2006年04月11日
ときめかないメモリアル
※4/2の「かなまら祭り」の動画をアップしました。
→ダウンロード:約1メガバイト
栃木の実家に帰って2日目。町の運動公園で桜祭りが開催されていたので行った。
公園と隣の中学校の間を走る道路には桜並木があり、その見事な桜のトンネルを母が感慨深げに眺めていた。
「この桜はねえ…お母さん達の卒業記念に植えられたんだよ」
「そうか。この中学校は母さんが出た学校だったね」
「植えた時は小さかったけど、もう40年以上経って太くて立派になったねえ」
桜だけじゃなく母さんも立派な太い三段腹になったよ…なんてことを言ったらノーフューチャーなので、口を閉ざしお祭り会場に向かった。
何十もの屋台。バンド演奏。「びーの2ばーん」とガラガラの河岸声でビンゴ大会の司会をする楽器屋のオヤジ。そして溢れる人々。僕がいた頃にはこの祭りはなかったので、普段はノホホンとした田舎町なのに、どこからこんなに人が集まったのだろうと目を見張った。
僕は「どうせ誰にも会わないだろう」と高をくくり、ヒゲも剃らず寝起きそのまんまの状態で出て来たが、これが大油断で
「あら、かじりんくん」
「おやすごい久しぶり」
中学の先輩や同級生達と再会しまくってしまった。娯楽が少ない故ちょっとしたイベントでも異様な参加率を誇る田舎の習性を忘れておったわ!
中3の時に同じクラスだったキミコちゃんは、僕と同じく子供連れで来ていた。男の子をも平気で泣かす勝気な子だったが、すっかりお母さんであった。
「君の子供?」
「ああ、うん」
キミコちゃんはベビーカーで眠る息子・タク(6ヶ月)を覗いていた。僕はチョロチョロと走り回る娘・R(2才)に気を取られていたら「うええええ!」とタクの泣き声が聞こえ、
「ごめん、泣かせちゃった」
「うちの息子まで泣かすんかおのれはー!」
…とはキミコちゃんには言えなかった。20年ぶりだし。
キミコちゃんと別れ、はしゃぐRを追い掛けて行った。この運動公園はでかい。南海キャンディーズのしずかちゃんの顔よりもでかい。祭りの会場を設営しても、だだっ広い芝生の敷地が余りまくっている。他にも陸上競技場・野球場・サッカー場・宍戸錠などの設備があり、娘・R(2才)は暴走機関車の如く走り回っていた。
このようなスコーンと開けた、ひたすら広大なスペースがたまらなく楽しく映るらしい。東京にはあまりないからなあ…。
デタラメに走り回るRが、やがて野球場の中に入って行った。
「R、ここは野球をするところなんだよ。ほら、ポーン」
マウンドの上に立ち、ボールを投げるフリをしてみた。それがいけなかった。
「ぱぱ、Rちゃんもポーンしゅるの」(R語訳:自分もボールで遊びたいの)
Rのボール遊び願望に火を付けてしまった。
「え…今日はポーン持って来てないからなあ」
グラウンドでキャッチボールをしている親子もいて、その光景が更にRを羨ましがらせ
「しゅるの!ポーン、したいの!うわあああん!」
とうとうRは泣き出してしまった。しかしボールがないのでにっちもさっちもどうにもブルドッグ。はっ。辛うじて球と呼べるものは僕のお股に付いているのだが、残念ながら取り外すことが出来ない。しかも旧友や近所のおじさんおばさんがうようよいる会場である。Rよ。許せ。
故郷にタマキンを飾るわけにはいかんのだ…。
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