岩手の民家

朴舘家住宅 国指定重要文化財 (平成23年11月29日指定)
岩手県指定文化財 (平成2年5月1日指定)
岩手県二戸郡一戸町小鳥谷字朴舘20
建築年代/文久2年(1862)
用途区分/農家・大地主
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/公開
県都・盛岡から国道4号線を北上し、縄文遺跡で名高い御所野遺跡公園の手前を東に入った中山間地に所在する豪農屋敷である。小字名が当姓と同じ朴舘なので古くからの土着を想わせるが、江戸初期は浄法寺町漆沢に住していたと考えられ、当地には江戸中期以降に移ってきたとされている。集落を縦断する平糠川の舌状河岸段丘上に約1町歩程にも及ぶ広大な屋敷地を構えており、桁行16間半、梁間9間、建坪148.6坪に及ぶ主屋建築は直屋としては県下最大級の規模を誇る。13m余りの棟高から庇を設けず、茅屋根を軒まで一気に葺き下ろす様は圧巻である。当住宅が所在する南部藩領は中世的な主従関係である名子制度が遅くまで残った地域として知られるが、建物にも木割が整った近世的なまとまりを越えた中世的な雰囲気が感じられる素晴らしい民家である。
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藤野家住宅 国指定重要文化財 (昭和53年5月31日指定)
岩手県盛岡市上田字松屋敷34 (県立博物館内)
旧所在地・岩手県江刺市伊手御堂
建築年代/19世紀前半
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
盛岡市北郊、北上川を四十四田ダムにより堰き止めてできた南部片富士湖畔に所在する県立博物館に移築保存されている農家建築である。そもそもは旧江刺市(現奥州市江刺区)の中心部から8km程東方の銚子山を北に臨む山間部の丘陵中腹に所在していたもので、元は千葉氏の住宅で藩政時代には下伊手村に属し平林屋敷と称されていたとのこと。外観的には東西棟の東側を入母屋屋根、西側を寄棟屋根とする「片入母屋造」で、建物の下手や裏手の壁面を全て土壁で塗り込める大壁とするなど閉鎖的で古式な風情となっている。また桁行7間半、梁間4間程の中規模な建物ながら柱は太く、この点でも土俗的な風情に満ちているが、実際は喰違四間取の発達した建前で、昭和51年の民家緊急調査時には18世紀初期にまで遡る建物と見立てられていた。
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佐々木家住宅 国指定重要文化財 (昭和53年5月31日指定)
岩手県盛岡市上田字松屋敷34 (県立博物館内)
旧所在地・岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉指畑21
建築年代/明治10年(1877)
用途区分/農家(肝煎)
指定範囲/主屋
公開状況/公開
盛岡市北郊の県立博物館の敷地内に移築保存されている農家建築である。そもそもは盛岡の遥か東方の岩泉町に所在していたもので、町の中心部から東へ少し外れた小本川南岸の河岸段丘上に屋敷は構えられていた。当家は天正年間に秀吉傘下の武将・蒲生氏郷が九戸城仕置き後に家臣を帰農させたことに始まると伝えられ、藩政期には下岩泉村の肝煎を務めたという。住宅は主屋の前隅に馬屋を突出させたL字型平面で、この様式は南部藩領に多く見受けられることから俗に「南部の曲屋」と称せられている。古式を残す曲り屋は馬屋の突出部が後補であることが多いが、当家は当初から曲り屋として建築されたことが判っている。建築年代は建具の墨書から明治10年とされているが、当家では宝暦3年(1753)に気仙大工に請け負わせたと口伝されている。
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中村家住宅 国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定)
岩手県盛岡市愛宕町14-1
旧所在地・岩手県盛岡市南大通2丁目8番5号
建築年代/文久元年(1861)
用途区分/商家
指定範囲/主屋・土蔵・はかりば
公開状況/公開 
盛岡市の外環道となる国道4号バイパスを北上し中津川を渡った右手に嘗ての旧藩主・南部家別邸跡(現在は中央公民館)がある。当住宅はその一画に移築保存されている商家建築である。そもそもは盛岡城下の惣門に近い南大通の新穀町に所在しており、旧奥州街道に面して糸や綿布などを扱い、「糸屋」や「糸治」の屋号で知られる老舗呉服商であった。初代は遠野市の旧宮守村出身で天明2年(1782)に盛岡で商売を始め、南部藩の特産である紫根染を一手に商うなどにより大店に成長したとのこと。主屋は文久元年(1861)の建築であるが、隣接する「はかりば」や「土蔵」は明治20年以降に建て替えられたものである。主屋の左手に通り庭が奥まで続き、表側一杯にミセを構え、その奥に田の字型に座敷が配されている。内部は陸奥ならではの力強い意匠を基調に町家らしく洗練された設えで、非常に魅力的な町家建築である。
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平井家住宅 国指定重要文化財 (平成28年2月9日指定)
岩手県紫波郡紫波町日詰字郡山駅
建築年代/大正10年
用途区分/商家(酒醸造・鉱山経営)
指定範囲/主屋・表門・南蔵・北蔵・米蔵・造り蔵・土地
公開状況/非公開



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千葉家住宅 国指定重要文化財 (平成19年12月4日指定)
岩手県遠野市綾織町上綾織1-14
建築年代/天保年間(1830-1844)
用途区分/農家
指定範囲/主屋・土蔵・石蔵・稲荷社・大工小屋・土地
公開状況/公開 (但し、平成35年まで修復中)
遠野市の西郊、県都・盛岡へと続く国道396号線が標高476mの小峠に向かって登りの傾斜を強める辺りに所在する農家建築である。国道に面する大垂水の山麓に野面積で石垣を築き、まるで城砦さながらの様子に屋敷地を造成、入母屋屋根に木格子の妻飾が施された馬屋を石垣から迫り出す様にして建てられた南部藩領特有の曲屋の巨大な主屋は、見る者を圧倒する。主屋は当家4代目の喜右衛門が天保の飢饉に際して救済普請として10年の歳月を要して建てたと伝え、現存する曲屋建築としては最大級のモノである。内部は時代が下がるだけに整型の間取り配置で、座敷も瀟洒な造作である。当家の由緒は明らかではなく、江戸中期から農業を営み、末期には士分格を得たことが判明しているが、幕末に向かって急激に家勢を伸長させたことは、尋常でない屋敷構えからも想像に難くない。江戸末期とはいえ、封建的な身分制度下でこのような住宅建築が許されたことに驚かされる。
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菊池家住宅 国指定重要文化財 (昭和51年2月3日指定)
岩手県遠野市土淵町第6地割5-3
旧所在地・岩手県遠野市小友町13地割
建築年代/18世紀中頃
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
遠野市土淵町の伝承園内に移築保存されている農家建築である。そもそもは市の南西郊外の小友町に所在しており、昭和52年の遠野市への譲渡時は菊池家が住まいしていたが、当家が住宅を所有したのは大正12年からのことで、建築当初は高橋家、以後、大沢氏、山蔭氏と所有は変遷を重ねてきたとのことである。遠野は江戸時代には南部藩領の南限に位置し、当住宅は周辺の民家様式と同様、土間部の前方に馬屋をに突き出す「南部の曲屋」形式を採っている。桁行10間半、梁間4間半の主体部に桁行4間半、梁間4間の曲屋部を突き出す標準的な規模の建物とされているが、移築の際の調査で当初は桁行9間の直屋として建てられ、早い段階で前面に馬屋を付属させ曲屋へ改造されたことが判明している。また前面以外には大壁が多用され、古式な雰囲気も併せ持っており、直屋から曲屋へと変遷する初期の例であるらしい。
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小原家住宅 国指定重要文化財 (昭和44年12月18日指定)
岩手県花巻市東和町谷内6-37
旧所在地・岩手県花巻市東和町谷内
当初移築地・岩手県花巻市東和町谷内7-121
建築年代/18世紀中頃
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
旧東和町の中心市街である土沢の南東郊外の中山間地に所在する農家建築である。当家は初代・忠兵衛が18世紀中頃に藩主・南部家の祈願所でもあった丹内山大権現堂の別当職にあった小原家から分家したことに始まると伝え、屋号を中居舗と称した中規模農家であった。ちなみに丹内山大権現堂は明治の廃仏毀釈により丹内山神社と名を改め、当家より東方1km程の山麓に所在している。住宅は初代が分家した際の家作と推測され、桁行8間、梁間5間半の主体部に桁行3間、梁間3間の突出部が下手前方に付属する曲屋造である。当初は直屋の建前で、藩により馬産が奨励されるようになる幕末の嘉永5年頃(1852)に馬屋を増築して曲屋になったと見られ、隣接する遠野地方を含めて里山に曲屋が点在する姿を原風景のように現代人は考えているが、意外なことに実は曲屋の歴史は浅く、当住宅が直屋から曲屋へと移行する初期の事例として評価されていることに注目しておくべきである。
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伊藤家住宅 国指定重要文化財 (昭和51年2月3日指定)
岩手県花巻市東和町田瀬1-170
建築年代/18世紀後半
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
北上市から遠野方面へと向かう国道107号線の途中、田瀬湖の南側の覚間沢の山間にある農家建築である。沢の奥へと続く緩やかな登り坂に沿って雛壇状に造成された田畑の一画に所在し、道を挟んで建つ本家から江戸中期の天明年間以前に分家したことが過去帳より判明しており、住宅もその頃の建築と推測されている。この付近は盛岡藩南部領に属するが、仙台藩伊達領との藩境に接する南限に位置しているため、仙台藩領に多く見られる直屋と南部藩領に多い曲屋の混在地域となっており、当住宅も昭和51年の民家緊急調査時には曲屋であったが、解体調査時に建築当初は直屋で、明治年間に馬屋を増設して曲屋となったことが判明したため、現在は直屋の状態で復原されている。建物は桁行7間、梁間4間半の小規模なものながら、土間が全体面積の3分の2を占め、柱の間隔密度が高く、開口部も袖壁付片引戸が多用されるなど閉鎖的で、古式な民家的特徴を多分に持つ建物である。
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多聞院
伊澤家住宅
国指定重要文化財 (平成2年9月11日指定)
岩手県和賀郡和賀町岩沢9地割48
建築年代/18世紀末〜19世紀初頭
用途区分/修験者
指定範囲/主屋・久那斗神社里宮
公開状況/公開
広大な北上平野から利賀川に沿って横手方面へと西に向かう途中、ちょうど山間部に差し掛かる辺りに当住宅は所在する。まるで隠れ里の様な場所で、車の乗り入れが躊躇われる里道を伝い、JR北上線の線路に行く手を阻まれるが構わず歩を進めていくと針葉樹の屋敷林を背負って厳かに佇む当住宅に辿り着く。当家は住宅背後の林中に所在する久那斗神社里宮の別当を務めた家柄で、多聞院の名が冠されていることから推察されるとおり、修験者の住居である。周囲には羽黒山や月山などの修験の山々が連なり、超人的な能力により人々から畏敬の念を持たれた山伏の住居に相応しい風情である。住宅内部についても、一般の庶民住居とは著しく異なり、上手座敷を社寺建築特有の虹梁、円柱、大瓶束といった建築部材に囲まれた修験道場に充てられている他、土間が極端に狭く、間取りなども異質である。
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後藤家住宅 国指定重要文化財 (昭和40年5月29日指定)
岩手県奥州市江刺区岩谷堂字向山1
旧所在地・岩手県奥州市江刺区広瀬字平192
建築年代/17世紀末頃
用途区分/農家(庄屋)
指定範囲/主屋
公開状況/外観のみ公開
金札米や岩谷堂箪笥の生産地として知られる旧江刺市は嘗ては仙台藩領に属する地域で、曲屋が主体となる県北の南部藩領とは異なり、殆どの民家が直屋造となる。市内を縦断する入首川の東手の小高い丘上に移築される当住宅は県内最古と目されるもので、昭和51年に実施された民家緊急調査報告書の平面図で確認すると他とは全くことなる柱配置であることが容易に窺える。そもそもは市の中心部から北東10km程の中山間部に所在しており、屋敷地は広大で地士階級にのみ許された長屋門を構えていたことから高い家格を誇ったものと推測されている。主屋はかなり閉鎖的な造作で、土間廻りや背面部の殆どを大壁で塗籠め、土間には歪曲した独立柱が林立する。民家の世界において古式と考えられる建築様式が随所に残る極めて興味深い建物である。
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高橋家住宅 国指定重要文化財 (平成23年6月20日指定)
岩手県奥州市水沢区字大畑小路6番地
建築年代/明治21年(1888)
用途区分/素封家(藩政期には大番士25石)
指定範囲/主屋・蔵座敷・土蔵・東板倉・西板倉・金庫蔵・表門・土地
公開状況/非公開
県南の中核都市である奥州市水沢区に所在する素封家の住居である。胆沢川の扇状地形の末端にある水沢の地は水利に恵まれ、奥州街道の宿駅が営まれた交通の要衝でもあり、伊達家一門の留守家が支配する16000石の城下町が形成された場所である。当家は留守家に仕え、文化11年(1814)に下士身分である不断組に属していた7代・喜惣太が百貫文の献金により平士身分である大番士に取り立てられた家柄で、屋敷地はその際に所替えにより得たものである。明治以降には水沢銀行を設立し、水沢町長や衆議院議員も務めたというから、幕末頃から始めた金融業で成り上がったものと推測される。屋敷内に残る建物群は主屋を含めて大半が明治中期に建てられたもので、周辺に残る武家住宅とは似ても似つかぬ程に贅を尽くした近代和風建築となっている。特に正座敷となる龍の間は、天井を支輪状に折り上げ、鏡板に雲龍を描くという、まるで寺院建築の様な意匠である。質朴なイメージがある奥州の地において常識破りの民家建築である。
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高野長英旧宅    国指定史跡 (昭和8年4月13日指定)
岩手県奥州市水沢区字大畑小路
建築年代/江戸期
用途区分/武家
指定範囲/
公開状況/非公開(5月初旬に特別公開)


 
後藤正治郎家
住宅
岩手県指定文化財 (昭和60年5月4日指定)
岩手県奥州市前沢区生母字天王53-1
建築年代/18世紀初期
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/外観のみ公開
前沢牛の産地として全国的に知られる奥州市前沢区。中心市街からは北上川を挟んだ東岸の田園地帯に点在する小山の内に隠れ建つ農家建築である。天王集落の中心部に屋敷を構え、かなり広範に平地を確保していることや、浸水対策として主屋部分のみを盛土して嵩上げするなどしていることなどから集落内でも相応の地位にあったことを窺わせる。この地域は江戸期には仙台藩領に属し、越屋根付きの直屋造は地域に典型的な建前である。軒が低く、柱には座敷廻りを除いて手斧削の栗材が用いられており、土間には独立柱が林立するなど古様を示す。嘗ては「中崎屋敷」と称され、享保10年に没した当家初代は水沢郊外の姉体から兄弟で当地に移り住んだと伝えられていることから、住宅はその初代が元禄年間頃に建てたものと推測されている。約300年前の住宅が未改修の状態で保たれていることは驚異的で、是非とも妙な修理は行わずに、このままを維持してもらえたら嬉しい。
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太田家住宅 岩手県指定文化財 (平成9年9月2日指定)
岩手県奥州市前沢区七日町58
建築年代/
用途区分/
指定範囲/主屋及び庭・土蔵・表門・前座敷・炊場・旧銀行並びに西側塀
公開状況/震災のため非公開



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村上家住宅 岩手県指定文化財 (平成8年5月7日指定)
岩手県一関市千厩町小梨字不動60
建築年代/江戸時代(18世紀末)
用途区分/農家
指定範囲/
公開状況/非公開
搦道屋敷と別称される。近世初期に土着した開発百姓の系譜を有する農家建築。主屋の他に馬屋、厠、小屋等が残存し、嘗ての屋敷景観を維持する。主屋は桁行9.5間、梁間6.5間。

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鈴木家住宅 岩手県指定文化財 (昭和59年5月1日指定)
岩手県一関市厳美町沖野々
旧所在地・岩手県一関市舞川字折ノ口
建築年代/江戸時代(18世紀中頃)
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/外観のみ公開


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法泉院小前沢坊 岩手県指定文化財 (昭和54年2月27日指定)
岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関185
建築年代/17世紀中期
用途区分/寺院塔頭庫裏
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
世界遺産にも認定される平泉の中尊寺を訪れ、境内を縦断する月見坂をだらだらと登って最奥部に辿り着くと、左手に国宝・金色堂、右手に重文指定の能楽堂がある。この能楽堂は藩主・伊達家が江戸末期に中尊寺の鎮守である白山大権現社に寄進したもので、なかなかに良い風情である。さて当住宅は、その白山社の別当である前沢坊の塔頭建造物である。通常であれば、寺院の庫裡建築なので民家として取り上げるべき対象ではないはずだが、その境界が限りなく曖昧で、かつ貴重な建物なので掲載することにした。建物は入母屋屋根の直屋造で、仙台藩領の農家建築では寄棟屋根が一般的であることから、この点については寺院としての格式を示した建前となっている。しかし建物の規模は桁行17.6m、桁行10.8mの上層農家とほぼ変わらぬ大きさで、間取りに関しても座敷の前に奥行きの浅い前座敷を並べ、座敷裏手にナンドを配する、この地域独特の農家建築の間取りである。17世紀末と推定される建築時期は、国重文の後藤家住宅(奥州市江刺区)と県内最古を争うものであり、岩手の住宅史を語るうえで抜きににはできない存在であろう。
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熊谷家住宅 花巻市指定文化財 (平成元年11月24日指定)
岩手県花巻市矢沢第10地割149
建築年代/天保年間
用途区分/農家(肝煎)
指定範囲/主屋・離れ・上蔵・下蔵・屋敷神・小屋・便所
公開状況/公開
東北新幹線の新花巻駅の北西500m程の田園地帯に所在する肝煎屋敷である。昭和57年の新花巻駅開業から随分と時は経ったが、未だに周辺は純農村地帯の風情を留めており、屋敷林に囲まれた当屋敷の風情も往時のままに保たれているようである。当家は屋号を「酢屋」と称し、江戸末期には村役を務める傍ら製酢業を営んでいたとのことで、主屋前には3棟の醸造蔵があったらしいが、今は失われている。主屋は桁行9.5間、梁間6間の規模を有する直屋造の大型民家で、床上部を三列8間取とし、土間部には下手に広大な馬屋を備えている。床上部下手は常居とナカマの2室に分けられるが、囲炉裏を備える常居を奥側に配する奥常居型に分類される形態は、県内では盛岡以南の内陸部にのみ見られるものである。屋敷内には、主屋や離れ、土蔵等の主要な建物の他に便所や屋敷神を祀る小規模な建屋も残されているが、いずれもしっかりとした建前で、とても好ましい印象の民家である。
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今川家住宅 花巻市指定文化財 (昭和54年12月12日指定)
岩手県花巻市桜町4-83-5
旧所在地・岩手県花巻市
建築年代/19世紀初期
用途区分/武家(同心)
指定範囲/主屋
公開状況/外観のみ公開


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平野家住宅 花巻市指定文化財 (昭和54年12月12日指定)
岩手県花巻市桜町4-83-5
旧所在地・岩手県花巻市
建築年代/19世紀初期
用途区分/武家(同心)
指定範囲/主屋
公開状況/外観のみ公開


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伊藤家住宅  花巻市指定文化財 (平成29年2月28日指定)
岩手県花巻市城内
建築年代/文化7年(1810)頃
用途区分/武家
指定範囲/主屋
公開状況/外観のみ公開


 
内田家住宅  奥州市指定文化財
岩手県奥州市水沢区吉小路43
建築年代/嘉永3年以前
用途区分/武家(大番士)
指定範囲/主屋
公開状況/公開


 
沼田家住宅  一関市指定文化財 (平成11年7月1日指定)
岩手県一関市田村町2-18
建築年代/江戸時代(18世紀初〜中頃)
用途区分/武家(家老職)
指定範囲/
公開状況/公開
沼田家は仙台藩主・伊達政宗に仕えた長命を中興初代とし、2代・重延が政宗の曾孫・一関藩主・田村建顕に付き従い当地に移住。7代・延雄、8代・延道は家老職を務めたという名門。







 
千葉胤秀旧宅  一関市指定文化財 (平成2年12月14日指定)
岩手県一関市花泉町老松字佐野屋敷156
建築年代/ 江戸後期
用途区分/農家・和算家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
千葉胤秀は農家の生れながら、幼少の頃から数学に興味を持ち、江戸に遊学して帰国後、和算家として一関藩士に取り立てられ、算術師範役となって藩校で和算の教授として活躍した人物。文政13年には和算の初歩から応用までを解説した「算法新書」を著したが、この本は明治の世に至るまでベストセラーとして版を重ねたという。当住宅は

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芦家住宅  一関市指定文化財 (平成17年9月2日指定)
岩手県一関市大東町渋民字伊勢堂
建築年代/嘉永5年(1852)
用途区分/大肝入
指定範囲/主屋
公開状況/不詳
仙台藩初の洋式高炉を築き、大砲の玉を製造した大肝入・芦章右衛門文十郎親子が13代仙台藩主・伊達慶邦の巡視に合わせて仙台藩邸を真似て建てたと云われる。現在は仙台藩儒学者・芦東山を顕彰する記念館の施設の一部として保存されている。芦東山は元禄9年(1696)に磐井郡東山渋民に生れ、儒学者として5代仙台藩主・伊達綱村に仕えた人物。藩政改革を上申したことにより元文3年(1738)〜宝暦11年(1761)の24年間に亘り幽閉され、その間に著した刑法思想の根本原理を論じた「無刑論」18巻を執筆したことで知られる人物。

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登坂家住宅  遠野市指定文化財 (平成24年4月27日指定)
岩手県遠野市六日町5-8
建築年代/江戸後期
用途区分/武家
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/非公開


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佐々木家住宅 遠野市指定文化財 (平成24年4月27日指定)
岩手県遠野市土淵町山口
建築年代/明治20年 (1887)
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
 
佐々木家住宅 遠野市指定文化財 (平成24年4月27日指定)
岩手県遠野市上郷町板沢
建築年代/明治33年 (1900)
用途区分/農家
指定範囲/主屋・小屋・土蔵
公開状況/非公開



 
工藤家住宅    遠野市指定文化財 (平成24年4月27日指定)
岩手県遠野市青笹町中沢
建築年代/明治後期
用途区分/農家
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/非公開
 
佐々木家住宅
(佐々木精米所) 
遠野市指定文化財 (平成24年4月27日指定)
岩手県遠野市宮守町下宮守
建築年代/明治17年
用途区分/商家(米穀商)
指定範囲/主屋・土蔵1・土蔵2
公開状況/非公開


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佐々木家住宅 矢巾町指定文化財 (昭和61年1月27日指定)
岩手県紫波郡矢巾町西徳田3-188-2
旧所在地・岩手県紫波郡矢巾町藤沢
建築年代/文久3年(1863)
用途区分/農家(村役層)
指定範囲/主屋
公開状況/公開 
花巻市と盛岡市の中間に位置する矢巾町に所在する農家建築である。そもそもは現在地の北方の藤沢地区にあったが、昭和63年に町内の国道4号線脇にあって国の史跡指定を受ける律令時代の城柵・徳丹城跡に隣接する歴史民俗資料館内に移築された。藩政時代は村役を務めていたため、曲り屋としてはかなり大規模な建物である。




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武田家住宅 紫波町指定文化財 (平成3年4月1日指定)
岩手県紫波郡紫波町上松本境89
建築年代/明和3年(1766)
用途区分/農家(肝煎)
指定範囲/主屋
公開状況/非公開



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大沼家住宅
(片平丁) 
金ヶ崎町指定文化財 (平成14年7月1日指定)
岩手県胆沢郡金ヶ崎町西根達小路31-2
建築年代/18世紀末頃
用途区分/武家
指定範囲/主屋・馬屋
公開状況/公開
江戸時代、県南地域を領した仙台藩では領内の重要拠点に要害を構え、地方知行制によ.る高禄の家臣を配して自治を執らせた。そのうちの1つ、藩領の北辺に位置する金ヶ崎は南部藩に対する備えとして、伊達一族に列する大町家3000石の支配地であった。要害には家臣が集住する城下町が形成され、奥州街道筋には町場も形成された。当住宅は領主の居館跡である二の丸に近接する片平丁に所在する武家住宅である。18世紀末頃の建築と推定される主屋に隣接して明治30年代建築の馬屋が並び建つ。現在は更に馬屋の横へ厠を新築し、三棟の建物が横一列に並んでいる。このような形式を地元では「三ツ屋」と称するらしい。当家の身上は小禄で、半農半士的な生活を送っていたとされる。それゆえ建物も非常に質素で、武家らしく簡単な床を備えた座敷が設えられてはいるものの、天井を張らずに小屋裏が露出したままである。ただ主屋の背後にはイグネと称する屋敷林が残り、前面には往時のままに畑地が拡がり、風情の良さは格別である。
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大沼家住宅
(土合丁) 
金ヶ崎町指定文化財 (平成21年12月16日指定)
岩手県胆沢郡金ヶ崎町西根表小路16
建築年代/文化14年(1817)
用途区分/武家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
県内で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている金ヶ崎町城内諏訪小路に所在する旧武家屋敷である。保存地区は仙台伊達藩の旧金ヶ崎要害の武家住区全域に該当し、北上川と胆沢川の合流点に形成された舌状台地上に所在している。当住宅は地区の南西端に位置する高台にあり、眼前に拡がる田園地帯の向こうには平安期の城跡で国の特別史跡に指定される胆沢城を臨むことができる。住宅は桁行7間半、梁間4間半の寄棟茅葺屋根の直屋造で、当地区における武家住宅としては標準的な規模となる。間取りは喰い違い四間取で、外観的にも特に式台玄関が設けられることもなく、一般の農家建築と殆ど様子は変わらない。記録によれば、当家は邑主である大町家の譜代の家臣ながら、文化14年に足軽の住宅を拝領したとあり、士分ではあるものの、足軽に限りなく近い生活を強いられた下級武士の実態が推量される。
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東屋酒造店  登録有形文化財 (平成31年3月29日登録)
岩手県宮古市本町15
建築年代/明治後期
用途区分/商家(酒造業)
登録範囲/店舗兼主屋・質蔵・酒蔵
公開状況/非公開


 
菅野家住宅  登録有形文化財 (平成29年5月2日登録)
岩手県気仙郡住田町世田米字世田米駅13-1
建築年代/明治後期
用途区分/商家
登録範囲/主屋・離れ・土蔵1・土蔵2・土蔵3・土蔵4
公開状況/公開(交流広場として営業中)


 
南部家別邸 登録有形文化財 (平成25年12月24日登録)
岩手県盛岡市愛宕町14-1
建築年代/明治41年(1908)
用途区分/旧藩主別邸
登録範囲/主屋
公開状況/外観のみ常時公開



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佐藤家住宅 登録有形文化財 (平成15年1月31日登録)
岩手県一関市千厩町千厩字北方134
建築年代/明治34年(1901)
用途区分/酒造業
登録範囲/主屋・
公開状況/公開


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安倍家住宅  登録有形文化財 (令和4年6月29日登録)
岩手県奥州市水沢区日高小路21
建築年代/明治後期
用途区分/
登録範囲/主屋・表門・土蔵・板蔵・庭門
公開状況/非公開


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及川家住宅
(古軒)
 
登録有形文化財 (令和4年2月17日登録)
岩手県遠野市六日町111
建築年代/明治21年(1888)
用途区分/
登録範囲/
公開状況/店舗として営業中



 
仙臺屋  登録有形文化財
岩手県遠野市中央通り194
建築年代/
用途区分/商家
登録範囲/
公開状況/店舗として営業中



坂本家住宅 無指定・公開
岩手県胆沢郡金ヶ崎町西根諏訪小路9
建築年代/天保元年(1830)
用途区分/武家
残存建物/主屋
公開状況/公開
旧仙台藩領北辺の藩境に位置する金ヶ崎に所在する旧武家屋敷である。仙台藩は領内の支配制度として地方知行制を採っており、上級家臣は要害拝領、所拝領、在所拝領、在郷屋敷の区分により家格に差異を付けられていた。金ヶ崎は藩内に21ヶ所ある要害の1つで大町家3000石の預かり地であったが、その城下町には大町家の家臣だけでなく、伊達家直属の家臣も配されていた。当家は伊達家の在郷足軽で金ヶ崎城下の矢来町に住していたが、文政末年(1829)に邑主・大町氏の小姓組に取り立てられ、天保元年(1830)に現在の屋敷地を拝領したという。伊達家直臣の足軽身分でいるよりも陪臣ながら大町家の平士となる方が、栄誉なことだったのであろうか。実際、現在の平士住区は矢来町の足軽住区よりも屋敷割は広くゆったりしており、当屋敷は560坪もあり、主屋は桁行8間、梁間4.75間の喰い違い四間取の中規模なものながら式台玄関を有するばかりでなく、床の間付の座敷をも備えた格式高いものとなっている。武士とはいえど藩公の目見得さえない身分では、花より団子なのかもしれない。
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