小山田家住宅
Oyamada


 
登録有形文化財 (平成11年10月14日登録)
秋田県大仙市強首268
建築年代/大正5年(1916)
用途区分/農家
登録範囲/主屋
公開状況/旅館として営業中
強首は秋田空港の南東方向、雄物川が大きく蛇行する低湿地にあり、明治期に至って大々的な干拓事業に成功し、今では碁盤目状に区画された広大な田圃が拡がっている。小山田家は当地の豪農で、大正期の長者番付でも県内18番目の多額納税者として名を連ねた程である。現在は温泉宿として営業中で、温泉は「日本秘湯の会」に名を連ねるほどである。


仕事で秋田県に出張した折、予定よりも早くに用事が済み、時間を持て余してしまったので秋田空港周辺で見るべき民家が無いか探していたら、当住宅が検索に引っ掛かった。空港から車で15分も要しない距離に在り、「強首樅峰苑」の看板を掲げて宿泊業を営んでいるとのことであったが、何よりも日本秘湯を守る会に参加しているとのことだから、あわよくば日帰り入浴もできるかもしれない。いそいそとハンドルを切ったのは云うまでもない事であった。
当住宅が所在する大仙市の強首村は、秋田県内を縦断する雄物川が大きく蛇行することで出来たポイントバー(蛇行洲)に営まれた集落で、周囲は肥沃な水田地帯でありながら、一方で河川氾濫による洪水常襲地帯でもあった。最初に当地を訪れた際には、眼前に美しい稲田が拡がり、鄙びた雰囲気を醸す良い集落であったと記憶するが、令和の世に至って久し振りに再訪する機会を得た時には、何やら集落全体に得体の知れぬ違和感を覚えた。最初は秋田市の郊外地として宅地化の波に晒された故かと早合点もしたが、どうも違う。反対に昭和の世が遠くなるに従い、地方の衰退が急速に進みつつあることは十分に承知していたが、そんな自然なものではない。訝しく想い乍ら当住宅の周囲を散策していたら、その答えは住宅の裏手の土手に掲げられた説明看板によってもたらされた。平成14年10月に完成した「輪中堤」の存在である。説明によると、本来であれば強首村全体が雄物川の氾濫原となることを避けるためには川沿いに総延長15kmの大堤防を築く必要があったが、莫大な費用がかかるため住居が建つ集落のみを堤防で囲んで洪水被害から家屋を守るという手法を採ったとのことであった。これにより堤防長さは1/5の約3km程に抑えることに成功したとのことである。「輪中」と称する集落全体を土手で囲むなどの対策は、江戸末頃より濃尾平野などで盛んに行われていたことは承知しているが、現代の輪中は、まるで規模が違う。土手の厚みや高さにしても僅かな越水も絶対に許さないという固い意志を感じるものである。凄いと思う反面、気味が悪いとも感じる。集落の住民が納得の上で選んだ対策工事なのであろうが、何となく空気が淀み、閉塞感が漂っている。今後、集落がどのように変わっていくことになるのか、老婆心ながら案じた次第である。
さて集落の中心地よりやや奥まった位置に在る当住宅は、約2000坪にも及ぶ広大な敷地面積を誇り、樅峰苑の名称どおりに巨大な樅の大木が鬱蒼と茂る屋敷林に囲まれた豪農屋敷である。由緒来歴を重んじる地方の素封家の門構えとしては少し趣が異なる軽快な意匠の表門を潜ると眼前に巨大な主屋が現れる。建築面積は約200坪、建物高さ15mという一般の民家建築としては規格外の大きさである。当住宅を最初に訪れた時には旅館を営んでいるので当初より旅館建築として建てられたものと勘違いをした程であるが、間違いなく当初から豪農の住居として建てられたものである。


嘗ては「強首」の地名の由来ともなった「穂首いもち病」に強い稲が採れる程に見事な水田地帯であった。
当初から旅館として建てられたものと早合点してしまったものの、気軽な気持ちで寄っってみたものの、その特異な外観に度肝を抜かれた。「これは民家なのか」というのが正直な想いで


【備忘】 輪中堤は平成14年10月に完成。 総延長3080mにも及び、堤内面積は約30ha。
      住宅は大正3年3月に発生した強首大地震後に建てられ、大正5年に竣工。