2006年12月24日
卑しい、この夜
「除夜のテキスト祭」(12/24~12/30)に出ます。今年もまたトップバッター。
10:00~11:00の間出ます。→
娘・R(3才)と息子・タク(1才)のクリスマスプレゼントを買うため、池袋のトイザまス(仮名)に赴いた。
さすがにこの時期、店内は家族連れでごった返していた。ひとりで来ていた僕は、カップルだらけのデートスポットに一人ポツンと取り残されたような孤独感を味わい、惨めな気持ちになったのである。
いや待て。僕は敢えてひとりで来たのだ。Rとタクにはサンタの存在をまだ信じて貰いたい。そのために昼飯食った後
「ぱぱどこいくの」
と言うRに
「ちょっとお出かけしてくるね!」
適当にごまかしてそそくさと出て来たのである。それが店内にはサンタを信じることが出来そうな幼稚園~小学校低学年のチビッコ達が、「僕これがいい」などと親達と品定めしているのはどういうことだ。
惨めな気持ちは怒りに変わってきた。もうネタバレしてどうする。子供にウルトラマンショーを見せる前に、楽屋に乗り込んで着ぐるみに着替え中の中の人を見せるようなものではないか。ウルトラマンの着ぐるみは特に通気性が悪く、中に入っていられるのは30分が限度なのだそうだ。本物よりは長く地球に降り立っていられる計算になる。
話を戻す。
会社に小学3年の子供がいる女性がいて、やはりいつまでサンタを信じさせるか、と話したが、その子供はまだ信じていると言っていた。店の中を見回してもかなりの数の子供がいる中、それは至難の業と考えざるを得ない。いくら信じている子がサンタの存在を主張しても
「俺、パパとママと一緒にトイザまスに買いに行ったんだぞ!サンタなんかいないよ!」
と言われたらおしまいのような気がする。
「でも…いるんだもん…」
「見たのかよ!」
「み…見たもん」
「へー!いつ見たんだよ!何時何分何秒?地球が何回回った時?」
「夜中…ママがサンタ服着てオッパイ出してパパがだっこしてたもん…」
思わず夫婦のマニアックな性生活が暴露されちゃったりして。
しかし…考え直してみればサンタを信じさせるなどということは親の勝手だし、この殺伐としたご時世には、プレゼントを買ってあげるのは他ならぬお父さんお母さんなのです、ありがたく思うように、と教えるのが当たり前なのかもしれない。わが子がどこぞの実在しない爺さんにお礼を言わせる筋合いはないと。
もしかしたらサンタを信じている小3の子も、親に対してはそう言っているだけなのかもしれない。小さな子供でも、親が子供らしい態度を期待している時にはそれを察して、その期待に沿ったリアクションをしてやることがある。僕もそうだった。「将来何になりたい?」とよく聞かれたが、そんなもの別になかったのでそう答えようとしても「なんて夢のない子」と言われるのが嫌で、適当な答えをでっち上げたものである。
サンタが大人が作り上げた幻想であると同様に、サンタを信じる子供というのも大人の幻想なのかもしれない。池袋駅からトイザまスに行くまでには
こんな看板を持った人達が毎年この時期になると現れるが、まったく神も仏もサンタもない世の中である。
僕はこんな小冊子まで貰ったというのに。イエス様の物語を読みながら家路に着き、
「ただいまー」
プレゼントは玄関の外に隠したまま扉を開けると
「ぱぱー!」
とRが走り寄って来たので、嫁と阿吽の呼吸で
「Rちゃん、トイレ行きましょ!」
嫁がRをトイレに入れ、その隙に猛ダッシュでプレゼントを押入れに隠した。
「そんなわけで、サンタなんて出る幕もない家族で一杯だったよ」
トイザまスでの家族連れの多さを嫁に話したところ
「でもRにもタクにも当分はサンタを信じさせるのよ!」
「真実を見た子がひとりでもクラスにいたらもうおしまいじゃない?」
「他の家には来ないかもしれないけど、これこれこういうわけがあったRにはサンタさんが来るんだよ、っていうお話を作る!」
なんだか今から壮大な物語を構想しなければならない予感。
クリスマスのおもちゃ屋は家族連れがごった返し。
クリスマスのホテルはカップル風情がまんぐり返し。
これが日本のクリスマス。
問題:トイザまスでまったくもって一番ムカついたのは何だったでしょう?
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