2007年09月17日
俺様の野望-覇王伝-
予定通り、岐阜と名古屋に行って来た。
娘・R(4才)と息子・タク(1才)にとっては何処に行くかということよりも、新幹線に乗れることが何よりも嬉しいらしく、
「新幹線に乗るのよ!」
と教えてやったらそれが何よりも嬉しいらしく、
「あしたしんかんせんのるのよ!」
会う人会う人に吹聴していたらしい。恥ずかしい限りである。
この画像は記念写真というよりも、子供達が成長して新幹線に乗った記憶など忘れてしまい、
「新幹線乗りたいよ!乗ったことないよ!」
とゴネられた時の為の証拠画像である。
さて、栃木の母も東京駅で合流し、アバウト2時間半で岐阜駅に到着。そこから岐阜城を目指した。この旅行計画を立てたのは城マニアである僕。誰にも文句は言わせぬ…と思ってたら早くも文句が。
岐阜城はこのように急な山のてっぺんにある。写真で白くポツンと見えるのが岐阜城天守閣である。城マニアに散々連れ回された嫁が
「あんな高いとこまで行けるの?だいたい城って全然バリアフリーじゃないんだよね。天守閣の中にエレベーターがあるわけないし…子連れだときついわ」
経験に裏打ちされた心配事を言い始めた。城がバリアフリーじゃないのは当たり前である。敵に攻め込まれないために作ったものだからバリア張りまくりである。その強度は
「あ、うんこ踏んじゃった。でもバリア張ってるからセーフ」
という小学生のバリアより7万倍ぐらいある。しかし僕は胸を張って言った。
「確かに建物の中は階段昇ってもらうとして…でも山の上まではロープウェイがあるのだ!」
戦国時代、いくら難攻不落の城と言われた岐阜城でも、21世紀の今日には文明の利器があるのだ!ロープウェイに乗れば3分だもんねー!わはははは…と調子こいて乗ったのだが…甘かった。
ロープウェイを降りてから天守閣までは、更にものすごい急で長い階段を昇らなければならなかったのだった。すいません戦国時代の皆様、調子こいてました。
僕はRを抱き、汗だくで歩く。後からタクを抱いた嫁と母が僕の背にブーブー文句を浴びせながら付いて来る。
それでも斎藤道三が下克上でのし上がり、竹中半兵衛が謀略でこの城を落とし、織田信長と木下藤吉郎が駆け抜けて行った、まさにその場所に自分がいるのだ、と思うと興奮せずにはいられなかった。
織田信長は岐阜城を本拠地としてから「天下布武」(てんかふぶ:武力政権をもって天下を支配する、の意)のフレーズを掲げるようになった。天守閣からの素晴らしい下界の眺めを見下ろしながら、信長は天下取りへのプランを練ったはずである。
僕らもその絶景がもうすぐ見れる。階段を一歩上る度に、その天下布武のスピリットが、天下布武の熱き野望が、
「天下布武のロマンが伝わって来ないのか君達はーーー!」
と嫁と母に檄を飛ばしたところ
「城マニアの亭主に旅行計画をさせたのが愚かだったわ」
かかあ天下布武になってしまった嫁。
「お母さん疲れたわ。ここで待ってるからあんた行っといで」
母は天下デブだった。
おまけ。茶店で買った戦国トランプ。イカス。
問題:天守閣で展示されていた戦国時代の物の中で、Rとタクが唯一名前が分かったものは何でしょう?
答えはランキング2位あたりにあります→ランキング投票
■はてなアンテナに追加