8月のアクセス解析
総ページビューは減っている。これが実力か。
うれしいのは、8月の箱庭がかなり読まれていること。リピーターも少なくない。
「精神健康の基準について」は初のベストテン入り。中井久夫と『未来少年コナン』は、多くの人が検索して書評や感想を探していることがわかる。
一つ、不思議に思うことは、『モンスリーのPTGとして『未来少年コナン』を見る』がよく読まれていること。「モンスリー」で検索してヒットしているのならわかる。PTG(Post-Traumatic Growth、心的外傷後成長)という言葉は、それほど社会に浸透しているとは思えない。私が知ったのは5年前。
当初は、この言葉に否定的で懐疑的だった。今も濫用すべきではないと思っている。ただ、「生き方を変えるチャンス」ととらえるなら意味がある。『モンスリー』に書いた通り。
さくいん:『未来少年コナン』、中井久夫
その言葉でいいのか
あまり書きたくはない話題だけれど、気になって仕方ないので書いて忘れることにする。
書店で、ある講演会を文字に起こしした本を手に取った。話題になっている本。手に取ったのは、もちろん読んでみようと思ったから。
ページを広げると1ページ目に「ヘタクソ」という言葉が目に飛び込んできた。
何か非常に汚いものを見たような気がして、本を閉じて平積みに戻した。
講演会では、当然話し言葉が使われるし、その場の雰囲気で、汚い言葉が口からこぼれてしまうこともあるかもしれない。
でも、書き言葉に置き換えた本でそのまま、しかも片仮名で強調するのはどうだろう。
試しにウェブ上の辞書で調べてみると「下手くそ」の訳には「shitty」という言葉もある。やはり、汚い言葉であることは間違いない。
たった一語、気に入らない言葉があったから読むのをやめるのはどうかしているかもしれない。でも、言葉の大切さを知っているはずの作家が言葉をぞんざいに扱っていることは受け入れがたい。私は読み進めることはできなかった。
小説家である講演者は、作品でも講演でもこういう言葉を使う人ではないと思っていたし、内容も極めてマジメな本。それだけに、一語につまづいてしまった。
どうもこの作家とは相性がよくない。何冊か読んでいるけれど、いつも物足りなさや小さな不満が残る。
日曜の深夜にデジタルリマスター版で再放送されている『未来少年コナン』を録画して見ている。
もうこれまでに何度見たかわからない。すべてのセリフを覚えているくらい。
それでも、毎回、ハラハラしながら見ている。それだけストーリーに魅力があるということだろう。
『コナン』を何度も見ていて不思議に思うことが二つある。
一つ目。一話見終わると、いつも「こんなに短かったかな」と思う。記憶のなかのストーリーはもっと長かった気がする。
昨日の第18話「ガンボート」。
ガンボートから村に砲弾が次々と撃ち込まれ、兵士たちが上陸してくる。ラナを助けようとしたコナンは大きな石が頭に落ちて意識を失う。ラナは捕まる。村長やジムシーは地下室に閉じ込められる。村は占領され、モンスリーは勝利を宣言する。
ラナは捕まり、コナンはガルじいさんが作った樽爆弾をガンボートの船底にくくりつける。ラナが船室に閉じ込められていることを知ったコナンは座礁しているバラクーダ号の帆柱からガンボートに飛び降り、捕獲される。船底で見つかった樽の爆弾を兵士が甲板に持ってくる。フタを開けるとちょうど導火線が爆薬に届くところ。大爆発が起きてガンボートは沈没。
コナンは船室に閉じ込められたラナを救出する。二人で岸まで泳ぐ。
簡潔に書いてもこれだけのことが起きる。それが30分で展開する。息つく暇もない。大河ドラマや朝ドラなら、もっと話をじらすだろう。
ハラハラするのは、この展開の速さに理由がありそう。
記憶の中で話が長かったように思うのはなぜか。毎回、急展開する物語を咀嚼するのに、自分のなかではゆっくり時間が過ぎているのかもしれない。
もう一つ、不思議というか、ほかのアニメ作品とは違っていて『コナン』を面白くしている工夫。それは予告編がないこと。
次週、どう物語が展開するのか、見る側には何の手がかりも与えられない。これも、何度見てもハラハラさせる一因ではないか。
来週は超重要回、第19話「大津波」。大転換の一話。とくにモンスリーにとっては。話は知っているのに、想像するだけで胸がドキドキしてくる。
さくいん:『未来少年コナン』
茶番劇
自民党総裁選に違和感がある。
安倍首相の在任中は官邸指導に反抗もせず、波風さえ立てなかった人たちが、首相が辞任を決めるやいなや、派閥会合や幹部会を開き、「次はオレだ!」といきりまくっている。
「幹部」という言葉が笑わせる。『未来少年コナン』に登場する小悪党、オーロのグループみたいだから。「派閥」という言葉もヤクザを思い出させて奇妙に響く。
本人たちは大真面目なのだろう。外野から見ていると、小中学校生の仲良しグループが反目しあっている様子と同じに見える。
安倍首相には苦言のひとつも呈することがなかった人たち。
「疑惑を明らかに」と求めることもしなかった人たち。
そんな人たちの中から人心を刷新するようなリーダーが生まれるとは思えない。
しかも、すでに趨勢は明らかで、大勢は嬉々として長いものに巻かれようとしている。
顔ぶれが変わっても路線変更には期待できない。
仮病とも噂される辞任も含めて、すべてが茶番にしか見えない。
光陰矢の如し
久しぶりに通っていた大学に行ってみた。特に目的があったわけではない。
建物はみな建て替えられて、昔の面影はどこにもなかった。
唯一、大講堂だけは昔のままだった。
ランチを食べたレストランは30年前に開業したという。
30年前といえば、私が大学を卒業した頃。
時が経つのは早い。30年経てば生まれた子も大人になるくらいの時が十分に経っている。
『庭』を始めて18年。30年の半分は記録してきたことになる。
つい先日までロックアウトされていたというキャンパスには、ほとんど人はいなかった。
ほんの少し歩いただけで倒れそうになるくらい暑かった。外で仕事をしている人の苦労がわかった。
昼食の量が多かったので、夕食は食べなかった。
写真は通り過がりに見つけた古い教会。
米津玄師「Lemon」のMVはここで撮影されたと偶然居合わせた牧師さんが教えてくれた。
さくいん:米津玄師
梨木香歩『海うそ』再考
しばらく梨木香歩について考えていた。とくに小説『海うそ』について。
読後に強い違和感が残った。あれは何だったのだろう。
感想を書いたときには、終幕で唐突に自死を持ち出したことに反発した。物語の仕掛けとして自死を利用することを私は好まない。
今日、ふと気づいた。あれは反発ではなかった。
私は、主人公に嫉妬していた。
もっとも近しい人が亡くなった理由を、もっとも親しい人に伝えられることに。
きっと、世の中には、それができない人は少なからずいる。
話さないと決めた私は、もう迷わない、つもりだった。
それでも、気持ちが揺れるときもある。
自分の心の整理ができていて、相手とも信頼関係がある、「伝えられる」環境にある人がうらやましい。
写真は横浜みなとみらいの黄昏。
さくいん:梨木香歩、悲嘆、秘密
突然の出社再開
出社再開の指示が出た。まずは週2回程度から。唐突の感が否めない。
都内の感染者は毎日100人以上だし、クラスターも発生している。当分、在宅勤務が続くと思っていた。
在宅勤務が終わるのは正直なところ、さびしい。通勤も嫌だし、多勢の人のなかで仕事をするのも気が進まない。
週2回から、はありがたい。いきなり毎日、以前のような通勤に戻るのは辛い。
今週は実家に行く週なので、まず1回、金曜日に出社するつもり。
そもそも、こんな環境で仕事をしていたことが例外中の例外だった。
朝食前に散歩、三食自宅、昼食後に昼寝、終業とともにビール⋯⋯…。
元に戻るだけ。元に戻るだけ。
落ち着くために、自分に言い聞かせてみる。
言葉は、第一に、自分の心身を整理するためのものだから。
在宅勤務の日常 その2
週2回の出社がはじまるとそれ以外の日の暮らしも変わりそうなので、最近の暮らしぶりを書き残しておく。
エアコンをつけて寝ていても3時間ごとに喉が渇いて目が覚める。氷を入れた水筒の麦茶を一口飲んで目を閉じる。
朝は5時半には目が覚める。6時前には起き上がり、散歩に出る。30分かけて近くの公園を一周して帰ってくる。帰宅してからはWii Fitでヨガを20分ほど。柔軟性が増している実感はないけれど、バランス感覚は向上しているように感じる。
昼食は前夜の残り物だったり、コンビニのサンドイッチだったり。日中動いていないので、あまり食べないようにしている。間食も今は控えている。
昼休み、30分ほど眠る。自分のベッドなので30分もあれば熟睡する。
仕事の合間にTwitterを見ることはあっても、投稿することはない。
一人で進める業務が多いので、メールも少ないし電話はまったくかかってこない。朝のミーティングが終わってからは終業時間まで無言で過ごすこともある。
午後5時で業務終了。デスク脇のベッドに倒れ込んで、しばらくぼんやり過ごす。夕方にも30分程度、外を歩く。
早く寝たいので、夕食前に入浴する。夕食の後はテレビやYouTubeを見たりする。9時には自室へ入る。
夜は『神曲』の解説を一歌ずつ読んでいる。「天国篇」の第25歌まで来たのでもう少しで読了する。これが終わったら『ギリシア神話』に戻る。
夜はパソコンもスマホも見ない。ポッドキャストでダウンロードしておいたBBC Radio 4, "Six O'Clock News"を流して目を閉じる。一時期、悪かった寝入りも改善されてすんなりと眠りに落ちる。
この生活サイクルはほとんど不変で続いている。穏やかな毎日。退屈することもない。
7月に友人と呑んで以来、家族以外の人にも会っていない。
在宅勤務が始まって半年以上が経つ。そろそろ街へ出て、人に会うのもいいかもしれない。もちろん感染防止策を十分にしたうえで。
残暑が厳しいので、涼しげな写真を貼っておく。撮影場所は神代植物公園、水生植物園。
My Best 失恋ソング
Twitterのハッシュタグから。
選んでみると十代半ばに聴いた曲、70年代後半から80年代前半の曲ばかりになった。
「あの頃」、たくさん失恋していた。告げては失い、失っては告げる、を繰り返していた。
思春期だった頃。以下、とくに厳しく、辛い別れの歌を集めてみた。
ここに挙げた曲はいまでもよく聴いている。そういう意味では、「14歳の時に聴いていた音楽がその後の人生の音楽の好みを決定づける」という説は当たっている。
90年代以降の音楽で、定期的に聴いている音楽、といってすぐに思いつくアーティストはいない。よくよく考えて浮かぶのはスピッツとGReeeeNくらいか。
テレビの音楽番組は好きでよく見ている。だから今売れているアーティストの名前は知っている。でも、曲名も言えないし、
メロディも口ずさむことはない。
「My Best」という基準で「失恋」の歌を探してみたけれど、ちょっと時間がかかった。「失恋」よりも「喪失」や、もっと直截に「挽歌」を好んでよく聴いているような気がする。だから米津玄師「Lemon」や宇多田ヒカル「花束を君に」はときどき聴いている。
さくいん:70年代、80年代、米津玄師
昨日、「思春期」という言葉を使ったときに本書のことを思い出した。
この本については、感想を書き残しているけれど、「うつ」について書かれた文章に対する感想が多く、書名になっている「思春期」に関する文章については何も書き残していない。
本棚に手を伸ばし開いてみると、冒頭の「思春期における精神病及び類似状態」にはたくさん蛍光ペンが引いてある。印象には残ったものの、言葉にできなかったために感想を書かなかったのかもしれない。いまでも、この文章全体について感想を書くことにはためらいを感じる。言葉を換えれば、「思春期の精神病」について書くことを私は回避している。
そこで蛍光ペンを引いた文を引用して、コメントを残しておくことにする。
とくに精神病になる人は絶対に他人を必要としています。自分のために生きてくれる他人がいなければ生きていけない状態です。ただ、自分の方から他人に波長を合わせられないために孤立してしまうわけです。(026)
思春期には他人と波長を合わせる訓練をする時期だから、余計に孤立する危険がある。「ひきこもり」も一人でいたいわけではなく、「わかってくれる」他者を求めていると思う。
(前略)成績のよい子も、成績ばかりが評価されて、成績以外の部分、つまり普通の子どもとしてのよさを親も先生も見てくれない場合があります。(028)
ここを読んで『刑事コロンボ』「殺しの序曲」を思い出した。コロンボが天才と呼ばれるメガネをかけた女の子を「チャーミング」とほめると、彼女は「頭のこと以外でほめられたのは初めて」と喜んだ。こういうことは実際によくある。本人が気づいていない長所をほめることは大切。
思春期は生命的に伸びていく時期ですから、回復する可能性は大人よりも大きいと思います。(030)
そうなのかもしれないが、最初の引用文と重ねると矛盾を感じる。つまり、思春期は治る可能性も高いと同時に精神病になる可能性も高いのではないか。言うまでもなく、回復する可能性が向上するよう助けることが医師の役目ということになる。
病気になる前に勉強以外のことに何か興味をもっていたかどうか、友人が一人でもいたかどうかということが随分予後を左右すると思います。(030)
ほかのところで中井は「生理的なリラックス」ができる「踊り場」が必要と説き、場合によっては休学を奨めると述べている。勉強ができる子は評価され期待されて、ますます勉強に打ち込む。そこで、自分でも気づかないうちに自分を追い詰めることもあるのではないか。だから、「踊り場」を自分で見つけるのは思春期の子には難しい。それは周囲の大人が用意してやらなければならない。
ありきたりな言い方になるけど、思春期の心理は不安定で変わりやすい。ほとんど誰もが何かしらの精神的危機を抱える。それが病気になるか、ならないかの境目は何か。不安定な時期を乗り越えて大人になれるかなれないかの違いは、一体どこで生じるのだろう。万一、病気になってしまったとして、病気が回復するかしないかは何が決めるのだろう。
本人の耐性や回復力か。周囲の援助の大きさか。医師の技量か。それとも、運なのか。
その答えをずっと探している。書名から本書に大いに期待して読んだ。
その答えは見つからなかった。私は「ないものねだり」をしているのだろうか。
さくいん:中井久夫、『刑事コロンボ』
速報 - 健康診断
健康診断を受けた。前回と比べて腹囲が大きくなっていた。メタボ漸進中。
毎朝、歩いているし、飯碗は小さくしたし、間食も控えている。酒も減っている、たぶん。それでも体重は減るどころか増えている。
長い目で見ると悪い面ばかりではない。激務で深夜の食事や酒席も多かった2013年から2014年にかけては急激に体重が増えて、今よりも太っていた。そこまで酷くはない。
休職中は何もすることがなく、周辺の図書館を歩いてまわっていたので自然と減量できた。今は努力しても減量できずに漸増している感じ。基礎代謝が落ちているので、同じ食事と同じ運動では減量にならないのだろう。きっと運動も足りていない。
2〜3週間で結果が郵送されてくる。肝機能の数値が心配。
酒も2014年頃に比べればだいぶ減っている。2000年代はもっと呑んでいた。
何を言っても数値がすべて。悪化していたら酒量を減らさなければならないだろう。
写真は今朝、公園で見上げた空。いつの間にか秋空になっていた。
出社再開
新型コロナウィルスの感染拡大が少し落ち着いてきたので会社が出社を呼びかけはじめた。まずは「週2日出社を推奨」するという。
「推奨」とはまだ「強制」ではないということか。なぜ曖昧な指示なのか、わからない。いずれにしても、いつかは戻らなければならないのだから、様子見を兼ねて金曜日に定時より1時間早く朝8時に出勤してみた。
朝の電車、7時過ぎならまだ空いている。会社も「推奨」を「自己選択」と受け取った人が多かったのか、ほとんど出社している人はいない。これくらいの人口密度ならオフィス勤務も快適。
在宅勤務期間中でも、書類に捺印が必要なときには出社していた。ただし、朝はゆっくり出かけて、用事が済めば帰宅する、日帰り出張のような気楽な出社だった。のんびりと少し贅沢なランチを食べてから帰宅したりもした。
朝から夕刻までのフルタイム勤務は3月以来か。久しぶりのオフィス・ワーク。当然ながら在宅とは違う緊張感がある。出社しているのが上層部の人が多いせいもある。
8時から4時半までの勤務。溜まっていた、オフィスでないとできない書類の整理をした。
昼食はワンコインの天ぷらそば。日常に戻った気がした。
写真は実家の庭に咲いていた百日紅の花。曇り空で色合いが今ひとつで残念。
未来少年コナン、第19話 大津波
モンスリーとダイスが変わりはじめる重要な回。デジタルリマスター版であらためて見た。
見るたびに発見のあるこの回。
今回の発見。
占拠した家の庭でモンスリーがつく大きなため息
モンスリーを救助したのは後に彼女が操るガンボートだった。
彼女を抱き抱えたのは後に彼女が対立するインダストリアの委員だった。
オーロはコナンにナイフを壊された瞬間に自信を失った。ナイフは彼の突っ張った意地の拠り所だった。
ドンゴロスが要所でいい味を出している。「戦争をまだやるのか」と詰め寄り、インダストリアの兵士に最初に投降を促したのは彼だった。
緊張感の高い展開の中でコミカルな声とセリフがスパイスを効かせている。このあたりの演出の細やかさが第19話の面白さと言える。
ダイスは変わりはじめているようにも見えるし、何も変わっていないようにも見える。掴みどころのない男。
さくいん:『未来少年コナン』
小川洋子『アンネ・フランクの記憶』を読み終えたとき、ホロコーストに関連した子ども向けの本で読んだあと感想を残していない本があることを思い出した。
ホロコーストとは「たくさんの人が殺された」災難ではない。「かけがえのない一人一人の命が奪われた人災」。
収容所の亡くなった人は、一人一人名前を持っていた。友人がいて家族があった。そして、収容所に送られるまでの幸福な暮らしがあった。
「名もない」犠牲者の一つの収奪品から、一人の「名前を持つ」少女の生涯が、人から人へのつながりを通してよみがえる奇跡の物語。
さくいん:名前
『半沢直樹』を見ないワケ
今、大人気のドラマ。家族が喜んで見ているので第2話までは見た。その後は見ていない。見る気がしない。見るととても疲れる。
なぜ、見る気がしないのか、よく考えてみた。最初は役者の大袈裟な演技が見ていて疲れるのかと思った。
よく考えてみて、そうではないことに気づいた。
私はこういう場面を何度となく見てきた。
会社内の派閥抗争、取引先の高圧的な態度、罠、責任転嫁、追放。
2014年末に6年働いた会社を辞めるときは、取引先への挨拶さえさせてもらえなかった。私は嵌められ、潰され、追い出された。
私には鈍感なところがあって、いずれも内部告発してもいいことだったのに、自分が不当な扱いを受けていることに気づかず、毎回いいようにされていた。機を見るに敏な賢さもなく、組織内でのし上がることは無論、生き延びることさえできなかった。
企業ドラマを見て、過去に巻き込まれたいくつもの事件を思い出した。記憶のよみがえりは不快感と嫌悪感を呼び起こした。つまり、そういうことだった。
見たくない理由など、よく考えなければよかった。
出社疲れ
金曜日と月曜日、連続して出社したらかなり疲れた。週末をはさんでも疲れが残り、身体がだるい。今週は夜もよく眠れていない。朝の散歩もWii Fitのヨガも今週はサボっている。
すっかり在宅勤務に身体が慣れてしまった。
いきなり週2回はちょっと無理そう。まして週5日、朝から夕方まで会社で働くには心身のリハビリが必要。
会社は週2回を推奨しているけれど、まだ「絶対に週2回」とは言っていない。
強い指示が出るまでは、週一回の出社でごまかそう。実際、業務はどこにいてもできる。
バスで駅に出てから、電車を乗り継いで通勤している。通勤時間は1時間半。通勤の負担は大きい。
英語ニュースを聴いたり、階段を一段飛ばしで歩いたり、できるだけ有効に使おうとはしているけれど、大きな駅でもみくちゃにされるストレスが軽減されるわけではない。
理想を言えば、ずっと「週1回の出社」がいい。
隠れて書け
「隠れて生きよ」と説いたのは、ヘレニズム時代の哲学者、エピクロス。「隠れて書け」ということを私は考えている。
在宅勤務が始まってから時間の余裕ができたので、ほとんど毎日書いている。その中には、広く多くの人に読んでもらいたい文章もあれば、『庭』の世界を知っている人こっそり伝えたい文章もある。言葉を換えれば、『庭』を通じて碧岡烏兎という人物(作者である私のことではない)を知りたいと思っている人に読んでもらいたい文章でもある。強く言えば、あまり多くの人には読んでもらいたくない文章、ということになる。
そういう文章をどこに置くか。Twitterをしていて都合のよい法則を見つけた。
ツィートの地の文は読まれても、埋め込まれたリンクはよほど興味を持ってもらわなければ読まれることはない。
もう一つ、1回目のツィートにたくさん「いいね」が付いても、その返信(追加)は最初のツィートほど読まれないし、そこに埋め込まれたリンクもやはりクリックされない。
この法則は、おそらく『庭』にも当てはまるだろう。箱庭の地の文は読まれても、そこに埋め込まれたリンクをクリックして読む人は断然少ない。
この法則を逆手にとって、『烏兎の庭』に親しんでいる人にだけこっそり読んでもらいたい文章はリンクを貼って一段奥に置くことにした。
これまでは単純に長い文章は箱庭にリンクを貼って一段奥に置いていた。これからは内容によって、読まれやすい場所に置くか、あえて読まれにくい場所に置くかを決める。
才能について
朝ドラ『エール』で才能が話題になった。吾郎は裕一に弟子入りしたものの、才能不足に気づき、弟子を辞めた。
才能って何だろう。
生まれつき備わっているもの? 努力にして手に入れるもの?
本人の努力を支援する周囲の協力。最近の私はそう考えている。
どんなに素晴らしい才能を持っていても、それを活かす場がなければ宝の持ち腐れ。
どんなに努力しても周囲が認めなければ、啄木や重吉のように認められないまま亡くなることになる。
小さな才能を周囲の応援のおかげで開花させる人もいる。
どんなにすごい才能を持っていても、周囲の悪意に潰される人もいる。
『エール』の主人公、古山裕一はまさに才能を花開かさせる場に恵まれた。名を残す人は、みんなそうだろう。
自己流のプラットフォーム
『庭』をはじめた2002年頃、ブログが流行していた。ISPは競って無料でブログを作れるサービスを始めた。トラックバックという機能で他の人のブログを引用したり、コメントを加えることができた。
個人でウェブサイトを作ることも一部で盛んになった。
2010年頃になると、Twitterが流行りはじめた。
最近ではnoteというプラットフォームに書いている人を多く見かけるようになった。
個人のオリジナルなウェブサイトは下火のように見える。第一部ではを「民藝」と題して、よく読む個人サイトへのリンクを貼った。5つのサイトのうち、現在も更新が続いているのは一つだけ。おそらくTwitterやFACEBOOKに移っていったのではないか。
出来上がったプラットフォームに書くのはやさしい。だから流行するのもわかる。
それでも、私は自分のサイトにこだわりたい。あえてホームページと言ってもいい。
どんなに稚拙でも、自分の文章は、自分で書いたHTMLとCSSの上に書きたい。デザインも配色も自分で作りたい。
スタイルとは、単に文体のことだけではないはず。
ブクログ刷新
ブクログは手動でアイテムを並び替えることができる。『中古典のすすめ』のバナーにするためにトップ画面に愛読書を並べてみた。
全部で3,000以上のアイテムを登録しているのでリアルでなくても整理するには苦労する。
とりあえず、ディスプレイに映る5段目までお気に入りの本や音楽を並べた。
ヒマな時の手遊びにはいいかもしれない。
愛読書を並べるとそれだけでプロフィールになる。
これまでに披露してきたブックリスト。
ようやく『神曲』の解説を読み終えた。33歌 x 3部の解説を毎晩一つずつ読んでいたからほとんど3ヶ月かかった。解説だけでも新書一冊になるくらい内容は豊富だった。
『神曲』は詩歌として素晴らしい。さらにこれほど奥深い意味や意図ががあるとは驚きでしかない。
どうして直接的な表現を避けて、アレゴリーと遠回しの表現を多用したのだろうか。解説を読むとほとんど表と裏の二重の世界観を持つ作品に見える。当時の詩作の作法だったのかもしれない。現実世界をあからさまに書くと命を脅かされる危険があったのかもしれない。
ダンテは、「地上世界に神の言葉を読み込みつつも、確信を持てなかった」と訳者はあとがきに書いている。これにも驚いた。
『神曲』は神を賛美した叙事詩ではなかったか。少なくとも私はそういう先入観をもって読んでいた。
14世紀のイタリア、とわけフィレンツェは荒廃していた。教皇と教会は堕落し、専制君主は抗争し、庶民は食べるものに困るほど貧しかった。そして、ダンテは志半ばでフィレンツェを追放され亡命者となった。その状況を見渡せば、神の意志が地上に実現されないことを疑わない方が不思議と言える。
信仰とは賭けである
パスカルはそう言った。神意が実現されていないかのような現実を前にして、ダンテは疑いながらも信じることに賭けた。
ダンテは、信じられたから書いたのではなく、信じるために書いた。そういう賛美もあるのかもしれない
もっとも、私は「信仰」というものがわからない。「不合理ゆえに吾信ず」という言葉についても、そういう人がいることは想像がつくが、私はそうは思えない。
それでも、「信じるために書いた」ダンテの精神の強靭さには感服する。
そして、この壮大な叙事詩を苦労しながら地道に翻訳して、なおかつ、アレゴリーや比喩に隠された意図まで解説してくれた訳者にも敬服せずにはいられない。
あとがきに続いて書かれた謝辞がこの翻訳の仕事がたいへんな苦労の末に成し遂げられた大仕事だったことを伝える。
『神曲』を読み終えたので、夜の読書は『ギリシア神話』に戻る。
さくいん:ダンテ
久しぶりに音楽アルバムを買った。CDではなくて、iTunes Storeからのダウンロード。
菊池桃子はデビュー・アルバム「Ocean Side」とベスト盤をいくつか持っている。オリジナル・アルバムはデビュー・アルバム以外持っていない。
お気に入りのCity Popを集めてみたとき、『Ocean Side』が大のお気に入りであることを思い直した。初期の菊池桃子はいい。メロディも編曲も、もちろん歌も。
ベスト盤にはヒットしたシングル曲しか入っていない。「Ocean Side」の続きを期待してセカンド・アルバムを買った。これは当たりだった。都会的で洗練されてたシティ・ポップの仕上がり。「Ocean Side」より少し落ち着いていて秋めいた今頃にちょうどいい。
収録曲で気に入ったは、5.「Night Cruising」と6.「雨のrealize」、9.「Mystical Composer」。林哲司のメロディにはお気に入りが多い。
このアルバムの発売は1986年。発売された当時に聴いた記憶はない。1986年といえば、私は高校三年生だった。友だち付き合いも減らして大学受験の勉強に集中していた頃。
だから、このアルバムに入っているシングル曲、「もう逢えないかもしれない」を聴くと、予備校や英語学校に通うために乗っていた東横線を思い出す。桜木町も渋谷もそこでレールが途絶えるターミナル駅だった。今ではどちらの駅も地下に移動していて当時の面影はない。
「あの頃」、アルバムは持っていなかったものの、シングル曲は『ザ・ベストテン』で見ていたし、ラジオ番組もよく聴いていた。
菊池桃子で一番好きな曲は、と訊かれたら、『夏色片想い』と答える。この曲も1986年の発売。彼女の声と歌い方にふさわしいメロディだった。作曲はやっぱり林哲司。
さくいん:菊池桃子、林哲司
健康診断の結果
9月に受けた健康診断の結果が届いた。病院より先に健保組合から再検査の指示が来ていたのでどれだけ悪いのか、緊張しながら待っていた。
結果はそれほど悪くはなかった。「E判定」すなわち「要精密検査」と指弾された2年前に比べれば、全体的には悪くない。心配していた肝機能などはむしろよくなっている。代わりに腎機能に黄信号が点いた。
悪くなっているのは、BMI、腹囲、中性脂肪。要するにメタボリックシンドローム。着実に太っていることがよくわかる。
在宅勤務の間、毎朝30分散歩して、Wii Fitでヨガやバランスゲームもしている。それでも痩せない。
もっと激しくて長い有酸素運動が必要なのだろう。何か手を打たなければならない。
健康診断の結果は1998年から記録している。30代の頃と比べると、どの項目でも、数値は悪くなっている。でも、今が一番悪いわけではない。
最悪だったのは2009年から2014年まで。今の「精神障害者3級 うつ」という事態に至る原因となった激務の6年間。
遅い夕飯、出張先での外食、疲れを紛らわせるためにすがった酒。肝機能の指標であるGPT, ALP, γ-GTPはいずれも非常に高い数値だった。とくにγ-GTPは0 - 70が健康の目安とされるところ、200を越えていた。やはり、あの頃、仕事だけではなく、生活そのものが尋常ではなかった。数値がそれを物語っている。
社長との相性だけではなく、健康面から見ても、あれ以上続けることは無理だった。
悔いがないとは言わないけれど、いまの状態にたどり着いたのは、健康面から見れば正解だった。
健康診断の記録は静かに諭してくれる。