サクラだファミリーだ

栃木の実家に帰っていた。

田舎なので、娯楽といってもセックスかエッチかまぐわいか桃色遊戯かニャンニャンか交接か交合か交尾ぐらいしかないのでヒマである。

しかしなぜか桜の名所がいくつもあるので、この時期だけは花見に浮かれ狂う我が地元。僕ら家族も母と一緒に太平山という山に車で登った。

ここは数千本の桜が咲きまくり、名物は団子であるというまさに「花より団子」を地で行くところ。山頂近くの「謙信平」という茶店が連なるちょっとした平地で団子を買い、桜を眺めた。

謙信平と呼ばれる由来は、越後の戦国大名・上杉謙信がこの地に水道検診に来たから…じゃなかった、なんだっけ。合コンか?違う。まあよい。僕は久しぶりに口にしたここの団子を頬張り、

「僕はこの団子が一番好きなんだよねえ…。小さい頃からよく食べてたから、僕にとっては団子の味の原点なんだよ!」

そう嫁に説明しながら食べさせてみると

「これぐらいなら私でも作れる」

僕の美しきノスタルジアを全てぶち壊す発言をしたので、お前など団子ではなく僕のちんこを食ってればいい!と呪詛して、娘・R(2才)に食べさせることにした。

したっけら(栃木弁で「そしたら」の意)食うわ食うわ。昼飯を食べた直後だというのに、だんご三兄弟の霊が憑いたんじゃないかってぐらい食う。甘いものは別腹とは本当であった。

その後Rと息子・タク(6ヶ月)を抱いて、母に写真を撮ってもらった。僕もRと同じぐらいの年に、この太平山で父に抱かれている写真を見たことがある。同じ場所で父に抱かれていた僕が、今は子供を抱いている。

親から僕へ。僕から子供達へ。こんな時僕は、遠い祖先から積み重なったの血の繋がりと記憶の繋がりを次の世代へ中継しているのだ、ということに気付かされ、その血と時間の流れの中にたゆたっているような漂流感と、バトンリレーで次の走者にバトンタッチした後の安堵感のようなものを覚えるのだ。

「お母さんも小さい頃からよくここで遊んでたんだよ」

母もそうだったか。母の話によると、友達とよく遊んでいたのでこの辺は庭のようなものだ、という。

「でもねえ…一度だけ帰りの電車賃がなくなっちゃってねえ。線路を歩いて帰ったんだよ。川を渡る鉄橋があってね。渡らなければ帰れないんだって歩いていったんだけど、高くて怖くて今思い出しても身震いするわ」

「へえー…っておい!僕が産まれる前に勝手にそんな大冒険しないでくれよ!僕が産まれて来なくなくなっちゃうでしょうが!」

僕もその鉄橋は知っているが、とても高いのである。電車が来たら逃げ場がないし、枕木を踏み外しでもしたら、まっ逆さまに落ちてDESIREだし。

桜を見に来て、母からこんないわば血脈断絶の危機の話を聞かされるとは思わなかった。

桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿。危うく血脈切られる馬鹿。

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