河原田家住宅 Kawarada |
仙北市指定史跡 (昭和50年8月6日指定) 秋田県仙北市角館 建築年代/ 用途区分/地主 残存建物/主屋・表門・文庫蔵・米蔵 公開状況/公開 河原田家は初め下野国河原田(現在の栃木県小山市)に住し、源頼朝に加勢した功績により会津の伊南郷を賜った。会津の豪族として勢力を拡大したが、後に芦名氏に仕え重臣として角館に移り、芦名氏の断絶後には佐竹北家の組下として廃藩まで仕えた。藩政末期には郷校弘道書院の教授を出し、畑駒岳が始めた私塾致道館を継承している。 明治以降は地主として資産を形成し、学者や政治家としても活躍した。河原田家は実業家として広く知られ、河原田水力電気会社を創立、全財産を投げ打って発電所を建設し、仙北地域に初めて電気を灯した。明治期後半には、当時最新の農業技術を広めるため専修学校を設立した。河原田家は明治24年裏町から現在の東勝楽丁に引っ越ししているが、現存する薬医門は旧城下町である神代本町から持ってきた大変古いものと伝えられている。豪壮な薬医門を潜ると屋敷は独特な品格と重厚さを持っている。庭には赤松が風情を添え、武家屋敷と苔の相対は素晴らしく、座敷から見て最も美しいように設計されている。【現地案内看板より】 |