旧高橋家住宅
Takahashi



 
国指定重要文化財 (平成23年6月20日指定)
岩手県奥州市水沢区字大畑小路6番地
建築年代/明治21年(1888)
用途区分/素封家(藩政期には大番士25石)
指定範囲/主屋・蔵座敷・土蔵・東板倉・西板倉・金庫蔵・表門・土地
公開状況/非公開
県南の中核都市である奥州市水沢区に所在する素封家の住居である。胆沢川の扇状地形の末端にある水沢の地は水利に恵まれ、奥州街道の宿駅が営まれた交通の要衝でもあり、伊達家一門の留守家が支配する16000石の城下町が形成された場所である。当家は留守家に仕え、文化11年(1814)に下士身分である不断組に属していた7代・喜惣太が百貫文の献金により平士身分である大番士に取り立てられた家柄で、屋敷地はその際に所替えにより得たものである。明治以降には水沢銀行を設立し、水沢町長や衆議院議員も務めたというから、幕末頃から始めた金融業で成り上がったものと推測される。屋敷内に残る建物群は主屋を含めて大半が明治中期に建てられたもので、周辺に残る武家住宅とは似ても似つかぬ程に贅を尽くした近代和風建築となっている。特に正座敷となる龍の間は、天井を支輪状に折り上げ、鏡板に雲龍を描くという、まるで寺院建築の様な意匠である。質朴なイメージがある奥州の地において常識破りの民家建築である。


旧高橋家住宅は旧水沢城下に所在する住宅である。明治21年に建てられた主屋は、唐破風造りの式台玄関を構える豪壮な外観を持つ。また各室を障壁画や貝入りの砂壁で飾るとともに、座敷飾りや天井など技巧を凝らした装飾的なつくりで、銘木を多用している点にも特徴がある。旧高橋家住宅の主屋は、近代らしい自由で創意に富んだ意匠になる大型の住宅建築で、明治期の東北地方における豪奢な近代和風住宅のひとつとして貴重である。また表門や蔵座敷なども良好に保存され、明治期の素封家の屋敷構えをよくとどめており、高い価値が認められる。(文化庁報道発表より)

武家住宅の平面構成に倣いながらも中国趣味を基調とした高価な材料と障壁画による優れた室内意匠を持ち、東北地方に煎茶席の影響を確認できる全国的にも極めて貴重な近代和風住宅。家相図の建物配置は、水沢伊達家の大番士(25石)としての屋敷構えを基盤。
文化11年(1814)に7代・喜惣太が士分に取り立てられ、東大畑小路に屋敷替え。留守氏八幡系家臣録に「文化11年10月百貫文指上、御不断組ヨリ」と記載され、建物は9代・萬右衛門であることから「高萬家」とも呼ばれている。
    ※不断組=下士身分で組士     ※留守家=水沢伊達氏/水沢城主16000石


 

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