折井家住宅
Orii


 
高梁市指定文化財 (武家屋敷館・石火矢町ふるさと村内)
岡山県高梁市石火矢町23-2

近世に建てられた天守閣を残す城郭は、現在のところ全国で12ヶ所のみに限られているが、備中松山城は三層の小振りな天守閣ながらも唯一の山城として著名な存在である。城郭本来の役割を残す、なかなか味わいのある建物なので一度は訪れてみるとよいだろう。
さて、その山麓には藩政時代の武家屋敷の遺構が少なからず残されているが、中でも石火矢町付近には中級武家住宅が比較的まとまって古の風情を醸している。「鉄砲町」ではなく「石火矢町」と称するところは心憎いばかりであるが、町一帯が岡山県の「ふるさと村」の指定を受けており、高梁観光の中心的な役割を果たしている。その石火矢町の入口付近に所在する当住宅は、板倉家50000石の治世にあって160石ほどの知行を食み、馬廻役や物頭を務めた折井家の屋敷跡である。物頭というのは軍役を掌る役目で、板倉家においては上士に分類される家柄である。けれども上士といえど武士には役柄に応じた屋敷替えがあり、当住宅はいわば官舎のようなものであったらしい。藩では屋敷の規模を5段階に区分けし、家臣の役柄に応じて屋敷を与えていたとのことである。ちなみに当住宅は2番屋敷に区分されるもので、建物は全て細かな規定に基づいた規模や間取りとなっている。
ちなみに2番屋敷における主屋の建坪は37坪程度と規定されており、実に簡素な建物である。極端ではあるが、玄関と座敷以外の部屋は当時の平均的な農家よりも粗末なぐらいの造作である。上士といえど意外に質素な生活を強いられていたようである。一方、表通りに面する長屋門は、大振りな武者窓を備えた白壁も眩しい上士としての面目を保つに相応しい建物で主屋とは対称的である。
当住宅は残存例が少ない武家住宅の中にあって、家格に応じた官給の屋敷制度を理解するうえで実に興味深いものである。


 

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