薄田泣菫生家
Susukida Kyukin



無指定・公開
岡山県倉敷市連島町連島1284
建築年代/江戸末期(推定)
用途区分/地主・詩人
残存建物/主屋
公開状況/公開 

「ああ、大和にしあらましかば、」は泣菫の代表詩である。彼は明治10年に当住宅で生まれ、20代で「白羊宮」、「志ら玉姫」などの詩集を刊行し、明治詩壇において島崎藤村後の第一人者と称され若くして頂点を極めた人物である。大正期以降には毎日新聞において随筆「茶話」を連載し、多くの読者を魅了したと云う。当住宅は倉敷・水島間を結ぶ臨海鉄道の浦田駅西方、連島の東麓に所在する旧地主屋敷で、本瓦を段葺にした平屋建の主屋は小振りながらも酒脱な建前で、実に風雅な趣に満ちた住宅である。





 

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