人生は波乱便所ー。
仕事から帰って来たら、息子・タク(10ヶ月)はもう寝ていたが、娘・R(3才)は起きていた。
…しまった。二日前の日記と同じ書き出しだった。しかしそれも仕方がないことである。人生というものは寄せては返す波のように、ただひたすら変化なく繰り返される終わり無き日常の繰り返し。ひたすら繰り返す家と会社の往復、ひたすら繰り返す心臓の鼓動、それがふと止まった時、引き返す波に乗って何処かへ去って行く。
「R、今日は何をして遊んだの?」
これまたいつものように娘・R(3才)に一日の出来事を話させる。Rが起きている時は必ず聞くのである。「えっとねー」と考えながら楽しそうに話す姿が堪らなく可愛い。まだこの世に生を受けてから3年しか経ていないRの目には、きっと日常が輝いて映っているであろう。
「Rちゃん、といれ、できたの」
「おや、トイレでおしっこできたのかい?」
「うん」
8月11日の日記にも書いたが、Rはオムツ卒業を目指し、トイレトレーニング中である。しかしなかなかトイレですることは出来ないでいたのである。僕らの会話を聞いて、それまで寝ていた嫁がむっくりと起き上がった。
「そうなのよ!今日はお漏らししないで、必ずトイレで出来たのよ!」
そこまで出来るように努力したのはワタシである、と誇らしげな嫁の顔が語っていた。
「R、またひとつ大人になったね」
「うん、できたの」
ああそうか。人生とは同じことの繰り返しであるようで、少しずつ進歩しているのだ。螺旋階段を昇って行くようなものなのかもしれない。
「今度パパにも見せてね」
「じゃ、といれ、いこうか」
「え、今行くの?」
「うん、いこう!」
余程得意だったのか、Rを即僕の手を引いてトイレへ。僕はRを便器にまたがらせ、Rと向かい合うように体育座りをしてRのお股とその奥の便器の底を凝視して、尿の放物線が走るのを今か今かと待ち受けた。まるで女王様の聖水を待ち受ける奴隷のようだ。
これだけお股を覗き込むのは嫁とのまぐわいぐらいだし、便器を覗き込むのは検便の時ぐらいである。ここで
「赤い紙いるかーい」
と便器の底から手が出てきたら僕が漏らしてしまう…などと考えつつ
「…まだ出ないかな?」
Rの尿意を伺ってみても
「…でない」
なかなか出来ないようである。そのうち便器にまたがったまま
「ぱぱみて~。ちょっきんちょっきんちょっきんな~」
両手をチョキにして踊りを披露し始めたので、僕も
「あははは!上手上手。ちょっきんな~」
などと一緒に踊りまくって…っておい。
「僕は狭い便器で何をやっとるんだ…」
素で当初の目的を忘れてしまっていた。
「ぱぱ。おしっこ、でない」
「はは、は…今回は無理だったね。じゃ、出ようか」
「うん」
いい加減クソ暑くなってきたので引き上げた。まだRのトイレトレーニングは完璧にクリアしていないようだ。僕も一度ムキになって「出るまでトイレから出さないよ」と言ってRを泣かせてしまったが、泣かせるぐらいならそんなに焦る必要はない。
他のRと同じぐらいの子で脱オムツに成功している話も聞くが、それと比較してうちの子は早いだの遅いだの言ってもしょうがないのだ。
元々Rはスロースターターなところがあるし、マイペースで行けばよい。そう思った。
位置について、尿意スタート。なんつって。
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