秋田の民家
大山家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和48年2月23日指定) 秋田県山本郡三種町鵜川飯塚62 建築年代/江戸時代(19世紀中頃) 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 昭和初期の食糧増産計画の中で実施された大干拓地として著名な八郎潟から東北方向へ5km程内陸部の沢目に所在する農家建築である。当家の由緒等については不詳であるが、村役を務めたとされている。口伝によると源氏の侍大将が土着したとも伝えられる。主屋の下手側に馬屋中門を突き出す片中門造で、形状的には曲屋形状であるが、岩手県に見られる南部の曲屋とは入口と馬屋の位置から別モノと区別される。当住宅が所在する旧鵜川村飯塚集落は地域的には久保田藩領に属するが、不思議なことに岩手県北部の南部藩領に散見される民家形式の影響が見られる。江戸期に書かれた紀行文には当地域の住宅が乞食家同然の有様と書かれているが、当住宅の建築的な水準の高さは全くの別モノである。 ▼個別解説ページへ |
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奈良家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和40年5月29日指定) 登録有形文化財 (平成18年3月2日登録) 秋田県秋田市金足小泉上前8 建築年代/江戸時代(宝暦年間1751-64) 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 (座敷蔵・南米蔵・北米蔵・文庫蔵・味噌蔵・新住居・北野小休所は登録有形文化財) 秋田は云わずと知れた豪雪地域であるが、秋田の家はそれに負けず劣らず重い風情を醸している。当住宅は秋田市北郊に位置する旧金足村に所在する大邸宅である。主屋の周囲に多くの付属建物群が散在するが、どこからどこまでが屋敷内なのか判らない程に開放的な屋敷構えで、塀を廻らせ警戒色の強い旧家が多い中で異色の存在である。主屋は桁行12間、梁間7間の本体部と、その両脇から上手中門、下手中門が突き出す両中門造で、内部の造作においても力強い風情を随所に醸し、「巨大民家」の称号を授与したくなる。当家の祖先は慶長年間に大和国小泉より来住した農家であったとのことであるが、誇る家柄も無い余所者が如何にして、このような屋敷を構えることができたのか、想像するだけでも楽しい。 ▼個別解説ページへ |
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三浦家住宅 | 市指定文化財⇒国指定に格上げ (平成18年12月19日指定) 秋田県秋田市金足黒川字黒川178 建築年代/文久元年(1861) 用途区分/農家(肝煎) 指定範囲/主屋・米蔵・文庫蔵・味噌蔵・土蔵・馬小屋・表門・鎮守社 公開状況/非公開 黒川館と呼ばれる中世豪族の居館跡に建てられた地主屋敷。 建物は1861年の建築。県下最大級の土間を持つ。 主屋以外に味噌蔵、米蔵等が建つ。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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嵯峨家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和48年2月23日指定) 秋田県秋田市太平目長崎217 建築年代/江戸時代(18世紀前半) 用途区分/農家(肝煎) 指定範囲/主屋・北米蔵 公開状況/公開 秋田市の東郊に所在する目長崎村の旧肝煎屋敷である。秋田市民から故郷の山として親しまれる大平山の山麓に屋敷は位置し、秋田県の日本海側において典型とされる両中門造の堂々たる主屋を構える。戦国時代には当地を治めた大江氏に仕えたという家柄で、大江氏が秋田郡の覇者・安東氏の軍門に降った際に土着・帰農したと伝わる。江戸時代の漂泊の地誌学者・菅江真澄が大平山参詣登山の際に逗留し、記録に残した家でもあり、当時から由緒を誇る旧家であったことが知られる。また幕末には鷹狩りに訪れた久保田藩主・佐竹候も立ち寄ったという。建物には旧材が多用されており、解体修理前には18世紀前半頃の建築と見立てられていたが、修理の過程で19世紀前半と判明している。 ▼個別解説ページへ |
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黒澤家住宅 | 国指定重要文化財 (平成元年5月19日指定) 秋田県秋田市楢山石塚谷地297-99 (移築) 旧所在地/秋田県秋田市中通3丁目 建築年代/江戸時代(18世紀前半) 用途区分/武家(禄高500石・山奉行、寺社奉行) 指定範囲/主屋・表門・土蔵・米蔵・木小屋 公開状況/公開 JR秋田駅の南東方向の丘陵地に拡がる一つ森公園内に移築保存されている武家屋敷である。元々は久保田城の三の郭に所在していたが、繁華な現地での維持が困難となり、昭和63年、緑深い現在地に移された。正面に石置き屋根の長大な長屋門を構え、座敷棟と台所棟から成る主屋は正面に梁や束が縦横に交差する真壁造の切妻面を見せる堂々たる建前で、久保田藩佐竹家20万石の重臣として藩政初期から仕えた由緒に相応しいものである。一般に粗末な建前が多い武家住宅にあって、積雪対策もあってか、木割は太く、重厚な構えが魅力である。国内でも意外と少ない上級武家住宅の遺構としても貴重なものである。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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草g家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和50年6月23日指定) 秋田県仙北市田沢湖町生保内下堂田18 建築年代江戸時代(19世紀中頃) 用途区分/農家 指定範囲/主屋・土間 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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鈴木家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和48年2月23日指定) 秋田県雄勝郡羽後町飯沢先達沢52 建築年代/江戸時代(17世紀末) 用途区分/農家(肝煎) 指定範囲/主屋・土蔵 公開状況/公開 雄物川の扇状地として拓けた湯沢盆地から西へ少し入った山間地に所在する旧肝煎屋敷である。西馬音内川の谷筋に西面して建つ主屋は土間側を極端に突出させた片中門造の建前で、非常に品の良い姿をした建物である。当家は源義経の郎党であった鈴木三郎重家を祖とする家柄と伝え、事実であれば当地に土着して優に800年以上の歳月を経た旧家である。昭和57年に実施された解体修理の際に地下調査も行われ、その結果、掘立柱の前身建物の遺構が確認されている。主屋の建築年は17世紀末と推測されていることや慶長年間の検地帳にもその名が確認されていることから、相当に早くから土着したことは疑いのところであるらしい。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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佐藤家住宅 | 国指定重要文化財 (平成29年2月23日指定) 秋田県横手市増田町増田字中町63 建築年代/明治初期(明治4年伝承) 用途区分/商家(荒物商・味噌醤油販売) 指定範囲/主屋・文庫蔵 公開状況/非公開 県南の横手盆地の東南端に位置する旧増田町の中心市街地に所在する町家建築である。平成25年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された町並のほぼ中央部、町内を南北に縦貫する街道筋に東面して建つ。敷地は間口8.7m、奥行111mの極端に細長い形状で、表側より主屋、蔵前、文庫蔵が一列に配される。当家は北隣にあった佐藤又十郎家からの分家筋で代々又六を襲名している。明治中期には荒物商を営み、増田銀行の設立に関わったとされることから相応の商家であったことが窺われる。当住宅の最大の特徴は、土蔵造の主体部全体を鞘で覆う特異な建前で、寒冷対策と深雪対策の双方を満たすように考えられた類を見ないものとなっている。主体部の漆喰装飾や鞘部の妻面の木組装飾など、見所の多い住宅である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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松浦家住宅 | 国指定重要文化財 (平成29年2月23日指定) 横手市指定文化財(平成21年5月25日指定) 秋田県横手市増田町増田字七日町139 建築年代/明治初期(明治22年) 用途区分/商家(生糸仲買商)・実業家 指定範囲/主屋・座敷蔵・米蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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土田家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和48年2月23日指定) 秋田県由利本荘市矢島町元町字相庭館9 建築年代/江戸時代(17世紀後半) 用途区分/農家 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 東北の名峰・鳥海山の北麓にある矢島町の中心部に所在する農家建築である。当家は木曽義仲の重臣で木曽四天王の一人と称された根井(根縫井)小弥太正重の末裔と伝える家柄で、中世には由利十二頭に列せられた国人領主として当地を支配したが、江戸初期に帰農して当姓を名乗ったという。主屋は帰農し延宝6年(1676)に没した初代・清左衛門が建てたと伝承されており、手斧仕上げの栗柱が一間毎に立つ古式な建前で、東北最古級の住宅建築である。現在は座敷側に中門を突出させる片中門造となっているが、解体修理以前は土間側にも中門を突出させる両中門造の姿であったが、後世の改造との判断により取り除かれている。建築当初から上座敷には天井や長押が設えられ、一般の農家ではなかったことを暗示する造作も興味深い。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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工藤家住宅 | 秋田県指定文化財 (平成24年3月23日指定) 秋田県鹿角郡小坂町小坂字中小路62-1 建築年代/明治18年(1885) 用途区分/御給人・地主 指定範囲/主屋 公開状況/公開(要予約) 「中小路の館」 秋田県最北に位置する小坂町は、嘗て銅の採掘で栄えた鉱山町として知られるが、現在では往時の洋館を利用した産業遺産の町として売り出し中である。工藤家は藩政期には御境古人という藩境管理の役儀を務めた給人、いわゆる在地武士階級の家柄で、明治期以降は地主となり、大正期から昭和初期の当主・茂太郎氏は小坂町長を3期に亘り務めた名家。住宅は桁行25m、梁間16.6mの大規模な直屋造で、嘗ての建前を模倣して明治期に再建されたと伝えられるものの、玄関から取次を経て、次ノ間、座敷と続く接客空間は、床ノ間の設えも含めて当時の郷士階級に許された造作を遥かに凌駕するもので、やはり明治期の建築である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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黒沢家住宅 | 秋田県指定文化財 (昭和61年3月25日指定) 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内字本町124 建築年代/江戸後期 用途区分/商家(染屋)・肝煎 指定範囲/主屋・内蔵 公開状況/非公開 宝永年間(1704-11)に染屋を開業し、屋号も染屋と号した。江戸後期には西馬音内村の肝煎を務めた。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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鳥潟家住宅 | 秋田県指定文化財 (平成23年3月22日指定) 秋田県大館市花岡町字根井下156 建築年代/昭和11年(1936) 用途区分/肝煎・学者 指定範囲/主屋・離れ・土蔵・表門・社殿・茶室・中門・四阿 公開状況/公開 大館の中心市街から北方郊外へ少しばかり足を延ばした場所に所在する近代和風建築及び庭園である。鳥潟家は慶長年間から当地で続く旧家で、藩政期には花岡村の肝煎を代々務めたとのことであるが、当邸宅を整備したのは昭和年間に第17代当主であった鳥潟隆三氏で、彼は京都帝国大学医学部の教授でコクチゲン創製の功績によりノーベル医学賞候補にもなり日本外科学会会長も務めたという学者である。2500坪弱の広大な敷地の北西隅に建てられた主屋は約240坪の巨大な建築。1760年代初頭に建てられた建物を曳家し、これに数寄屋風の座敷を増築するなど大改造が施されている。この新旧が混在する建物は意外に見所が多く、私の中では高評価民家である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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青柳家住宅 | 秋田県指定史跡 (昭和48年7月12日指定) 秋田県仙北郡角館町表町下丁3番地 建築年代/安永元年(1772)推定 用途区分/武家(禄高47石)・大地主 残存建物/主屋・薬医門・文庫蔵・味噌蔵・道具蔵 公開状況/公開 重伝建地区に選定される角館を代表する武家住宅である。表通りに面した広大な屋敷の間口は80m弱、黒色の簓子下見板塀を廻らし、大振りな薬医門を構える様子は大身の武家屋敷を想わせる。しかし実際の当家は藩政期を通じて佐竹北家の組下で僅か47石の知行を禄する中級武家程度の存在に過ぎなかったが、幕末に至って不思議なことに当家は家産を急激に蓄え、藩の財政窮乏に対しては御用銀を献上するほどに成長し、明治期に至っては田畑を93町歩程を所有する程の大地主に変貌を遂げている。封建制度の崩壊による混乱期に、幸いにして商才に長けた御当主がおられたのであろう。しかし主屋の最たる特徴として正玄関、中玄関を唐破風屋根とする点は、藩政期の家格を考えたとき、余りにも格式の高い体裁であり、これが明治以降の改造の結果だとすれば、人間って何だろうと考えさせられる。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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岩橋家住宅 | 秋田県指定史跡 (昭和48年12月11日指定) 秋田県仙北郡角館町東勝楽丁3-1 建築年代/江戸時代 用途区分/武家(禄高75石〜86石) 残存建物/主屋・薬医門 公開状況/公開 角館の重伝建地区内に所在する武家屋敷である。当家は藩政当初に75石、幕末期には86石程の知行を取り、角館を領有していた佐竹北家の組下においては上級に属する武家であった。武家屋敷は、藩政時代においては役替え等による屋敷移りや、明治維新の秩禄奉還による家産処分などにより、所有者が変遷をたどることが意外に多く見受けられるのだが、当家は記録の上では享保年間よりずっと現在地に住み続けたようである。これは現在においても往時の風情を比較的よく残す角館においても稀有な例である。建物は当初は茅葺であったらしいが、明治30年頃に木羽葺に改められ現在に至っている。当家の特色のひとつに角館に残存する多くの武家住宅と異なり、座敷の縁を土縁形式としていない点がある。上級の武家住宅にしては簡素な造りといわざるを得ない。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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松本家住宅 | 秋田県指定文化財 (平成14年3月19日指定) 秋田県仙北郡角館町小人町4 建築年代/江戸末期 用途区分/武家 指定範囲/主屋・離れ 公開状況/公開 角館城下で主に下級武士が集住した小人町に所在する小規模な武家屋敷である。表町に所在する大屋敷の黒板塀越に通りを覆わんとばかりに桜が枝垂れる風雅な様子とは異なり、柴垣で境界を仕切り、その奥に茅葺の小屋根に杉皮葺に石置屋根の正面庇を突き出す小住宅の簡素な様子は、これはこれで安堵感を与えてくれるものである。松本家は、そもそもは秋田藩主・佐竹家の重臣、今宮家の組下で、重伝建地区に選定される内町地区の南東に拡がる田町地区に屋敷を構えていた。江戸初期に角館の支配に佐竹北家が起用されると、その組下に転属し、現在地に移り住むこととなった。建物は、松本家が藩政期に過ごした住居が明治33年の大火で灰燼に帰したため、田町にあった石井家の住居を移築したものである。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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長岐家住宅 | 北秋田市指定文化財 (平成元年10月1日指定) 秋田県北秋田市七日市字囲ノ内4 建築年代/文政13年(1830) 用途区分/肝煎 指定範囲/主屋 公開状況/不定期に公開 県北の大館能代空港の南東に位置する七日市集落に所在する旧肝煎屋敷である。嘗ては阿仁街道と称された国道105号線に西接して広大な敷地を有する当住宅は、単なる肝煎家の役宅というだけに止まらず、秋田藩主・佐竹候の領内巡検時には本陣としても利用されたという来歴を持つ。角屋造の主屋のうち、主体部は役宅的な色彩が濃く、座敷を中心とする畳敷の部屋のみで構成された間取りで、土間や台所といった生活空間は下手に突出した角屋部分に全てまとめられる特異な建前となっている。現在は屋根を亜鉛鉄板葺とするが、そもそもは杉皮葺石置屋根で、街道に面した妻側に藩侯を迎える本玄関を構え、僧侶等の出入口となる内玄関は平側に配するなど、かなり格式に拘った演出が散見される建物となっている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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松倉家住宅 | 秋田県指定文化財 (平成29年3月24日指定) 秋田市指定文化財 (平成3年7月18日指定) 秋田県秋田市旭南2-7-29 建築年代/明治36年 用途区分/灯油業・地主 指定範囲/住宅・土蔵2棟 公開状況/非公開 |
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旧金子家住宅 | 秋田市指定文化財 (平成9年10月22日指定) 秋田県秋田市大町1-3-31 建築年代/明治20年頃 用途区分/商家(呉服・太物商) 指定範囲/主屋・土蔵 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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山中家住宅 | 横手市指定文化財 (平成29年4月24日指定) 秋田県横手市増田町増田字中町105 建築年代/明治後期〜大正期 用途区分/ 指定範囲/主屋・蔵座敷 公開状況/非公開 主屋は梁間5間半、桁行23間、座敷蔵はトラス構造の鞘で覆われ、梁間4間、桁行7間の昭和10年の建築。 |
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旧守徳堂 村田薬局 |
横手市指定文化財 (平成29年4月24日指定) 秋田県横手市増田町増田字七日町147 建築年代/明治後期〜大正 用途区分/商家(薬局) 指定範囲/店蔵・主屋・座敷蔵・味噌蔵 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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石田理吉家住宅 | 横手市指定文化財 (平成21年5月25日指定) 秋田県横手市増田町増田 建築年代/昭和12年(1937) 用途区分/酒造業 指定範囲/主屋及び座敷蔵 公開状況/公開 文政2年(1819)に石田久兵衛家より分家し、戦前まで「金星」銘柄で酒造業を営んでいた。木造3階建の住居は増田町内でも珍しく、和室と洋室が混在する和洋折衷の建物である。主屋の奥には内蔵が繋がっており、1階を板の間と床の間を設けた座敷とし、2階を収蔵庫とした、座敷蔵となっている。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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谷藤家住宅 | 横手市指定文化財 (平成25年7月23日指定) 秋田県横手市増田町増田字上町67 建築年代/昭和初期 用途区分/ 指定範囲/主屋・座敷蔵・味噌蔵 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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石黒家住宅 | 仙北市指定史跡 (昭和50年8月6日指定) 秋田県仙北市角館町表町下丁1 建築年代/文化6年(1809)頃 用途区分/武家(20石・御小姓・吟味役・勘定役) 残存建物/主屋・薬医門・土蔵 公開状況/公開 当家は角館の所預職にあった佐竹北家の初代・義隣公により召抱えられ、吟味役、勘定役といった財務官僚として活躍した20石取りの中級武士であった。しかし石高は低かったものの、幕末になって田地の集積を著しく進め、屋敷についても現在地周辺の土地を買い求め、現在の姿に見られるような大邸宅へと変貌した。明治維新後の混乱期にあって、石高は低かったものの殖産興業的な政策が奏功して地力を蓄えた中級武家階級が、金融業に携わることで更に勃興していく過程があったようである。明治23年発行の秋田県の大地主名鑑にも河原田家などと共に当家も名を連ねるまでになったことが確認される。主屋は文化6年(1809)頃の建築で、角館でも最も古く、整形四間取に近い素直な建前で、屋根を茅葺とし、土間も広く取る姿は農家建築から発展して武家風に格を高めたような設えである。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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河原田家住宅 | 仙北市指定史跡 (昭和50年8月6日指定) 秋田県仙北郡角館町東勝楽丁9番地 建築年代/明治中期 用途区分/武家(禄高26石)・地主・県議会議員 残存建物/主屋・薬医門・文庫蔵・米蔵・板倉 公開状況/公開 河原田家は鎌倉時代に会津伊南郷を領有した地方豪族を源とするものの、藩政期にはわずか26石程の知行を禄するに過ぎない中級武家であった。屋敷も現在の表町ではなく裏町に在ったらしいが幕末から明治維新の頃に地主に転じた後に急成長を果たし、明治20年頃には県内多額納税者にも名を連ねるとともに県議会議員を幾度も務めるまでに変貌を遂げた。そして、この頃に表町へ屋敷を移転するとともに、以後農業開発、水力発電事業等を興して地域に多大な貢献を果たしたという。現在の当住宅は座敷前の苔庭がとても美しく落ち着いた雰囲気で、悠久の時の流れさえも感じさせてくれる風情であるが、実は当屋敷地における歴史は決して長いものではなかったのである。現在の角館の類稀な美しい町並は、武家地としての歴史に端を発しながらも、ただ安穏としてそのまま残った訳ではない。近代化の荒波を乗り越えるべく実業家へと変貌を遂げた時代の成功者たちが藩政期には果たせ得なかった上級武家への憧憬を実際に掴み取ることで歴史が引き継がれた故のことなのである。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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小田野家住宅 | 仙北市指定史跡 (昭和50年8月6日指定) 秋田県仙北郡角館町東勝楽丁10 建築年代/明治33年以降 用途区分/武家 残存建物/主屋 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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櫻場家住宅 (櫻櫓館) |
登録有形文化財 (平成11年7月8日) 秋田県大館市中城13-3 建築年代/昭和8年(1933) 用途区分/町長 登録範囲/主屋 公開状況/公開 県北の中核都市・大館市の中心部、大館郵便局の裏手に所在する昭和初期建築の近代和風建築である。当住宅は大館に市制が施行される直前の、最後の町長を務めた桜場文蔵氏の私邸として建てられたもので、桜の名所である旧大館城址に隣接し、2階屋根上に望楼を備えることから桜櫓館と命名されている。現在は、平成初期に住宅を解体撤去し更地売買される計画が持ち上がった際、これを惜しんだ成田欽治氏が購入、維持管理されておられる。望楼を備えながらも数寄屋的な風情を醸す特異な書院建築は、雛なる地には稀なる存在である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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渡辺家住宅 | 登録有形文化財 (平成18年3月27日登録) 秋田県鹿角市八幡平字石鳥谷63 建築年代/明治25年(1892) 用途区分/在郷武家 登録範囲/主屋・表門・土蔵 公開状況/公開(要予約) ▼個別解説ページへ(製作中) |
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渡辺彦兵衛商店 | 登録有形文化財 (平成8年12月20日) 秋田県南秋田郡五城目町下夕町48 建築年代/大正14年(1925) 用途区分/酒造業 登録範囲/事務所住宅・上蔵・下蔵 公開状況/店舗として営業中 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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國萬歳酒造 | 登録有形文化財 (平成17年11月10日登録) 秋田県秋田市新屋元町23-9 建築年代/大正4年(1915) 用途区分/酒造業 登録範囲/主屋・洋館・室・?場・作業場・北仕込蔵・南仕込蔵 公開状況/店舗として営業中 秋田市の南郊、新屋町に所在する酒造屋敷である。新屋町は酒田街道の宿駅として栄えた土地柄であるが、雄物川の河畔にあり領内で獲れた米穀の入手が容易であったこと、町の西側にある新屋砂丘に降った雨水が町内各所で清水として湧き出したことにより江戸中期から酒造が盛んな地域として知られた。明治期には12軒もの酒造家が軒を連ねたが、現在は当家のみが事業を継続している。明治41年(1908)創業した当初は「萬歳」銘柄であったが、日露戦争の勝利に因んで「國萬歳」と改めたとのことである。 ▼個別解説ページへ |
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旧高彦製麺所 | 登録有形文化財 (平成22年4月28日登録) 秋田県秋田市新屋元町127-1 建築年代/昭和15年頃(1940) 用途区分/製麺業 登録範囲/店舗兼主屋及び土蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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旧佐藤家住宅 | 登録有形文化財 (平成15年7月1日登録) 秋田県秋田市上北手荒巻字堺切24-2 建築年代/昭和10年(1935) 用途区分/ 登録範囲/主屋・土蔵 公開状況/研修施設 【ゆとり生活創造センター昭和館】 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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旧大宮家住宅 (里の家) |
登録有形文化財 (平成16年3月29日登録) 秋田県秋田市雄和妙法字糠塚21 旧所在地・秋田県秋田市雄和町相川字銅屋 建築年代/明治17年(1884) 用途区分/農家(肝煎) 登録範囲/主屋 公開状況/公開 明治15年の銅屋大火後に再建された旧肝煎の住居。昭和62年に旧雄和町に寄贈され移築。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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小山田家住宅 (強首樅峰苑) |
登録有形文化財 (平成11年10月14日登録) 秋田県大仙市強首268 建築年代/大正5年(1916) 用途区分/農家 登録範囲/主屋 公開状況/旅館として営業中 強首は秋田空港の南東方向、雄物川が大きく蛇行する低湿地にあり、明治期に至って大々的な干拓事業に成功し、今では碁盤目状に区画された広大な田圃が拡がっている。小山田家は当地の豪農で、大正期の長者番付でも県内18番目の多額納税者として名を連ねた程である。現在は温泉宿として営業中で、温泉は「日本秘湯の会」に名を連ねるほどである。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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渡邊家住宅 | 登録有形文化財 (平成23年1月26日登録) 秋田県仙北市角館町横町51-1 建築年代/明治後期 用途区分/ 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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本郷家住宅 | 登録有形文化財(平成28年11月29日登録) 秋田県大仙市角間川町西中上町19 建築年代/明治33年(1900) 用途区分/大地主 登録範囲/主屋・洋館・文庫蔵味噌蔵 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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鈴木家住宅 | 登録有形文化財 (令和2年4月3日登録) 秋田県大仙市長野字二日町9 建築年代/明治中期 用途区分/酒造業 登録範囲/事務所兼主屋・上座敷・文庫蔵・前蔵・仕込蔵・北蔵・中蔵及び袖蔵 公開状況/酒造店として営業中 元禄2年(1689)創業の老舗酒造屋敷である。当住宅が所在する長野町は大曲と角館の中間に位置し、玉川水運の湊町として、また角館街道の宿場町として江戸初期より栄えた土地柄である。当家は酒造家としては東北屈指の古い歴史を有する存在ではあるが、現在に残される建物群は明治中期〜大正期に整備されたもので、近代和風建築に区分される。しかしながら、その屋敷が醸す風情は旧家たる近世町家そのものである。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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旧伊藤家住宅 | 登録有形文化財 (平成12年4月28日登録) 秋田県大仙市内小友字中沢171-4 旧所在地・秋田県仙北郡田沢湖町の田沢字大谷地14 建築年代/明治33〜36年(1900-1903) 用途区分/農家 登録範囲/主屋 公開状況/公開 【秋田県立農業科学館内】 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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戸田家住宅 | 登録有形文化財(平成11年2月17日登録) 秋田県横手市黒川余目196 建築年代/大正5年1916 用途区分/農家 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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小西家住宅 | 登録有形文化財 (平成21年4月28日) 秋田県横手市雄物川町薄井94 建築年代/昭和15年(1940) 用途区分/ 登録範囲/主屋・座敷蔵・文庫蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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浅舞酒造 | 登録有形文化財 (平成16年3月29日登録) 秋田県横手市平鹿町浅舞字浅舞388 建築年代/昭和前期 用途区分/酒造業 登録範囲/店舗・仕込蔵・貯蔵蔵及び作業場・吟醸蔵及び?場 公開状況/店舗として営業中 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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日の丸醸造 | 登録有形文化財 (平成14年2月14日登録) 秋田県横手市増田町増田字七日町114-2 建築年代/明治末期 用途区分/酒造業 登録範囲/店舗・麹蔵・西蔵・東前蔵・東後蔵・南蔵・文庫蔵・中央蔵 公開状況/公開 |
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佐藤三十郎家 住宅 |
登録有形文化財 (平成21年8月7日登録) 秋田県横手市増田町増田字七日町147 建築年代/明治11年(1878) 用途区分/ 登録範囲/店舗兼主屋及び座敷蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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勇駒酒造 | 登録有形文化財 (平成14年2月14日登録) 秋田県横手市増田町字増田字中町64 建築年代/大正末期 用途区分/商家(酒造業) 登録範囲/店舗・東蔵・西蔵・南蔵 公開状況/非公開 |
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山中吉助商店 | 登録有形文化財 (平成22年9月10日登録) 秋田県横手市増田町増田字中町104 建築年代/明治19年(1886) 用途区分/ 登録範囲/座敷蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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興文館東海林書店 | 登録有形文化財 (平成21年8月7日登録) 秋田県横手市増田町増田字中町100 建築年代/明治2年(1869) 用途区分/ 登録範囲/店舗兼主屋及び座敷蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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鈴木家住宅 | 登録有形文化財 (平成9年5月7日登録) 秋田県横手市塚堀114 建築年代/元治元年(1864) 用途区分/農家 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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加藤茶舗 | 登録有形文化財 (令和3年2月4日登録) 秋田県横手市十文字町曙町7-3 建築年代/大正後期 用途区分/商家 登録範囲/店蔵 公開状況/飲食店舗として営業中 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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両関酒造 | 登録有形文化財 (平成8年12月20日登録) 秋田県湯沢市前森4-3-18 建築年代/大正12年(1923) 用途区分/商家(酒醸造業) 登録範囲/本館・1号蔵・2号蔵・3号蔵・4号蔵 公開状況/店舗として営業中 国による有形文化財の登録制度ができたときに第1回目の登録対象となった酒造屋敷である。横手盆地の南端に位置する旧湯沢町に所在し、町を縦貫する旧羽州街道に西面して屋敷を構える。本館は主屋と事務所を兼ねた建物で、江戸時代以来の町家の伝統的な建築様式を引き継ぎ、一層の開花と意匠の充実が際立つ、とされている。 ▼個別解説ページへ |
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山内家住宅 | 登録有形文化財 (平成19年10月2日登録) 秋田県湯沢市吹張2-1-4 建築年代/昭和初期 用途区分/商家(呉服商) 登録範囲/主屋・商品蔵・道具蔵・文庫蔵・穀蔵・裏座敷・車庫 公開状況/非公開 嘗て湯沢は佐竹南家の城下町であり、羽州街道と小安街道が交わる要衝地で秋田城下への玄関口として栄えた在町。当住宅はその中心部に所在する商家建築である。湯沢は銘酒の産地として知られ、「東北の灘」とも称される程の土地柄であったが、現在は旧街道沿いにも往時の町家遺構は殆ど残されておらず、唯一、当住宅のみが異彩を放っている状況である。当家は安永年間(1780頃)に山内市兵衛家から分家したことに始まり、文化元年(1804)から昭和にかけて呉服商を営んだという。梁を重ねた重厚な切妻面を正面に見せ、深緑の釉薬瓦を屋根に載せた堂々たる姿は、力強い印象。鰻の寝床状の敷地奥に続く土蔵群が当家の豪商振りを示している。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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阿部家住宅 | 登録有形文化財 (平成18年3月27日登録) 秋田県雄勝郡羽後町田代字尼沢140 建築年代/明治中期 用途区分/ 登録範囲/主屋・小屋・土蔵 公開状況/非公開 主屋は桁行10間半、梁間5間半、正面中央に桁行6間の中門が付属。切妻造茅葺の小屋は明治28年、土蔵造2階建の土蔵は明治26年の建築。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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旧対川荘 | 登録有形文化財 (平成23年1月26日登録) 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内字川原田12-2 建築年代/明治後期 用途区分/ 登録範囲/主屋 公開状況/レストランとして営業中 庭園建築。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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大井家住宅 | 登録有形文化財 (平成16年11月8日) 秋田県由利本荘市矢島町館町59 建築年代/大正5年(1916) 用途区分/商家 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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八森苑 | 登録有形文化財(平成16年3月2日登録) 秋田県由利本荘市矢島町矢島町55 建築年代/明治10年(1877) 用途区分/ 登録範囲/ 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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佐々木家住宅 | 登録有形文化財 (平成14年2月14日登録) 秋田県由利本庄市前郷字前郷207 建築年代/大正3年(1914) 用途区分/地主 登録範囲/主屋・養老閣・文庫蔵小便所 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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斎彌酒造店 | 登録有形文化財 (平成10年9月2日登録) 秋田県由利本庄市石脇字石脇53 建築年代/明治35年(1902) 用途区分/商家(酒造業) 登録範囲/住宅店舗・事務所・旧米蔵・釜場・漬物蔵・中蔵・西蔵・東蔵・壜蔵・文庫蔵・門 公開状況/酒造会社として営業中 ▼個別解説ページへ(作成中) |
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佐々木家住宅 | 登録有形文化財 (平成28年11月29日登録) 秋田県由利本庄市岩城亀田大町字肴町14 建築年代/明治中期 用途区分/商家(呉服商・米穀業) 登録範囲/主屋・米蔵・人形蔵(元文庫蔵) 公開状況/非公開 (佐々木利三郎家住宅) ▼個別解説ページへ(作成中) |
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旧畠山家住宅 | 無指定・公開 秋田県山本郡三種町鹿渡字東小瀬川51 旧所在地・秋田県山本郡三種町上岩川入通 建築年代/明治初頭 用途区分/農家 公開状況/公開 【琴丘町歴史民俗資料館】 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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長谷山家住宅 | 無指定・公開 秋田県雄勝郡羽後町田代字梺67-3 建築年代/明治15年(1882) 用途区分/地主 残存建物/主屋・土蔵及び土蔵高楼 公開状況/公開 【羽後町総合交流促進施設】 湯沢市の西方に位置する羽後町の旧田代村に所在する地主邸宅である。集落全体を睥睨する最奥部の高台に鎮座する住宅は、現在は鉄板葺に改められてはいるが、そもそもは茅葺で土間部を前方に突き出す巨大な中門造建築である。上手の座敷側から渡り廊下により繋がる右前の高楼は土蔵を保護するための鞘状建物で、土蔵の屋根上に位置する三階に座敷を設える特異な様式である。こうした事例は全国の民家を廻る中でも初めて見る例で、封建制から解放されて間もない明治初頭に、単に武家住居を模倣したり、銘木を使用して贅を極めるという方法ではなく、町方文化の華である蔵座敷の手法を大胆に取り入れつつも、そこに止まらぬ人の度肝を抜くような発想に驚かされるとともに拍手喝采である。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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佐藤政忠家住宅 | 無指定・公開 秋田県由利本庄市矢島町矢島32 建築年代/明治2年(1869) 用途区分/武家 残存建物/主屋(座敷棟・台所棟) 公開状況/公開 明治元年の戊辰戦争で焼失した矢島陣屋町は、翌2年の版籍奉還により矢島藩庁が成立したため、町の復興事業が図られた。その際に藩政時代に江戸家老を務めた加川退蔵は矢島藩大参事となり、彼の住居として建てられたものが当住宅である。元来は旧八森陣屋大手門脇の堀端に所在していたが、明治5年に加川家が東京へ転住、その後に住宅を取得した佐藤政忠により現在地へ移築された。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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三平の家 | 無指定・公開 秋田県南秋田郡五城目町馬場目北ノ又 建築年代/不明 用途区分/山村農家 残存建物/主屋 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |