目木構
(福島家住宅)




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真庭市指定文化財 (昭和38年5月1日指定) 【解体消失により解除】
岡山県真庭市目木1710

岡山県北の中心地・津山から西へ約20kmほどのところに目木の集落は所在する。中国山地の不溜山に端を発した目木川が旭川と合流する手前の扇状地に営まれた小規模な集落である。藩政時代においては中期に天領となったことがあるものの、おおよそは津山藩領に属し、江戸時代初期は森家、後期には越前松平家の支配を受けた。
さて当住宅は一般に「目木構」の名称で知られる存在で、昭和38年の久世町指定文化財になった際にもこの名称が用いられている。「構」とはあまり聴きなれない言葉であるが、教育委員会が立てた解説板には「屋敷地の周囲には濠を廻らし、あたかも中世領主の居館に類似していることから目木構と呼ばれている」と記されている。しかし越前松平家の時代における当地方の農村部の支配制度が5000石程度の村々を一つの単位として大庄屋を置き、「構」と称していたことから、私個人としては、この事に由来するのではないかと考えている。(ちなみに村数にして10〜15ヶ村で、森家支配時代には「触」と称した。)
当家は藩政時代を通じて目木触の大庄屋を13代に亘って務め、その威勢は現在残される広大な屋敷からも十分に窺うことができる。屋敷の周りを濠が囲み、白壁の練塀が廻らされる姿は、当地域随一の大屋敷である。現存する建物は長屋門と主屋、土蔵のみであるが、主屋は間口13間・奥行7間半の巨大なもので、石州瓦で葺かれた入母屋造の大屋根に下屋が四周に廻らされ、堂々たる姿を今に留めている。内部は、所有者が変わり一時期老人ホームとして使用されていたため改変が激しく間取りは定かでない。ただし座敷廻りだけは旧状をよく留めており、江戸時代の建物らしく意外に簡素なもので好感が持てる。また主屋の西側に設けられた池泉回遊式の庭園も、池には石橋が架かり、民家に造作されたものとしてはかなり規模の大きな立派なものである。屋敷の門前には樹齢680年の椋の木が聳え、まるで屋敷全体を覆うかのようである。過ぎ去った長い年月を静かに見守り続けてきてくれたことに思わず手を合わせた。

 

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