟・表書院・長屋門・御成門・内蔵・夜具蔵・大蔵・書類蔵・新蔵・岡蔵・味噌蔵
公開状況/公開
恐らく現存する江戸期の民家建築の中で最も大規模な住宅に違いない。当住宅は四国と連絡するJR瀬戸大橋線の岡山県側の最終駅である児島駅の西北に所在する大塩田主の邸宅で、現在は野崎家塩業歴史館として公開されている。屋敷内に林立する多くの建物群のうち、屋敷北半に居並ぶ土蔵群は明治期の建築であるが、それ以外の主屋や長屋門、表書院等の主要な建物は天保年間に整備されたものである。大庄屋格の豪商とはいえ、江戸期の封建制の中でこれ程の屋敷が許されたことに驚く。
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片山家住宅  国指定重要文化財 (平成18年12月19日指定)
高梁市指定文化財 (平成14年7月25日指定)
岡山県高梁市成羽町吹屋367

建築年代/江戸時代後期(18世紀末頃)
用途区分/町家(弁柄製造販売・庄屋・年寄)
指定範囲/主屋・宝蔵・米蔵・弁柄蔵・仕事場及び部屋(国指定)玄米蔵・弁柄箱・道具蔵(市指定)
公開状況/公開
県中西部の山間に所在する吹屋集落は銅の採掘で栄えた鉱山町であるとともに、陶磁器や漆器の顔料、建材や家具の塗料として用いられた弁柄の約98%を生産する町でもあった。町の西端に位置する当家は「胡屋」を称し、弁柄の窯元として宝暦年間から昭和46年まで200年以上に亘って製造を続けた老舗で、度々庄屋や年寄役を務めるなど吹屋を代表する存在でもあった。主屋の背後には弁柄蔵や仕事場、道具蔵など弁柄製造の現場が往時のままに残り興味深い。地元では本片山と称されている。
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箕作阮甫旧宅 国指定史跡 (昭和50年3月18日指定)
岡山県津山市西新町6
建築年代/江戸末期
用途区分/医家(藩医のち蘭学者)
指定範囲/旧宅(主屋・土蔵・井戸・勝手・便所・廊下・塀)
公開状況/公開
幕末の蘭学者、箕作阮甫の生家である。寛政11年生まれの阮甫は、ここで文化9年までの13年間を過ごし、藩医として津山藩松平家に取り立てられたのち、江戸で蘭学を学び、幕府天文方で蕃所和解御用を務め、洋学書・外交文書の翻訳を行った。最終的には幕府直参にまで累進し、明治維新以降の日本の近代化の礎を築いた偉人である。住宅は津山城下町の最も往時の風情を残す出雲往来に沿う西新町に所在し、短冊状に仕切られた町割の北側に南面して建つ。箕作家は代々町医者でであったという。
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福武家住宅 岡山県指定重要文化財 (平成16年3月12日指定)
矢掛町指定文化財 (平成4年4月1日指定)
岡山県小田郡矢掛町横谷1809
建築年代/江戸時代後期
用途区分/農家(大庄屋)
指定範囲/主屋・長屋門(県指定)・湯殿・厠・土蔵・水見櫓・土塀(町指定)
公開状況/非公開
旧山陽道の矢掛宿から小田川を挟んで南東方の谷筋に所在する旧庭瀬藩領の大庄屋屋敷である。本瓦葺の主屋を中心に東側を正面として重厚な長屋門を開き、西側には白壁の土蔵群が連なる豪壮な構えで、南側の土塀には銃眼まで施されている。主屋や長屋門はその格式の高さから江戸初期に土着して以来、代々庄屋を務めていた当家が幕末の天保7年(1836)に大庄屋職を拝命した際に整備されたと推測されているが、以前には正保、元禄年間(いずれも17世紀)の建築と推測されていたと記憶する。
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杉原家住宅 岡山県指定重要文化財 (昭和31年4月1日指定)
岡山県岡山市足守町山下752
建築年代/江戸時代
用途区分/武家(家老)
指定範囲/主屋・長屋門・蔵
公開状況/公開
岡山市中心部から北西15km程の郊外に位置する陣屋町・足守に所在する旧武家屋敷である。江戸時代を通じて足守藩主であった木下家は25000石の小藩ながら、豊臣秀吉の正妻「北政所」の出里として著名であるが、当家は藩主と縁戚関係にあり国家老職を務めた家柄である。屋敷正面に構える海鼠腰壁附きの白漆喰仕上げの長屋門を潜ると、奥に唐破風屋根の大玄関を備える茅葺屋根の主屋が出迎えてくれる。家老屋敷とはいえ全体的に簡素な印象であるが、やはり座敷廻りだけは相応の造作である。
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高戸家住宅 岡山県指定重要文化財 (平成10年3月24日指定)
岡山県浅口市鴨方町鴨方240
建築年代/貞享4年(1687)以前
用途区分/商家(庄屋・油商)
指定範囲/主屋
公開状況/公開(伝承館)
鴨方は寛文12年(1682)に岡山藩祖・池田光政の次男・政言が本藩から分知を受け岡山新田藩が成立した際、その所領の中心となった在町である。当住宅は鴨方往来沿いに展開する町場の中心に所在する商家建築で、主屋は貞享4年に修理を行った旨の棟札が発見されたことから県下最古の町家とされる。しかし余りに端正で定型化された外観や、室内における正形の間取りに整った用材等から古式を感じることは甚だ難しい。逆に江戸初期の町家建築に対する従来の概念を見直すべきなのだろうか。
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広兼家住宅 高梁市指定重要文化財 (平成10年3月24日指定)
岡山県高梁市成羽町中野2710
建築年代/文化7年(1810)
用途区分/鉱山主(銅山経営・緑礬製造・庄屋)
指定範囲/本宅・離れ座敷・長屋・土蔵・楼門
公開状況/公開
銅の採鉱と弁柄製造の一大拠点として知られる吹屋の町場から南に下った山中に、まるで城郭のように高く石垣を築いた巨大な民家の存在に驚かない人はいないはずである。昭和52年公開の映画「八ツ墓村」に登場する旧家として全国的に知られることになった当住宅であるが、江戸期の民家建築としては破格とも云える規模である。当家は大野呂の庄屋職を務め、19世紀初頭に小泉銅山と緑礬製造により巨大な富を築いた家柄ではあるが、この砦のような家構えが抜きん出た富を守る為だとすると少し哀しい。
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埴原家住宅 高梁市指定文化財 (平成15年7月25日指定)
岡山県高梁市石火矢町27
建築年代/江戸中期
用途区分/武家(120〜150石・番頭役・近習役)
指定範囲/主屋
公開状況/公開
標高420mの臥牛山頂に天守閣を戴く備中松山城の城下に所在する武家屋敷である。当家は江戸中期の延享元年(1744)に伊勢国亀山から当地に国替となった藩主・板倉家に仕えた上士の家柄で120〜150石の食禄に近習役や番頭役を務めたという。住宅は桟瓦葺平屋建で、入母屋屋根の破風を箕甲葺としたり、式台玄関の虹梁上に雲と梅鉢紋をあしらった蟇股を置くなど寺院建築的な手法が用いられ、石高に比して上質な造りとなっている。これは藩主・板倉勝政の生母の実家である故と推察されている。
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河原家住宅 岡山市指定文化財 (平成19年8月27日指定)
岡山県岡山市北区御津紙工2248
建築年代/天保10年(1839)
用途区分/農家(大庄屋)
指定範囲/主屋・離れ座敷・化粧蔵
公開状況/公開
岡山市中心部から北へ約20km程の山間部に所在する旧大庄屋邸宅である。旧御津町域を縦貫する宇甘川の河岸段丘上の高台に石垣を築き白壁の練塀を廻らす豪壮な屋敷は、近在の鍋谷城主を祖先に持ち、江戸期には津高郡の大庄屋職を務めた由緒に相応しいもの。まるで砦か廓のような風情である。入母屋造茅葺の主屋正面には前庇付切妻屋根の式台玄関を構え、座敷に至る導線には品の良さが漂う。また主屋西隣の明治期建築の座敷棟2階からの眺めは集落全体を臨み目を洗われるようである。
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渡辺家住宅 真庭市指定文化財 (昭和58年6月19日指定)
岡山県真庭市勝山651
建築年代/江戸時代
用途区分/武家(160石・御用人)
指定範囲/主屋等2棟
公開状況/公開
勝山藩三浦家23000石の城下町・勝山に所在する旧武家屋敷である。明和元年(1764)に三河国西尾から転封された三浦明次によって整備された城下町は太平の世を反映するかの如く藩主屋形と離れた高台に武家住区を設けた異例の町割で、その西寄りの一画に当住宅は在る。路地に西面して長屋門を構え、そのすぐ背後に主屋を構える。家老格の御用人を務めた160石取りの最上級武士の屋敷ながら極めて簡素な佇まいではあるが、座敷が連なる奥深い間取りからは格式の高さを窺うことができる。
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福島家住宅
(目木構)
真庭市指定文化財 (昭和38年5月1日指定) 【消失により解除】
岡山県真庭市目木1710
建築年代/江戸時代後期
用途区分/農家(大庄屋)
指定範囲/主屋
公開状況/公開
旧久世町の目木集落に所在する大庄屋屋敷である。一般に「目木構」の名称で知られ、地元の教育委員会が立てた解説板には「屋敷地の周囲には濠を廻らし、あたかも中世領主の居館に類似していることから目木構と呼ばれている」と記されている。確かに間口13間・奥行7間半に及ぶ大規模な主屋を筆頭に、長大な長屋門、広大な池泉庭園等は被支配層の分限を遥かに超えた域にあり、江戸期民家建築の最高峰と云っても過言ではない。これ程に品格と貫録の双方を兼ね備えた屋敷は数あるものではない。
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楠戸家住宅  倉敷市指定文化財 (平成14年2月20日指定)
登録有形文化財 (平成8年12月20日登録)
岡山県倉敷市東町1-20
建築年代/明治20年
用途区分/商家(呉服店)
指定範囲/主屋(市指定)・主屋奥座敷・米蔵・炭蔵・道具蔵・塀(登録)
公開状況/非公開
当住宅は何かと制約が多く指定が進まない重文制度を補完する形で成立した登録文化財制度による県内第一号の登録物件である。観光地として全国的な知名度を誇る倉敷の町並であるが、当住宅が所在する東町は多くの観光客で賑わう本町界隈から少し離れた位置にあり、訪れる人も少なく比較的古き良き風情が保たれている。当家は明治2年創業の呉服商であったが、現在は改築等が制約される市指定の主屋はそのままに、規制の緩い登録文化財の米蔵等を改築してカフェなども営んでおられる。
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仁科芳雄生家  里庄町指定文化財 (平成14年2月20日指定)
岡山県浅口郡里庄町浜中717
建築年代/江戸中期〜後期
用途区分/農業(代官・庄屋)
残存建物/主屋・表門
公開状況/公開(日曜日のみ)
大正〜昭和初期に活躍した物理学者で「原子核物理学の父」と称される仁科芳雄博士の生家である。博士は昭和10年に日本初のサイクロトン(核粒子加速装置)を完成させるなど国内における原子核・素粒子研究の基礎を築く一方、旧陸軍の依頼により原子爆弾の開発(未完成)に携わった人物としても知られる。住宅は国道2号線脇の微高地に所在しており、松並木の竪馬場の奥に薬医門を構え、四周に白壁の練塀を廻らす様子は摂津麻田藩の飛地支配代官を兼ねた大庄屋の格式に相応しい屋敷構である。
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苅田家住宅  国指定重要文化財 (平成28年7月25日指定)
津山市指定史跡 (平成23年8月23日指定)

岡山県津山市勝間田17
建築年代/宝暦2年(1752)
用途区分/商家(酒造業)
指定範囲/主屋・三階蔵・米蔵・前蔵・西蔵・大蔵・醤油蔵・新蔵・巽門及び浴室・裏門
公開状況/非公開
平成25年5月に国選定の重伝建地区となった津山市城東地区に所在する大商家建築である。出雲往来に沿って短冊状に2〜4間程の狭い間口の町家が南北に櫛比する中にあって、当住宅は間口15間を超える大店で、江戸初期元和年間の津山城下町建設の頃に近在の勝北町上月より移住してきたとのことであるから、城下で最も古い歴史を有する旧家でもあった。苅田屋の屋号で「諸白」銘柄の酒造を始めたのは宝暦年間のことで、現在の住宅もこれと前後して建てられたようである。
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辻本店 登録有形文化財 (平成25年11月15日登録)
岡山県真庭市勝山町 
建築年代/江戸後期
用途区分/商家(酒造業)
登録範囲/店舗兼主屋・事務所・衣装蔵・奥座敷・社舎・門及び塀・庭塀・西蔵・倉庫
公開状況/店舗として営業中



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戸田家住宅 登録有形文化財 (令和4年10月31日登録)
岡山県新見市上熊谷字乙原3563
建築年代/天明6年(1786)
用途区分/農家(庄屋)
登録範囲/主屋
公開状況/非公開



西江家住宅 登録有形文化財 (平成15年12月25日登録) 
岡山県高梁市成羽町坂本1604
建築年代/江戸時代後期
用途区分/鉱山主
登録範囲/主屋・隠居座敷・門・門座敷・穀蔵・道具蔵・書庫・味噌蔵・旧馬小屋及び男部屋
公開状況/公開
弁柄の町として著名な成羽町吹屋集落から西へ少しばかり下った山間に所在する大鉱山主の邸宅である。県道から急勾配の脇道を登った先に忽然と現れる屋敷は、その圧倒的な存在感で見る者の度肝を抜く。屋敷は正面に二階建の櫓門を構え、周りを石垣と蔵で囲む。まるで外部からの侵入を阻むかのような様子は城塞という表現が似つかわしい。中世には毛利家配下の地侍であったが関ヶ原の乱後に帰農、江戸中期頃から鉱山採掘で地域に君臨してきたという家柄も妙に想像力を掻き立ててくれる。
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柚木家住宅  登録有形文化財 (平成12年10月18日登録)
岡山県倉敷市玉島3-8-25
建築年代/天明年間(1781〜1788)
用途区分/大庄屋(松山藩奉行格)
登録範囲/主屋・御成門・茶室(いずれも西爽亭建物)
公開状況/公開
新幹線の新倉敷駅の南方、高梁川の河口部にある玉島集落は江戸期には備中松山藩の港町として栄え、現在でも往時を偲ぶ海鼠壁の大店が点在し、県の重伝建地区に指定されている。当家は玉島の庄屋職を務めたという家柄で、藩主の参勤交代時には本陣に充てられたという。主屋は外観のみ往時の雰囲気を模してはいるが殆ど原型を留めぬ改造がなされており、文化財の登録は隣接する西爽亭と称される数寄屋風の書院建築のみである。ちなみに亭の名称は備後の儒学者・菅茶山の命名とのこと。
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磯崎眠亀記念館  登録有形文化財 (平成12年10月18日登録)
岡山県倉敷市茶屋町195
建築年代/明治8年
用途区分/実業家(錦莞筵発明家)
登録範囲/主屋
公開状況/公開
現在では殆ど見かけることもないが、明治・大正期において花筵は日本の重要な輸出品であったと云う。花筵はいわゆる複雑な文様が施された筵のことで、眠亀はその改良に生涯を費やし、遂には「錦莞筵」を完成させ、欧米に大流行をもたらした発明家であり実業家であった。住宅は彼が花筵の改良に勤しんでいた明治初期に建てられたもので、二階への昇降には、容易に荷物を搬出入できるよう階段ではなく斜面廊下を設けるなどの工夫がなされ、発明家たる眠亀の面目を施す住宅と評されている。
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佐藤家住宅  登録有形文化財 (平成31年3月29日登録)
岡山県倉敷市福田町古新田字四之割294
建築年代/江戸中期
用途区分/大庄屋
登録範囲/主屋・長屋門・西土蔵・東土蔵
公開状況/非公開




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梶村家住宅 登録有形文化財 (平成9年5月29日登録)
岡山県津山市東新町40
建築年代/江戸時代末期
用途区分/商家(商い不明・札元)
登録範囲/主屋・座敷・茶室・西蔵・東蔵・表門・附属屋・洋館・裏座敷
公開状況/公開 【城東むかし町家】
約1.2kmにも亘って古い町家が建ち並ぶ津山城下の城東地区に所在する商家建築である。商売内容は不明ながら江戸中期以降は町役の札元を務め、五人扶持、苗字御免の武士待遇を許されていることから相当な豪商であったことは間違いない。主屋は江戸後期の建築ながら後世に表構えや架構に至る大幅な改築を受けており、また土蔵や座敷等の附属建物の多くも大正、昭和初期に整備されたものであることから近代町家に区分される。NHKの朝の連続ドラマ小説「あぐり」に登場した屋敷としても知られる。
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大賀家住宅 登録有形文化財 (平成14年7月16日登録)  
岡山県岡山市今保755
建築年代/江戸時代後期
用途区分/在郷商家(畳表商)
登録範囲/主屋・表門・離座敷・内蔵・土蔵・二階座敷・納屋・雑具物置及び荷揚納屋
公開状況/非公開
岡山市西郊の笹ヶ瀬川と足守川の合流点に形成された三角州扇状地突端の今保集落に所在する在郷商家である。今保は江戸期には内陸部と瀬戸内海を繋ぐ河川交通の要衝として岡山藩港が整備された場所で、現在でも往時を偲ぶ船溜りが残る。当家は県西部の特産品であった畳表の取引を江戸中期より始め、庶民の生活水準の向上と相俟って順調に商売を拡大、幕末には苗字帯刀も許される程の冨商に成長している。旧港に掘割で繋がる特別な立地条件にある屋敷には、そこはかと無い品格が漂う。
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丸本家住宅  登録有形文化財 (平成15年12月25日登録)
岡山県浅口市鴨方町本庄字吉宗2485
建築年代/大正時代
用途区分/酒造家
登録範囲/座敷屋・店舗・西蔵・東蔵・南蔵・東囲蔵・釜場・塀・取合廊下・井戸及び石垣・脇門、塀及び石段
公開状況/非公開
山陽道の鴨方ICを降り北方の国立天文台へと続く県道を登って行くと西方の山裾に当住宅が見えてくる。当家は慶応3年創業の老舗酒造で「賀茂緑」の銘柄で現在も醸造を続けておられる。屋敷内に建つ文化財登録の酒蔵や座敷も然ることながら登録外ではあるが主屋の緑瓦葺の入母屋屋根の存在が目を引く。やはり醸造銘柄を意識しての造作であろうか。近年には酒米を自主栽培され近代設備の導入により質の高い酒造りを志向しておられるようであるが、酒はやはり古い屋敷があってこその魅力である。
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高祖酒造  登録有形文化財 (平成19年10月2日登録)
岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓3097-1
建築年代/明治20年代
用途区分/酒造業
登録範囲/主屋・座敷蔵・圧搾蔵・井戸及び洗い場・煙突
公開状況/非公開
瀬戸内海に面し「日本のエーゲ海」と喧伝される牛窓は、江戸期においては北前船の寄港地として栄えた湊町である。天保元年(1830)創業で「千寿」の銘柄と「備中屋」の屋号で酒造業を営む当家は、現在郊外の牛窓町役場裏手に建つ近代的な工場で操業しておられるが、昭和35年頃までは旧市街にある当住宅が醸造場であった。屋敷南側の座敷蔵や圧搾蔵が天保年間の創業時からの建築で、主屋は明治25年頃に建て替えられている。本瓦葺で重厚感に溢れ、姿の良い六間取の大型町家建築である。
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旧山手村役場
(旧風早家住宅) 
登録有形文化財 (平成19年10月22日登録)
岡山県総社市上林1214-1 (昭和47年移築)
旧所在地・岡山県山手村地頭片山
建築年代/明治時代初期
用途区分/村長旧宅
登録範囲/主屋
公開状況/公開 【吉備路郷土館内】
総社市内に点在する古代遺跡を廻る吉備路観光の象徴的存在である備中国分寺五重塔近くの吉備路郷土館に移築保存されている民家建築。医師で旧山手村の初代村長を務めた風早雲嶂が自邸として建てたもので、彼の死後は明治35年から昭和43年まで山手村役場として使用されたという。内部は正形四間取で全ての部屋を襖で仕切っただけの簡素なものながら、外観は正面に式台玄関を構え、その脇に出格子窓を、大戸口脇の袖壁は飾り貫の真壁とするなど、かなり外面を意識した意匠となっている。
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松井家住宅  登録有形文化財 (平成19年10月22日登録)
岡山県総社市上林1208-2 (昭和47年移築)
所在地・岡山県岡山市東区沼
建築年代/江戸時代末期
用途区分/茶屋
登録範囲/主屋
公開状況/公開 【吉備路郷土館内】
旧山手村役場と同様に吉備路郷土館内に移築保存されている茶屋建物である。旧所在地である沼集落は岡山市中心部より10kmほど東北東の方角にあり、岡山城下から旧山陽道を大阪方面に向かう場合に最初の宿駅となる藤井宿の少し先の辺りとなる。当家は山陽道沿いで茶屋を営んでいたとのことであるが、建物の街道に面する側だけは前庇を設け、開口部も大きく取るが、他の三方は前庇を省き、開口部も最小限に抑えた大壁造の閉鎖的な造作とする。街道沿いの治安の悪さを慮ってのことであろうか。
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三浦家住宅  無指定・公開
岡山県真庭市岡270
建築年代/
用途区分/旧藩主
残存建物/主屋・表門等
公開状況/公開


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竹久家住宅  無指定・公開
岡山県瀬戸内市邑久町本庄1992
建築年代/明治初期以前(250年前との解説)
用途区分/農業・酒販売業
残存建物/主屋・納屋・離れ・土塀
公開状況/公開 【夢二郷土美術館】
なよなよとした柳腰に憂いを帯びた表情の独特な美人画を描き、大正浪漫を代表する画家・詩人として知られる竹久夢二の生家である。明治17年に当住宅で生まれた彼は神戸中学校に入学するまでの16年間をここで過ごした。住宅は県東部を横断する岡山ブルーラインを邑久ICで降りてすぐの場所に在り、干拓地が眼前に広がる小高い丘陵に営まれる典型的な中流農家屋敷である。当住宅で過ごした日々が彼の人間形成にどれ程の影響を与えたかは知れないが、住宅は大正浪漫とは何ら縁の無い建前である。
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片山家住宅
(角片山)
無指定・公開
岡山県高梁市成羽町吹屋699
建築年代/明治12年(1879)
用途区分/商家(弁柄窯元支配人・戸長)
残存建物/主屋・味噌蔵・米蔵
公開状況/公開 【吹屋ふるさと村郷土館】
重伝建地区に選定される吹屋町の中心部に建つ商家建築である。「郷土館」の名称で早くから内部公開されている施設で、当家は道を挟んで対面にある国重文の片山家住宅(本片山)の分家筋に当たる。住宅は明治初期に弁柄窯元であった本家の総支配人を務めた片山嘉吉氏が分家にあたり本家から材木の支給を受け、石州宮大工の手により建てられたとのことである。柱や根太に栗材、縁敷居には桜材など腐蝕に強い木材を多用するのは多湿な山間部の知恵であろうが、やや硬質な印象となっている。
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仲田家住宅 無指定・公開
岡山県高梁市宇治町宇治1757
建築年代/明治22年(1889)
用途区分/酒造業
残存建物/主屋・長屋門・道具蔵
公開状況/公開 【備中宇治彩の山里リゾート施設】
宇治町は鉱山町として著名な吹屋と地域支配の拠点である陣屋町・成羽の中間に位置する純農村である。山間ながらまとまった平坦地が得られたため案外に田畑が拓けており、恐らくは明治末の鉱山最盛期には人口12000人を数えたという吹屋への食糧供給拠点として大いに繁栄したことは想像に難くない。江戸中期に酒造を、明治からは醤油醸造を始めたという当家も吹屋に続く街道沿いの大規模な屋敷構から相当な隆盛振りが窺える。現在は酒蔵を改築し農村型リゾート宿泊施設として活用されている。
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折井家住宅  無指定・公開
岡山県高梁市石火矢町23-2
建築年代/江戸時代後期(天保年間)
用途区分/武家 (160石・馬廻役・物頭)
残存建物/主屋・長屋門・風呂棟
公開状況/公開 (武家屋敷館・石火矢ふるさと村内)
備中松山藩の城下町・高梁に残る中級武家屋敷である。住宅が所在する石火矢町は城下でも特に往時の風情が残されていることから県の「ふるさと村」に指定されている。住宅は城下町自体が四周を山に囲まれた狭隘な立地ゆえに重役を務めた上士屋敷ながら区画割も小さく、幕末に至るまで莫大な借財に苦しんだ藩政が影響した故であろうか建前も非常に簡素なものである。村内に残る市文化財の埴原家とは石高も同程度ながら屋敷の造作は驚く程に相違しており、その背景を知ったうえで見学すると良い。
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池上家住宅 無指定・公開 (商家資料館「池上邸」)
岡山県高梁市本町94
建築年代/天保14年(1843)、大正年間改築
用途区分/商家(小間物商・両替商・船主)
残存建物/本宅・商家棟・醤油製造場等
公開状況/公開
日本三大山城として知られる備中松山城が聳える高梁市の中心部に所在する商家建築である。当家は享保年間(1716〜35)に「立花屋」の屋号で小間物商を始め、以後は高梁川水路の船主や両替商、明治28年からは醤油醸造業を行うなど商売替えを繰り返しつつも時代の荒波を潜り抜き、10代目当主の昭和4年に至っては初代の高梁町長を歴任するなど町内を代表する存在にまで成長を遂げている。住宅は本町通り沿いに広い間口を構え、船竭「による深い軒が印象的な町家である。
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治部家住宅 無指定・公開 (農村型リゾート施設)
岡山県久米郡久米南町山手37
建築年代/
用途区分/庄屋
残存建物/主屋・土蔵・長屋門
公開状況/宿泊施設として活用中
文和元年(1353)に九州宮崎より戦火を逃れて、この地に土着したとのこと。江戸時代には庄屋職を務めた。山手の集落は吉備津彦命が7人の家来を遣わし、拓かれた地であるとの伝説がある。いわゆる山手七屋敷伝説である。要するに集落の草分けが7家あったということであろう。付近には山手鉱山があり、中世から明治・大正に至るまで銅の採掘が行われたという。平成2年に農村型リゾート施設として活用されるに至っている。西面して長屋門があり、海鼠壁の美しい土蔵と主屋が南面して在る。
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片山家住宅 無指定・公開
岡山県吉備中央市下加茂15-1
建築年代/明治14年(1881)
用途区分/名主・酒造業
残存建物/主屋・表門
公開状況/公開
高速道の岡山総社ICから国道429号線を約20km程北上すると旧加茂川町の役場手前に築地塀で囲まれた当住宅を容易に見つけることができるはずである。嘗て屋敷に威厳と格式を与えていた長屋門や酒蔵が道路拡幅のため失われてはいるものの、残る主屋の規模から今でも相当な豪家であったことが窺い知れる。明治期に建てられた住宅は、その広さゆえに「百畳屋敷」と呼ばれていたと云うが、江戸期に下加茂村や上田村東分の名主を務めた由緒を持つとはいえ、その分限を遥かに超える建前である。
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菅野家住宅 無指定・公開
岡山県真庭市下中津井
建築年代/不詳(江戸後期?)
用途区分/商家
残存建物/主屋・土蔵
公開状況/公開 (隣接する宿泊施設に申し出ること)
在郷町の風情を今に残す旧北房町の中津井集落は藩政期には故あって遠く離れた伊勢国亀山藩石川家の所領となり、阿賀・上房郡1万石の飛地支配の為に陣屋が置かれた場所であった。嘗て陣屋が在った場所には、現在農村型リゾート宿泊施設「なかつい陣屋」が設けられており、これに隣接する当住宅は旧所有者からの寄付を受け、その付属施設として活用されている。当家は嘗て郵便局を営んでおられたが、以前の商売については詳らかでない。ただ相応の大店であったことはその建前から窺い知れる。
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阿藤伯海旧居  無指定・公開
岡山県浅口市鴨方町六条院東2385
建築年代/江戸末期(推定)
用途区分/大地主・漢詩人
残存建物/主屋・長屋門・離れ・隠居屋・土蔵・台所棟・湯屋
公開状況/公開 【阿藤伯海記念公園】
JR鴨方駅の東方1km程の丘陵地にひっそりと隠れるようにして建つ漢詩人・阿藤伯海の旧邸である。伯海は明治37年に当住宅で生まれ、東京帝大を卒業したのち漢詩の世界に傾倒し、東京の第一高等学校で教鞭を執ったものの、51歳の若さで官職を辞し、その後は郷里で隠者のように過ごした人物。住宅は阿藤家が大地主であった江戸末期頃の建物と推測されているが、本瓦葺平屋建の「臥龍洞」と称される主屋や「虚白室」の離れなどは彼の生き様を具現化するかのように品の良い美しい建築である。
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薄田泣菫生家 無指定・公開
岡山県倉敷市連島町連島1284
建築年代/江戸末期(推定)
用途区分/地主・詩人
残存建物/主屋
公開状況/公開 
「ああ、大和にしあらましかば、」は泣菫の代表詩である。彼は明治10年に当住宅で生まれ、20代で「白羊宮」、「志ら玉姫」などの詩集を刊行し、明治詩壇において島崎藤村後の第一人者と称され若くして頂点を極めた人物である。大正期以降には毎日新聞において随筆「茶話」を連載し、多くの読者を魅了したと云う。当住宅は倉敷・水島間を結ぶ臨海鉄道の浦田駅西方、連島の東麓に所在する旧地主屋敷で、本瓦を段葺にした平屋建の主屋は小振りながらも酒脱な建前で、実に風雅な趣に満ちた住宅である。
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藤田家住宅 無指定・公開
岡山県岡山市北区足守916
建築年代/江戸時代末期
用途区分/商家(醤油醸造・肥料販売)
残存建物/主屋・米蔵・麹室・醤油工場
公開状況/公開 【藤田千年治家】
岡山市北西の陣屋町・足守には意外な程に古い町家がよく残されている。そしてどの町家も規模が大きく、本瓦葺に白漆喰大壁の重厚感溢れる造作は実に見応えがある。その中にあって黒漆喰塗の主屋がひときわ異彩を放つ存在が当住宅である。ニ階腰壁の海鼠壁の漆喰盛までが黒漆喰なのは驚きである。当家は町の南方に広大な邸宅を今に残す岡山屈指の大地主・藤田林蔵家の分家で昭和初年まで醤油醸造や肥料を商ったとのこと。主屋背後の醤油蔵には往時の醸造設備も残り、興味深く見学できる。
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高戸家住宅
(分家)
無指定・公開
岡山県浅口市鴨方町鴨方
建築年代/延享5年(1748)
用途区分/商家
残存建物/主屋
公開状況/公開(飲食・研修施設として使用)
県西部の旧鴨方町に整備された「かもがた町家公園」内に在る商家建築である。当建物は鴨方往還沿いに並んで建つ県指定文化財の高戸家住宅の分家住宅で、公園整備後の現在は地域産品の物販や公民館的施設として活用され、「交流館」と命名されている。本家が江戸初期建築の県内最古の住宅と推測され文化財価値も高く、世間の注目を集める存在のため、当住宅の影が若干薄くなりがちであるが、それでも江戸中期の建築で本家よりも規模は大きく、単独に在れば十二分に貴重な存在である。
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