9月のアクセス解析
総アクセス数がとても少なかった。負け惜しみ半分で言えば、これでいい。不毛な議論に巻き込まれることもないし、おかしな人に絡まれることもない。
多くの人々に読んでもらうために書いているわけではない。自分のために書いていることを公開しているだけ。もちろん、読まれることはうれしくないわけではない。
『子どもと言葉』(岡本夏木)の感想が読まれたことは素直にうれしい。この本は多くの人に読んでもらいたい。読んでもらうために書いているのではないと言いつつ、これは読んでもらいたい文章の一つ。この本を読んで私の言語観は大きく変わった。言葉を特別なものでなく、音楽や絵画と並ぶ、さまざまな感情表現の一つととらえるようになった。
それまでは言語至上主義というか、あらゆる表現方法の上に言葉があると考えていた。
『死者と生者のラスト・サパー』(山形孝夫)の感想も読まれてうれしい文章。自死遺族の一人として 教えられるところが多かった。同じような境遇の人におすすめしたい一冊。
「『終わりの始まり』について」という文章も読まれている。当時の非常に不安定な精神状態が如実に現れている文章。「あの頃」に比べれば、いまはだいぶ落ち着いている。
2015年10月の日記が読まれたので、読み返して校正、推敲した。
さくいん:岡本夏木、自死遺族、山形孝夫
土曜日は月一回の診察日だった。S先生に、楽しい旅行の帰り道に新幹線で過重労働を思い出して不快になったことを伝えた。
心が折れてしまいそうなところを何とかこらえたことも話すと先生は「あまり気にしない方がいい」と返した。
S先生は、過去の出来事にこだわり過ぎないようにいつも諭してくれる。
ありふれた言葉でも長年診てもらっている医師から聞くと安心する。辛かったことを吐き出せることも病院のメリット。
駅前のカフェでシーフード・パスタを食べてから隣にあるカラオケ店へ。
いつもの通り、哀悼の気持ちを込めて「風の詩を聴かせて」(桑田佳祐)で始めた。
いつも機種は指定しない。今回はDAMだった。すると、JOYSOUNDにはない歌をいくつか見つけた。次回からはDAMを指定する。
"The Water Is Wide"(Karla Bonoff)を見つけて初めて歌った。歌ってみて、いい曲とあらためて思った。
She's loaded deep as she can be
"She"はここでは二人が乗っているボートのこと。ふと、愛とは重荷を背負うことと気づかされる。
3時間、歌った。
最後もいつも通り、"himawari"(Mr.children)歌って終わりにした。
「少しだけ泣いた。今日は泣いてばかりだ」。
さくいん:S先生、桑田佳祐、mr.children
賢島旅行の帰り、近鉄の特急しまかぜに乗車した。そのときに撮影した写真がまだあったので掲載しておく。
先頭車と車両横のロゴ
全車両展望車で座席位置が高い。ガラス越しに運転席がよく見える。
運転席のガラスは戦闘機のキャノピーのよう。何度も指差し呼称をして安全運転に心がけていた。
名古屋近くで木曽川を渡る。最後はおまけ。ミキモト真珠島。真珠養殖発祥の地。
新婚旅行のときに行ってみた。あこや貝に真珠になる核を入れる作業などを見学した。
気候変動の影響で真珠ができにくくなり、価格も高騰していると聞く。いずれは養殖もできなくなるかもしれないと懸念されているらしい。
さくいん:伊勢志摩
先日、日経新聞で「DVを目撃したこともトラウマになる」という記事を読んだ。
中学時代、教員たちによく殴られた。それ以上に、生徒が殴られる場面をよく見た。私は暴力の標的であり、同時に目撃者でもあった。
抵抗も告発もしなかったという意味では、私は暴力の傍観者でもあった。暴力が支配する学校社会で、生き延びて高い評価を得ていたという意味では暴力の受益者でもあった。
一年生で部活動が始まったばかりの頃、数人が練習中に座っていたというだけで、部長と副部長が唇を切るまで殴られた情景は、今でも目に焼き付いている。
暴力を目撃したこと。それは私にとってトラウマになっているだろうか。それとも、単なる自意識過剰だろうか。
自助努力で忘れられるものなのか。それとも、専門的な治療が必要なほど深刻なのか。
忘れられるものならば、どうすれば忘れられるのか。
わからない。
さくいん:日経新聞、体罰
暴力教員たちへの質問
中学時代の教員たちに会う機会があったら、訊いてみたい気もする。
- なぜ、生徒に暴力をふるったのか
- 暴力は法律に触れることを認識していたか
- 場合によっては暴行罪で逮捕されることを認識していたか
- 自分の子どもも暴力をふるって育てたか
- いま、私に殴られたら告発するか
訊きたいことはほかにもあるような気がする。
でも、考えるだけ、無駄。
中学時代の同窓会には絶対に行かないから。
さくいん:体罰
最近、集中力がないので、本書も興味はあったものの、拾い読みしかできなかった。
それでも、日本では政治と暴力が不可分であること、民主主義と暴力でさえ分かちがたい関係があることはわかった。戦前にはそれはあからさまであり、戦後は隠蔽され、なお持続している。本書は日本近代史の底流を詳細に叙述していく。
さらなる疑問は、日本社会が暴力に寛容なのはなぜなのか、ということ。
先の米国での映画俳優の暴力事件に対しても、日本では現地より容認する声が多かった。
体罰やいじめが明確に犯罪ととらえられていないことも、暴力が広く許容されている証拠ではないか。
この暴力に対する寛容さはどこから来るのか。日本社会に特有のものなのか。未熟な自由主義社会に共通するものなのか。著者は後者の立場をとる。
では、欧州に始まり、世界全体に広がりつつあるはずの自由主義や民主主義、暴力に対抗する人権の意識、そういったものが根づく場所と根づかない場所があるのはなぜか。どこに違いがあるのか。疑問は尽きない。
さらに付け加えれば、私の個人的な関心は、自由と民主主義、そして人権を教育する場所であるはずの学校で、なぜ、体罰という名で暴力が正当化されているのか、という点にある。
その理由は、一昨日と昨日、書いたとおり、私が暴力が支配する教育現場を通過してきたからにほかならない。
日本社会において、教育現場を支配していた暴力と、本書が探究している民主主義と暴力の奇妙な結合とのあいだには、何か関係があるだろうか。
さくいん:体罰
新しいカメラと神代植物公園へ
先週の日曜日、カメラ性能が向上したiPhone 14 Proを持って神代植物公園へ行った。
7 Plusでは白い花を撮ったときに色がつぶれてしまい、花びらの濃淡を写すことができなかった。結論から書けば、14 Proの撮影では熱帯スイレンの白い花びらが一枚ずつきれいに撮れた。
全体に画像がシャープになった気がする。とくによくわかるのはポートレートモード。撮りたい被写体の輪郭がぼやけた背景からはっきり浮かび上がっている。
昨年の機種からどれだけ変わっているかはわからない。私の場合、7世代も進化したので、性能の向上を強く感じることができた。
天気は秋晴れ。少し汗ばむくらいの気温。木陰を歩くと気持ちいい。ダリアとバラが見頃だった。心地よい日曜日。こういう日を「充実した日常」と言うのだろうか。それはわからないけど、こんな暮らしを続けたいとは思う。
いつもの通り、多聞で冷やしたぬき中盛りを食べて帰宅した。ビールは呑まなかった。
さくいん:神代植物公園、Apple、日常
My Favorite Yuming Songs
松任谷由実が音楽活動50周年を迎えるという。
ユーミンを一番聴いていたのは、中学生だった1983年から高校を卒業した87年くらいまでだろうか。アルバムでいうと"DA・DI・DA"あたりまで。いまでも聴くのは、80年代以前の曲がほとんど。90年以降、アルバム単位では聴いていない。
ユーミンの曲で好きなものをあげると、別れの歌か、そうでなければ死や死別をイメージさせる曲が多くなる。
順不同で10曲、思いつくままに並べてみる。
振りかえると、『庭』の第一部の文章でユーミンをよく取り上げていた。当時は私にとってユーミン再発見の時期だったかもしれない。ユーミンの言葉を思い浮かべながら、自覚的に考え、文章を書きはじめた。
上に挙げた曲はすべて歌詞を覚えている。ユーミンの言葉は、私にさまざまなことを考えるきっかけをくれた。とりわけ、死別体験から生じる悲しみ、グリーフや悲嘆と呼ばれる感情について考えるとき、ユーミンの歌は欠かすことができない。
その意味では、ユーミンは「思索の源泉」と言っても言い過ぎではないと思う。ユーミンの歌を、少なくとも私は、まず第一に「悲しみの歌」、あるいは挽歌として聴いている。
ところで、私がユーミンの歌を聴くとき、私の頭の中では、ライブハウス、ケネディハウス銀座で歌う岡部ともみの声で再生されている。
彼女の声なくして「私のユーミン」はありえない。
さくいん:松任谷(荒井)由実、悲嘆、ケネディハウス銀座、声
日経新聞の土曜夕刊、最終面の「文学周遊」の欄で『谷間の女たち』(森山啓)が取り上げられていた。すぐにTwitterで感想文を紹介したものの何の反応もなかった。
ところが、アクセス解析を見ると、一晩で46回のアクセスがあった。とてもうれしい。
森山啓はとても思い入れのある作家。出会いは偶然だった。小松市立図書館で彼の生涯を知り、そのあとで作品をいくつか読んだ。
森山啓は、「自死遺族の文学」というジャンルを初めて意識させてくれた作家でもある。
自死遺族であっても、未来を望んで生きていい。心豊かな人生を歩くことができるし、そうしなければいけない。どんなに辛いことがあっても人は幸福に生きることができる。
『谷間の女たち』はそういうことを教えてくれた小説だった。
世の荒波に負けず、生を謳歌する人物らに、鼓舞される一作である。
「文学周遊」を執筆した毛糠秀樹も、そう結んでいた。
さくいん:日経新聞、森山啓、自死遺族
4ヶ月ぶりの出社
用事を頼まれたので、先週の金曜日、久しぶりに出社した。前回の出社が6月だったから、およそ4ヶ月ぶり。朝は遅めに出たので、電車は隣の人と触れ合わない程度に空いていた。
同じ事業部の人がいたのであいさつをかわしただけで、あとは黙って仕事をした。
頼まれた用事は書類に事業部印を押すだけなので、すぐに終わった。
昼はコンビニのサンドイッチ。事務所でコーヒーは無料で飲めるので、何杯も飲んだ。
午後、急ぎの仕事もないので、自分が今している業務の手順書を作ってみた。案外、時間がかかった。完成はしなかった。
帰り際、エレベーターで若い女性に「お久しぶりですね」と声をかけられた。マスクをしていたので誰かわからなかった。社内で私に声をかける人は数人しかいないので見当はついたけど、確信が持てず、雑談はしなかった。
当たり前のことだけど、会社では皆、忙しそうにしていた。細かい数字の表計算ソフトと格闘している人、過剰な敬語で頭を下げながら顧客と電話をしている人、真剣な顔で話し込む二人。あの世界に戻る自信はもうない。
責任感もモチベーションも失った私にはやはり場違いな気がした。それでもここにしがみつかなければ暮らしてはいけない。
次は半年後くらいでいい。16時、早めに切り上げて、雨の中を駅まで歩いた。
さくいん:労働
眠い
連休中のこと。金曜日に久しぶりに会社で勤務したあと横浜の実家に帰省した。百貨店で食事をして、美術展を見て過ごした。日曜日の夜に帰宅した。
明けて月曜日。朝、図書館へ予約した本を受け取りに行った。そのあと、何となくだるいので横になっているとそのまま小1時間眠ってしまった。
出かけるつもりが雨が降ってきたので、午後も家にいた。何もすることを思いつかないのでベッドに横になっていたらまた眠ってしまった。
こんな調子では夜は眠れないかもしれないと心配していると、9時には眠くなってきた。
とくにしたいこともないので、9時半には就寝した。それから6時半までぐっすり眠った。なぜだろう。いくらでも眠れる。
この無気力と眠気の原因は何だろう。金曜日の出社の疲れか。連休中の鯨飲馬食か。それとも、心身に軽うつの症状が出ているのだろうか。そんな気もする。
在宅に慣れてしまって、ちょっと出かけただけでも疲れるのかもしれない。筋トレは続けていても、持久力が足りない。無理してでも動くべきか、自然にまかせてしばらく休むべきか。
さくいん:うつ
陶磁器を好んで鑑賞するようになったきっかけは、30年前に、新婚旅行で泊まった賢島の志摩観光ホテルで見た大倉陶園の絵皿だろう。2003年4月にオールド・ノリタケの写真集を見たときにそう書いている。
先週の土曜日。母の補聴器を調整するため横浜へ行った。ちょうどオールド・ノリタケの展覧会をしていたので、妻と3人で見た。
どの作品も保存状態がよく100年前のものとは思えなかった。よく色や装飾が剥げずに保存されていたものと感心した。さまざまな色のティーカップのコレクションは見事だった。
こんな鮮やかな小物が一つリビングにあるだけでも部屋は華やぐだろう。展覧会の外では実際にアンティークを販売していた。骨董品でなくてもいいから色のきれいな小物が欲しい。将来の夢が一つ、増えた。
今回の展覧会では赤と青がよかった。深い青色は「王者の青」と呼ばれていたという。『庭』の第六部で使用した青よりもさらに濃く、空や海の青とも違う深い色だった。
母が私たちの結婚30周年を祝ってくれるというので、3人でランチを楽しんだ。
さくいん:横浜、伊勢志摩
慢性的に金欠の私は積読というものをしない。本はなるべく図書館で借りて読む。これを「借読」(かりとく)と呼ぶ。波長が合わなければ、読まずに返す。また読みたくなったら借りればいい。
いまは仮想書棚があるので、図書館に返却したあとでもどんな本を読んできたのか、記録に残る。
最近は集中力が続かず、本を借りてきても最後まで読めないことが多い。
私は多読ではない、精読派でもない。それでも、なぜか本は好き。絵を見るより、音楽を聴くより、本が好き。
図書館へ行っても、書店へ行っても、本が並んでいるところを歩くことが好き。
「こんな本があるのか」「こんなことを研究している人がいるのか」。そんなことを考えながら歩く。
私は本を読むよりも、本の背表紙を見ることが好きなのかもしれない。
そういう本への親しみ方を「見読」(みとく)と呼ぶことにする。
娘が生まれた25年前、8ミリビデオカメラを買った。それから5、6年は使っただろうか。今では使うこともなく、録画したカセットも再生することはなかった、
8ミリビデオカセットをDVDに焼き直すサービスのチラシが入っていたので、これを機会に昔のホームビデオをDVDにしてみた。
生まれたばかりの赤ん坊はとてもかわいい。子どもの成長記録を見るのも楽しい。でも、何か引っかかる。
引っかかるのは、もう亡くなった父や祖母が映像の中で生きているから。これが生理的に薄気味悪く感じてしまう。なつかしさよりも不快感が強い。
俳優の遺族は、その人が亡くなったあとで出演作品を見るとき、どんな気持ちがするものだろうか。なつかしく感じるのだろうか。
少なくとも私は、亡くなった俳優の映像を見ても何も感じないが、知っている人が生きているかのように振る舞う映像にはなぜか抵抗がある。
亡くなった人は、止まっている写真の中にしかないない。私の頭ではそういう定義がされていたらしい。動いたり話したりしている姉の姿はちょっと想像がつかない。もし、そういう映像があったら、悲しみがあふれるよりも不快感でいっぱいになるだろう。
今後、AIやVRの技術の向上で、故人を生きているかのように見せるお墓コンピューターは現実のものになるだろう。
それを受け入れる準備は、私はまだできていない。
さくいん:HOME(家族)
久しぶりに東洋文庫ミュージアムへ行った。モリソン書庫は変わらずに荘厳なたたずまいを見せていた。
今回のテーマは乗り物。空路、海路、陸路とは言うけど、鉄路とは日本語ではあまり言わない。展示によると、福沢諭吉の文章に「蒸気鉄道」という言葉がある。鉄道も福沢の創訳だろうか。
天皇が乗る御輿を「鳳輦」(ほうれん)と呼ぶことを初めて知った。東京で人力車がはじまったのは意外に遅く、1870年(明治3年)という。博物館へ来ると知識が増えて楽しい。徳川家康が「吾妻鏡」を愛読していたことも知った。
東洋文庫は鉄道とゆかりがある。日本鉄道産業の父、井上勝は、小野義眞、岩崎弥之助と小岩井農場を始めている。その小岩井農場では、戦前、競走馬を育てていたという。
今日は春日駅から白山道を歩いて行った。30分、7000歩の距離でちょっと疲れた。展示は面白かったけど、疲れていてあまり集中して見学できなかった。
それにしても、膨大な文献のなかから企画展に相応しい資料をどうやって見つけ出しているのだろう。企画展にはどれくらいの準備期間をかけているのだろうか。東洋文庫には興味が尽きない。
ランチはいつもは付属のオリエンタル・カフェで食べるところを、近くのイタリア料理店でしらすとキャベツのパスタを食べた。美味しくて値段もリーズナブル。今後はちょっと贅沢なオリエンタル・カフェと併用する。
さくいん:東洋文庫ミュージアム
カレーを作る
土曜日の午後、カレーを作ろうと思い立った。タマネギ9個とニンニクと生姜を、家で一番大きな鍋に投入して炒めはじめた。
写真は3時間炒めた前と後。これでは、まだカレールウにはならない。一塊のペースト状になるまで炒めなければ。
落ち込みそうなときには単純作業をするといいと聞いた。森田療法の本だっただろうか。生産性があればなおいいとも。つまり、何かを作ることがうつを緩和してくれるということ。
焦げ付かないように炒めることに集中することはいいストレス・コーピングになる。
あともう少し炒めてからスープとカレー粉を入れる。具材を入れるのはそれから。
カレーができた
思いのほか早く玉ねぎがいい感じになってきたので、昨日の午後に仕上げて夕食にした。
具材は、鶏肉、にんじん、エリンギ、しめじ、ズッキーニ。スパイスは赤い缶だけ。市販のルウは使わない。
料理は精神衛生に有益。集中するから雑念がなくなる。食事ができあがる。美味しくできれば、家族が喜ぶ。
家族が喜べば、私も満足する。一石四鳥。
さくいん:HOME(家族)
死後の世界について
子どもの頃は、死後の世界について考えるのが怖かった。今はそうでもない。
死んだら無になる。死後の世界は無の世界。そう思っている。夜眠っているあいだ「私」という意識はない。昨日のことさえすべて覚えているわけではないし、幼少期の記憶はほとんど消えている。そんな風に、死んだら「私」という意識もなくなり、無になると思っている。
魂は生きつづけると主張する人がいる。それは、むしろ怖い。「私」という意識に終わりがなく、永遠に続くとしたら、「私」に飽きてしまうのではないだろうか。
転生ということはあるのかもしれない。でも、その場合、いまの意識はほとんど残らないだろう。前世の記憶を私は知らない。
一時期、眠りについたら二度と目が覚めないことを願っていた。いまは、幸いなことにそういう願望はない。
死にたいという願望とは少し違う。眠りから覚めたくない。無になってしまいたい。そういう願望だった。あれも、うつの症状の一つだったのだろう。寛解とは言い切れないけど、いい方向に向かっているとは言えそう。
さくいん:死生観、うつ
毎年、この時期に体調を崩して会社を休む。
今年は体調はまずまずではあるものの、精神的に少し不安定なので、今日から月曜日まで会社を休むことにした。
気持ちが不安定になっている理由は、毎年、調子が悪くなる時期だから、今年も悪くなるのではないか、という不安。不安になるかもしれないという不安。
こういう不安は不要なものということはわかっている。でも、いつ大きなうつの波が襲ってくるかはわからない。前兆があるときには、先手を打っておくに越したことはない。
落ち込んだりはしていなくても、なぜかいつも眠い、という症状が出ている。これはよくない兆候。
週末は母の様子を見に帰省する。今日と月曜日は何もしないで過ごすつもり。
ぼんやり、のんびり、まったり、ゆったり。そういう風に時間を使う。
会社には「心身ともに調子がよくないのでまとめて休ませてください」と伝えた。
急に3日も休む申請をしたので、上長が承諾するか心配になり、終業後もパソコンを開いておいた。しばらくして了承の返信が来た。今の上長には配慮してもらっていてありがたい。
さくいん:うつ
おなじ話
ほとんど毎日、それも何度も考える。暇を持て余す今の暮らしのままではいけないのではないか。適職を探して転職すべきではないのか。本当はもう元気なのに「障害者」を隠れ蓑にして楽をしていないか。
あれこれ考える。でも、結論はいつも同じ。このままでいい。
- 高給とは言えないまでも、暮らしていけない額ではない。
- 過労で苦しむくらいなら、過小評価で暇を持て余す方がまし。
- もう十分に働いた。
- 借金はないし、子どもも独立した。
- 気分の変調はまだある(寛解したわけではない)。
- 今後、避けられない母の介護を考えると自由な時間は多い方がいい。
- 今はもう「普通の会社員」の仕事はできない(伸びたゴムは元に戻らない)。
今日も一日、考えていたけれど、おなじところへ戻ってきた。
さくいん:労働
暖房を使う前に、エアコンのクリーニングを業者に頼んだ。私の机はエアコンのすぐ下にあるため、掃除の邪魔になるので棚の上にある本を下ろした。長い間、整理していなかったから、棚の上はほこりが溜まっていた。水ぶきしてきれいにした。
机の上の棚には主に美術展や博物館の図録を並べてある。本は図書館で借りられるなら、買わずに借りて済ませている。図録は展覧会の会期中しか買えないし、図書館でも借りられないので、感激した展覧会では図録を衝動買いすることが多い。
図録は、ほかにもクローゼットの奥にある棚にも置いてある。文庫本を除けば、本よりも図録の方が多いかもしれない。文庫本はベッドの橋にある宮と呼ばれる棚に40冊程度入っている。そのほか、通販で買った安い書棚に新書などを入れている。
単行本はたいてい図書館で借りて済ますので、ほとんど持っていない。
画期的な歴史図鑑。東洋文庫ミュージアムの売店で見かけた。図書館にあったので借りてきた。日本史上の重要な場所や出来事の場面を立体的に、書名通り俯瞰することができる。
古地図と現代の街並みを重ねて見せる本はたくさんある。それらの地図本とは一線を画す、とても見晴らしのいい図鑑。
最近の興味と重ねると大河ドラマで見ている鎌倉幕府の絵が面白い。三方を山で囲まれていること、7つの切り通しだけが外部との出入り口になっていたことなどがよくわかる。
さらに、執権の邸宅「北条小町」をはじめとする重臣たちの邸宅の位置も図示している。
我が家から鎌倉へ徒歩で通り抜けていける朝夷奈切り通しの近くに大江広元や梶原景時の邸宅があったことを初めて知った。
ほかに面白かったのは、幕末の江戸。街がどこまで広がっていたか、どんな地形に現代の繁華街が作られたのか、よくわかる。
イラストが広い範囲を描いている点はよい。土地の起伏も描かれているので、どんな地形に城が築かれていたか、合戦が行われたか、『ブラタモリ』風に楽しむことができる。
さくいん:鎌倉、『ブラタモリ』
「きっとアニメ版の余韻をぶち壊すような作品だろう」と危惧していて見ないつもりでいたけれど、気になる俳優、松坂桃李を目当てに見ることにした。予想以上にいい作品だった。見終わってからとてもさわやかな気持ちになった。
聖司は聖司のままで、雫は雫のままだった。アニメから実写に変わっているのに、アニメ版から10年後を描いているのに、二人の性格はそのまま変わっていなかった。本作はちゃんと前作の延長線上にあった。
聖司は自分の夢に向かって計画を立て、着実に進んでいく。雫も夢に向かって努力しているはずなのに空回りしてもがいている。どんどん先へ行く聖司に対する劣等感も強い。でも、聖司は自分にない何かを雫に感じている。そして、本作では雫の存在が夢の実現に不可欠であることにも気づく。
松坂桃李は今回もよかった。『流浪の月』とはまったく違う好青年を上手に演じていた。『ツナグ』のときのように落ち着いた知的な青年がよく似合う。もちろん、役者としてさまざまな役柄に挑戦することを否定はしない。本作のような松坂桃李を私は好む。
聖司の大人びた雰囲気は中学生時代にも驚いたけれど、今回も、20代でしっかり地に足のついた生き方をしていた。20代のときの私は雫のように空回りして、結果、遠回りもした。
夢ってさ、形を変えてくと思うんだ
ただ、夢は諦めないでほしい
このセリフは胸に刺さった。夢をあきらめないことは大切。いつまでも腐っていてはダメ。
そんなメッセージを受け取った。私にとって、形は変わっても、あきらめてはいけない夢は何だろう。とっくの昔にあきらめてしまったので、もう思い出せない。まず夢を思い出すことから始めなければならない。
さくいん:柊あおい、松坂桃李、初恋
帰省していた先週の土曜日。昼飯を食べてから出かけた。母は膝痛で長く歩けないので、金沢文庫駅からタクシーで称名寺へ。
北条時政から三浦義村へ宛てた書状があり、大河ドラマがぐっと身近になった。東大寺の再建と鎌倉幕府につながりがあったことを初めて知った。
武士が活躍した荒々しい時代。合戦と抗争と謀略が続く乱世。運慶の豪快な作風はそんな時代の空気から生まれたのだろう。
ほかには、政子が瀬戸神社に納めた鬼の面が恐ろしい形相をしていたことが印象に残る。
京急線の金沢八景駅近くにある琵琶島神社は、政子が勧進したもの、ということも初めて知った。
いま住んでいるところは、縄文人の遺跡のあと歴史に登場するのは江戸時代になってから。歴史のある街の近くで育ったのは、恵まれていたと思う。
さくいん:鎌倉
秋休みの日記
5日間の秋休み、何をしたのか、書き残しておく。
20日、木曜日。いつもの時間に起きて洗濯。自転車で最寄りの図書館へ。昼寝。ビールとワイン。ツィート、1回。20212年2月の箱庭の推敲。
21日、金曜日。映画『耳をすませば』。シチリアのシャルドネ。
22日、土曜日。称名寺と金沢文庫。竹原の純米酒。
23日、日曜日。子どもの成長記録のDVD、チリのシャルドネ。
24日、月曜日。何もせず、終日布団の中。午前も午後も眠る。酒なし。夜も眠れた。
しっかり休んでリフレッシュできたかというと、そうでもない。
大した仕事はしていないのに、ずっと取り掛かっている業務のことが頭から離れなかった。せっかく休みを取ったのに、気持ちの切り替えがうまくできていない。
会社のノートパソコンが、閉じた状態とはいえ机の上にあるのがよくない。コロナ禍前はパソコンは会社に置いていた。退社すれば、仕事のことを簡単に忘れることができた。今は休んでいても仕事が気になる。何か事件が起きていないか、メールを見てしまいたくなる。
これでは24時間臨戦態勢だった前職と変わらない。それで心身の健康を崩したのだから、オフは完全に仕事を忘れなければ。
人間の記憶は、簡単に忘れたり思い出したりできるようになっていない。忘れるためには意識して努力しなければならない。まだ「忘れる」ための訓練が足りない。
休み明け、昨日の朝も、何か事件が起きていないかと心配になり、パソコンを開く前から胸の動悸が止まらなかった。日常生活では不安はほとんど消えたけど、職業上の強い不安はなかなか克服できないでいる。
完全在宅勤務が終了
人事部が週2日の出社を義務付ける方針を打ち出した。11月から。
不安は大きい。見知らぬ人に囲まれて8時間も過ごすことは苦痛でしかない。私に任されている業務は多くはなく、出社したところでヒマを持て余すことになるだろう。それも辛い。その一方で、いまのような怠惰な暮らしをいつまでも続けるわけにはいかないとも思う。
原則在宅勤務となったのは昨年の4月。感染拡大防止のために在宅勤務が始まった一昨年の3月から数えると、およそ2年半のあいだ、気楽に過ごしてきた。まず通勤に慣れることから始めなければならない。
上手に慣れていけば、適度な緊張感を持って、メリハリのある生活サイクルで暮らすことができるだろう。
生活リズムが変われば、何か新しい刺激や発見、心境の変化があるかもしれない。
悩んでいても事態が変わるわけではない。できるだけ前向きにとらえるようにする。
さくいん:労働
先週木曜日。秋休みの初日に図書館で借りてきた。目当ては「特集 Mac"スゴ技"上達テクニック - 100個の厳選便利技で目指せ・脱ビギナー!」。
紹介されている"スゴ技"のうち、1/3程度は知っていた。1/3は便利そうなので覚えたい。残りの1/3は理解できなかった。
新しいOSで追加になった機能は知らなかったり、理解できなかったり、要するに自分には使いこなせないように思えた。
ショックだった。新しいテクノロジーに追いつけなくなっていることに気づいたから。
初めてiPhoneを手にしたのは2009年のこと。ほどなくしてMacBookも買った。当時は、すべての機能を理解できていたし、使いこなせてもいた。ところが、最近では、OSのアップデートがあるたびに追加される機能、とくにiOSでもMacOSでも、自分好みにカスタマイズできる機能は使いこなせていない。動画編集もしてみたことがない。
思い返すと、最近は新しい機能について子どもに教わることも多くなった。
高齢になってからITを学んでアプリまで開発した人の話を聞いたことがある。確かに、人はいくつになっても学ぶことはできる。好奇心は長生きの秘訣でもあるだろう。
新しい機能を使ってみたいという好奇心はあるか。学び続ける意欲はあるか。
そう問われると、今は下を向いてしまう。
ちょっと疲れてんのかな
さくいん:Apple
複雑性PTSDでは、「トラウマ的な出来事が秘匿されていることがある」というツィートを見た。
「秘匿される」とはどういうことか。本人でさえも気づかない、ということだろうか。
さらに疑問がわく。親による虐待や教員による体罰を「愛のムチ」と自分のなかで合理化してしまう場合も秘匿に当てはまるのか。
長いあいだ私は体罰を「正しい」ものと信じていた。暴力をふるう教員を慕っていたし、結婚式に呼ぼうとさえしていた。
テレビドラマなどの暴力シーンや学校と名のつく場所を忌避していることに気づいて、ようやくあれが単なる「感情にまかせた暴力」だったとわかった。
気づいたことで、余計に不快な感情が気になるようになった。
自分自身では、PTSDと病名を診断されるほど深刻ではないと思っている。ただ、心の傷は浅くない。暴力の場面を見ると胸の動悸が激しくなり、辛い気持ちになり、目をそらしたくなる。実際に自分が目撃した暴力も思い出す。
うつ病の治療で通院しているS医院でもPTSDとは言われていない。むしろ「なるべくそのことについて考えないように」と助言されている。意識すればするほど、傷口が広がるからだろう。
とはいえ、暴力を見たときの反応は少し過剰ではないかとも思う。病名はどうでもいい。この過剰な反応を緩和する方法を誰か教えてほしい。
続く。
さくいん:体罰、うつ病、S医院
忘れるしかないのか
昨日の続き。
先日、10代の頃に父親から性被害を受けた女性が40歳になって父親を告訴をしたところ、時間が経ちすぎているので権利が消滅しているという判決が出た、とニュースで見た。
それならば、30年前の教員の「暴行事件」も、裁判所は聞き入れないだろう。
被害者は一生被害者。
件の女性はそう話していた。まったくその通りと思う。相手は忘れているかもしれないが、こちらはずっと苦しんでいる。不公平なこと極まりない。
ときどき、彼らに復讐をする夢を見る。同窓会に行き皮肉な言葉で彼らを問い詰める夢も見る。どちらも現実にはならないだろう。
復讐したところで自分が刑事罰を受けるだけで何の徳もない。同窓会には行く気もない。
とすれば、心に平和を取り戻すためには、あの「暴力の記憶」は忘れるしかない、ということになるのか。
どうすれば忘れられるだろう。記憶というものは自由に変えたり消したりできるものではない。では、どうすればいいのか。
忘れてはいけない、という思いもないわけではい。80年代の「規則と暴力」にしばられた教育現場を伝え継がなければいけない。それができるのは自分しかいない。そう思うこともある。
この件については、医師を含めて共感してくれる相手もいない。とても苦しい。
さくいん:体罰、80年代
天気がよいので神田古本まつりへ行ってみた。御茶ノ水まで電車に乗り、坂を下った。
建て替え中の三省堂の前から靖国通り沿いに神保町まで歩いた。通りは古書店のワゴンとたくさんの人で、なかなか前に進まないくらいだった。
ゆっくり見ながら歩いたけれど、残念ながらピンと来るものは見つからなかった。以前、70年代の『少年ジャンプ』を買ったお店は廃業していた。
うどんを食べてから地下鉄に乗り、最寄り駅の前にあるカラオケ店に入った。
今日、初めて歌った曲。オフコース「忘れ雪」、鶴田浩二「異国の丘」、大滝詠一「Water Color」。いつも歌い始めは声がかすれて出ない。30分くらい歌うと調子がよくなってくる。
カラオケは追悼の時間でもある。いつも挽歌を3曲歌う。桑田佳祐「風の詩を聴かせて」、Mr.Children、「himawari」、Ray Charles, "Georgia on My Mind"。
3時間歌ったのでスッキリした。最後は松山千春「大いなる愛よ夢よ」で〆た。
さくいん:70年代、『少年ジャンプ、オフコース、大滝詠一、鶴田浩二、桑田佳祐、Mr.Children、Ray Charles、松山千春