2006年11月22日
DDRノスタルジア
昔、「ダンスダンスレボリューション(以下『DDR』)」という音楽ゲームがゲーセンで大流行した!
左…ゲーム画面 中…筐体 右…何故かウチにあるロゴプレート
音楽に合わせて流れて来る矢印をジタバタ踏んでいくゲームであるが、これまでゲーセンに足を運ばなかったにわかゲーマーが大量発生し、DDRを目当てに通うようになった。
彼らはゲーセンごとに徒党を組み、「DDR○○組」と名乗るグループ(○○に地名が入る)が全国各地に出現したり、DDRの全国大会が開かれたり…ともかく盛り上がった。
僕もそのひとりである。正確には別の音楽ゲーム「ビートマニア」にはまっていたのだがDDRもやった。そりゃもう泥人形のふしぎなおどりのように周囲のマジックポイントを奪いまくって踊った。
僕の全盛期のDDRプレイ動画がパソコンに残っておった。ただし写ってるのは足のみだが、見たい方は↓をクリック(一旦右クリックで「対象ファイルを保存」してから再生するとよいでしょう)
ダウンロード(2.5MBのmpg)
僕も地元ゲーセンの「組」に所属して友達も沢山出来た。ただDDRの流行は冷めるのも早かった。段々人が離れて行って、全国各地の「DDR○○組」の団体も次々に消えた。理由は単純に飽きられたのが大きいだろう。
恋愛のゴタゴタも大きかったと思う。元々ゲーセンに来るのは圧倒的に男が多い。しかし僕がいた「組」には女の子が2人いて、どちらも可愛かったので争奪戦が凄まじかった。ゲーマーはモニタ越しのゲームには強いけれども男と女のラブゲームには不器用なものである。そのため惚れた腫れたの騒動もより大きく、傷ついた者が去って行った。こうして分解していった「組」も多いのではないだろうか。
ちなみに僕は「組」の女の子ではなく、ゲーセン店員だった超美少女Rちゃんに夢中だったので無傷であった。嫁がいたじゃんとか無粋な突っ込みはしないように。
ブームが去った後もDDRのゲーム自体は定期的におよそ半年ごとに新作がリリースされていたが、それも遂に終わり、ゲーセンのDDR筐体も撤去された。DDRの歴史が終わったと思った。
僕はDDR亡き後も「ビートマニア」をやり続けたが、子供が出来てからはさすがに殆どゲーセンに行くことはなくなってしまった。
そんな思い出があるゲーセンを先日通りかかった折に、ちょいと懐かしさを覚えて覗いてみたところ、DDRの筐体が復活しているではないか。僕がゲーセン離れしていたので疎くなっていたが、DDRはまた新作がリリースされ復活していたのである。
「おー、おひさしぶりですー」
当時から勤めていた店員さんに会った。
「あーども。DDRまた置くようになったんですね」
「最近○○君にも会いましたよ。××さんもまた来るようになりました」
DDR全盛期に毎日のように会っていた「組」の友達の名前を挙げて、彼らがまた顔を見せるようになってきたのだ、ということを話してくれた。
「…というわけなんだよ」
こないだの夜、久しぶりに嫁とエロス行為をした後のピロートークでこのことをゴートークしたところ、
「じゃあこの時間帯ならいるかもしれないね。行って来たら?」
と何とも優しいことを言うではないか。嫁も「組」の連中のことは知っている。僕らが夜遅く遊んでいたことも…。しかし嫁の体を散々蹂躙した挙句寝床に放っておいて僕はゲーセンにすたこらさっさ、というのも酷い話だ。
芸のためなら女房も泣かす。ゲームのためなら女房も犯す。どころが嫁は
「紅茶花伝買って来てくれればいいよ」
とこれまた優しいことを言うのでまっしぐらに行った。
ゲーセンには旧友はいなかったけれども、DDRにはかつての僕らのようなゲーマーグループが数人いた。おお、DDRに情熱を燃やす後継者達がいる!しかもひとりはデブだ。何故かDDRには必ずいた、汗をダラダラ流しながら踊るデブ。
DDR名物「汗デブ」である。DDRには汗デブがいないと画竜点睛を欠く。
6年前に捉えた汗デブ画像。
これだけで嬉しくなった。ついでに5年ぶりぐらいに1プレイだけやってみたら、頭では分かってるのに体が全然動かず、酸欠で死にそうになってしまった。もう僕にはできない…。さらばDDR。しかし悔いはない。
満たされた思いでゲーセンを後にした僕は、嫁に言われたとおり紅茶花伝を探したのだが、何故か自販機にもコンビニにも置いてなく、やむを得ず午後の紅茶を買ったのだった。
エロス行為の後だから「事後の紅茶」かな。
問題:DDR中の女の子を下から盗撮したビデオも出回った。そのタイトルは何でしょう?
答えはランキングのコメント欄(2位あたり)→ここをクリック
エンピツ投票。