2007年05月24日
好きこそ僕があわれなりけり
以下の記述は嫁から聞いた話を再現したものである。
夜、僕はまだ仕事から帰って来ていない。そろそろ子供達が寝る時間に娘・R(3才)は窓を開けて夜空を見上げながら
「パパー。パパー。どこに行っちゃったの?」
延々と叫んでいた。それを見た嫁は「そう、パパはお星様になったのよ」と言…ちがう、
「どうしたの?そんなにパパを呼んじゃって。パパは会社よ」
早く寝なさい…と窓を締めさせようとしたところ
「だって、パパのことが好きになっちゃったんだもん」
と言ったのであった。
以上再現終わり。
「だって、パパのことが好きになっちゃったんだもん」
「だって、パパのことが好きになっちゃったんだもん」
「だって、パパのことが好きになっちゃったんだもん」
「だって、パパのことが好きになっちゃったんだもん」
「だって、パパのことが好きになっちゃったんだもん」
嫁からこの話を聞いた僕は、Rが言ったというこのフレーズにすっかり心を射抜かれてしまった。初めて恋をした少女が勇気を出して初めての告白のような、まっすぐで清く正しく美しい言葉。
世俗にまみれ汚れきった我が身が洗われる思いであることよ。迷える亡者が読経により「ありがたや…」と昇天していく気持ちもきっとこのようなものだろう。まさに昇天してもよい。我が生涯に一片の悔いなし。Rや息子・タク(1才)には何度となく
「もう死んでもよい…」
という充実感を得させてもらったことか。もっと「もう死んでもよい」と味わいたいがためにまだ死にたくないという、なんだかこんがらがった死ぬ死ぬ詐欺。
あまりにも長い間嫁の前で呆けていたので
「ははは、ホントにラブラブだね…」
おどけて照れを隠した。しかし嫁は至って冷静で
「好きになった、ってことは今まで嫌いだったってことかしら」
「な、なんだとー?」
思いっきり足元を掬われた。江戸時代、お城の廊下を裃姿で歩いていたら裾を踏んづけられてビターンと突っ伏してしまった思いである。殿中でござる。
「お前はすぐそうやって隅オブ重箱をつつく…」
平井賢の顔のホリより深いこの感動が分からないのか。Rは今寝ているけれども、ぎゅっと抱きしめてやりたい愛の衝動が理解できないのか。ウォンチューでござる。
「それとももう寝る時間だけだったけどまだ眠くないから、布団に入りたくないがために適当なことを言ってただけかもしれないし」
「お前は情け容赦ないね…」
ひょっとして嫁は嫉妬しているのだろうかと勘ぐってみたが、10回中9回は夜這いを撥ねられる現実を考えるに、その可能性は悲しいほどゼロに近い。Rの「好き」は聞いたけれども嫁の「好き」は一体何処に行ってしまったのだろう。遠い昔はそれこそラブラブ嫁だったのに。
長い間一緒に暮らして行く内に僕の化けの皮が剥がれ、単なるボンクラであると悟ってしまったのだろう。無理もない…。このようにネガティブな考えになるともう止まらない。ああ、僕なぞは「死んでもよい」と思ったのだから本当に死んだほうがよいのだ。せめてその時は…いっそきれいに死のうか。
昭和枯れす好き。
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