佐々木家住宅
Sasaki



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国指定重要文化財 (昭和53年5月31日指定)
岩手県盛岡市上田字松屋敷34 (県立博物館内)
旧所在地・岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉指畑21
建築年代/明治10年(1877)
用途区分/農家(肝煎)
指定範囲/主屋
公開状況/公開

盛岡市北郊の県立博物館の敷地内に移築保存されている農家建築である。そもそもは盛岡の遥か東方の下閉伊郡岩泉町に所在していたもので、町の中心部から東へ少し外れた小本川南岸の河岸段丘上に屋敷は構えられていた。当家は天正年間に豊臣秀吉傘下の武将・蒲生氏郷が九戸城仕置き後に家臣を帰農させたことに始まると伝えられ、藩政期には下岩泉村の肝煎を務めたという。住宅は主屋の前隅に馬屋を突出させたL字型平面で、この様式は旧南部藩領に多く見受けられることから俗に「南部の曲り屋」と称せられている。古式を残す曲り屋は馬屋の突出部が後補であることが多いが、当家は当初から曲り屋として建築されたことが判っている。建築年代は建具の墨書から明治10年とされているが、当家では宝暦3年(1753)に気仙大工に請け負わせて建てられたものと口伝されている。昭和49年に実施された民家緊急調査の結果では、伝承どおりの頃に建てられたものに相違ないと推測されているが、現在では移築に際して発見された墨書どおりの明治10年建築説が採られているようである。建物全体に占める馬屋の広さや柱や梁の架構技術から断定されたようであるが、実際の建物から受ける印象も端正なもので、嘗て同じ岩手県北部にありながら現在は神奈川県の川崎民家園に移築されている宝暦年間建築の工藤家住宅と比較しても材の仕上げの丁寧さや整形な間取り等から時代が下ると判断するのが妥当なようである。


 

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