関
『東海道五十三次之図』 関
関
関宿は、古代から交通の要衝で、壬申の乱の頃には古代三関の一つ「鈴鹿の関」が置かれていた。 宿場の東の追分からは伊勢道、西の追分からは大和道が分岐する活気ある宿場であった。 夏祭りのときに繰り出される山車(山という)は大変立派で、これ以上ないという意味で「関の山」という言葉が生まれたといわれている。 この図の題名は「本陣早立」。まだ暗い早朝、大名が宿場の本陣を出立する様子を描いている。