2007年05月01日
夜~は酒場で同窓会♪
帰郷中、中学校の同窓会に参加した。
クラス単位ではなく学年全体の大きなもので、100人ぐらい来ていたと思う。僕は招待状のハガキを家に忘れてきてしまい、
「ハガキないとダメなんじゃねんけ!」
「なにやってんのよあんたはもう!」
母と嫁から散々に罵られたが
「ま、だいじだべ」(だいじ:栃木弁で「大丈夫」の意)
軽く退けておいた。しかし母はともかく、どうして嫁は母と並ぶと一緒に僕を子ども扱いしてなじるのだろうか。
とは言いつつも卒業してから20年。故郷を離れ、全く会ってない同級生が大多数である。僕なぞ行っても「誰あいつ?」「さあ」とヒソヒソ言われて浮きまくるのでは…という不安もないわけではなかったが、会場に行くと
「お、よく来たな」
「おー伊藤!久しぶり!」
顔を見ただけですぐさま分かるのはやはり蛍雪の友。蛍の光、窓の雪。伊集院の光、兵藤ユキ。懐かしい顔がロビーに満ち溢れ、嬉しくて声をかけまくった。
「おう!久しぶり!」
「は?」
…会場の係員だった。僕の馬鹿。
再会で盛り上がっている中で、当時「ヤー坊」と呼ばれていた同級生がいた。皆寄ってたかって「ヤー坊!ヤー坊!」と呼びつつも
「いい年してヤー坊はねえよなあ…」
僕を含め全員が思っていたらしく、
「でも他に呼びようがないし」
「今更苗字とかで呼べないし」
「ヤー坊はヤー坊だよな」
それぞれ言い訳がましく弁明していた。本人は苦笑いしていたが、これはこれで微笑ましい。ヤー坊などまだマシである。僕なぞもっとひどい。
「あらキー君!久しぶりー」
僕は「キー君」と呼ばれていたのである。ひよこじゃないっぴ。
キー君キー君と言われながら、久しぶりの同級生との挨拶が続く。
「あ、松島君、君は○○大に行ってたんだよな」
「え!なんで知ってんの!卒業してから全然会ってないのに!」
「そういや…お袋が教えてくれたわ」
「君のお母さんこえーよ」
「うちのお袋…地元の情報だけは武田信玄並みに集めてるからなあ」
うちの母は地元で育って60年。顔が広い。この同級生の中でもやはりずっと地元にいる人達の方がそこかしこに動き回り、
「こないだ飲みに行った時の金払え!」
などと今なお続く長い交流を思わせる会話をしていて羨ましい。自ら望んで故郷を離れておいて勝手な言い草であるが
「やっぱ地元にいる人達はずっと同級生と繋がりがあっていいね」
と、ある同級生に話したら
「えー。そんなことないよ。俺はずっと地元だけど今回の幹事あたりぐらいだろ、そういうのは。俺も同級生と殆どやりとりないよ」
とのことであったのでしみじみ飲み合った。
会が進むにつれ、自然と同じクラス同士が同じテーブルに集まって来た。
「結婚してるんだよね?」
隣に座ったユリちゃんに聞かれたので「うん」と答えた。僕も「君も…」と聞こうとして一瞬躊躇した。女性に「結婚してるの?」と聞くことは時として地雷を踏むことになる。でも同じクラスの同級生だし、話の流れだし、まあいいかとユリちゃんを始めテーブルにいた女子に聞いてみたら
「母子家庭。うふ」
「バツイチ。中2を頭に子供3人」
「独身だよ!」
やはりカンボジアの地雷地帯並みの恐ろしさであった。
同級生の中でも、おそらく最も古い仲だと思われるカズミちゃんという子がいた。彼女と僕と、もうひとりタカコちゃんという女の子の3人で、幼稚園のころ一緒にエレクトーンを習っていたのである。
僕とカズミちゃんは早々に止めてしまったのだが、タカコちゃんはずっとエレクトーンを続け、やがては音楽関係の仕事に就き、やはり音楽関係の人と結婚し、今イタリアかどっかで暮らしている。
メシを食えるまで地道に音楽のスキルを積んだタカコちゃんに比べ、僕とカズミちゃんは何と根性のなかったことよ…そんなことを話た。
「でも先に止めたのはカズミちゃんだよね」
「えーキー君でしょ!」
「いやカズミちゃんだよ!」
「キー君だよ!」
20年以来の記憶の食い違いが勃発し、どっちが根性なしだったかの言い争いになってしまった。
「でもまあ…今となってはいい思い出だよ」
「無理矢理キレイにまとめんな!」
会は二次会に進み、だんだんとダラけてきた中、ベタベタし始めた男女が一組。三十路も半ば、大学のコンパじゃないんだから…と苦笑しつつも
「へー。あいつとあいつがねえ…でも、さもありなん…」
中学生当時から今に至るまでの変遷を想像してしまった。
同窓会が妄想会になってしまったではないか。
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