本郷家住宅
Hongou



 
登録有形文化財(平成28年11月29日登録)
秋田県大仙市角間川町西中上町19
建築年代/明治33年(1900)
用途区分/大地主
登録範囲/主屋・洋館・文庫蔵味噌蔵
公開状況/公開

本郷家の沿革
江戸時代の元禄期(18世紀初頭)の頃、庄兵衛なる人が、現在の横手市本郷地区(当時は前郷村本郷)から角間川に来て、能登屋市兵衛方に奉公していたが、その働き振りが評価されて現在地の辺りに独立し、吉右衛門を名乗って本郷家の始祖となりました。3代吉右衛門(宝暦2年~文化8年)が角間川一帯で商いを大きくし、間口も逐次拡げていくとともに、天明期(18世紀後半)頃から耕地を集約して地主(在方商人地主)となり、明治・大正期には二百数十町歩(大正13年/224ha)を所有する秋田県内屈指の大地主となりました。近代の本郷家当主は、いわゆる「秋田の腐れ米」の改善に取り組む秋田改良社の設立(6代の時代)や雄物川通船貨物保険の運営を行うなど、地域の農業や経済の発展に大きく貢献してきました。【現地案内看板より】
  主屋 明治33年(1900)木造平屋一部2階建、鉄板葺、建築面積396㎡
  文庫蔵 慶応3年着工、明治2年(1869)完成 土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積263㎡(鞘屋含)
  洋館 昭和3年(1928)木造平屋建、鉄板葺、建築面積68㎡
  味噌蔵 大正10年(1921)土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積66㎡

角間川は江戸時代から明治30年代にかけて雄物川舟運の中継地として栄えた土地。
明治14年(1881)の明治天皇の東北巡幸の際には、天皇の旅先の御所となる「行在所」が置かれ、当主が拝謁の栄に浴している。
雑誌「中央公論」の校閲部長を務めながら中央の詩壇で活躍し、多くの校歌の作詞家としても知られた詩人・本郷隆は、本郷家7代目当主の3男として、この家で生まれた。
庭園は、明治から大正時代に活躍し、日本近代庭園の祖と称された長岡安平が設計した庭園。当家には当時の庭園設計書ときれいな図面が残されている。
本郷家の建物及び敷地は、平成29年(2017)に本郷家から大仙市に寄附された。

 

 

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