東海道五十三次 |
安土桃山時代、徳川家康は、豊臣秀吉の命により駿河から江戸に移封になり、天正18年(1590)に江戸に入城しました。
慶長5年(1600)9月の美濃・関ヶ原を主戦場とした戦闘で西軍(豊臣方)に勝利した東軍の総大将・家康は、
事実上日本の覇権を握ることになります。その後、家康は直ちに江戸の町の大改造に着手し、
翌慶長6年(1601)には街道の整備も開始しました。
なお、家康が江戸幕府を開府したのは、その後の慶長8年(1603)のことです。 街道の整備においては、五つの街道と宿駅(しゅくえき)が制定され、東海道も誕生しました。 日本橋から京の三条大橋に至る東海道には、宿駅が順次設置され、寛永元年(1624)に最後の庄野宿ができて最終的に53の宿駅が完成しました。 東海道には箱根と荒井(現在の新居)に関所が設けられ、酒匂川、興津川、安倍川、 大井川の4つの河川は底が浅いことから舟を利用せず徒歩渡りとされました。 これらの河川が氾濫したときなどは、旅人が足止めをくらって宿場は大変賑わいました。 |
歌川広重(寛政9年(1797) - 安政5年(1858))は、 江戸火消し安藤家に生まれましたが、 浮世絵師を志し、天保4年(1833)に『東海道五十三次之図』を制作しました。 東海道五十三次の浮世絵は、色使いの巧さや遠近法を用いた立体的な構図など絵そのものの美しさに加えて、 日本の各地の様子を知る上でも、人々に好評を博し、大人気の浮世絵シリーズとなりました。 |