佐賀の民家

佐賀の民家は、「くど造り」で全国的に名を馳せる。凹型の屋根形状は、全国でも佐賀や福岡の一部にのみ見られる現象である。このくど造りは農家だけでなく町家についても及んでおり、茅屋根のみでなく瓦屋根でも凹型をしている。これほどまでに独自の建前を展開する地域は珍しく、家に対する意識に徹底したものがあったに違いない。最近、佐賀市内に残る旧長崎街道沿線の町家が脚光を浴びている。柳町・材木町周辺には質の高い町家が集中しており、かつ公開もされているので是非訪ねるとよい。 
高取家住宅 国指定重要文化財 (平成10年12月25日指定)
佐賀県唐津市北城内5-40
建築年代/明治37年
用途区分/事業家(炭鉱主)
指定範囲/居室棟・大広間棟
公開状況/公開
唐津城西方の海際に所在する大型の近代和風建築である。明治時代に杵島炭鉱を興し、佐賀県を代表する大炭鉱主として活躍した高取伊好氏の旧邸で、石炭産業で栄えた九州北部地域に残る旧炭鉱主の邸宅の中でも抜群に品の良い建築である。屋敷の規模に比して小振りな唐破風の正玄関は極めて姿の良いもので見飽きることはない。また正玄関を通過して中庭の茶室に至る導線や大広間棟の一室を能舞台に転用できるようにするなど随所に施された工夫に嘆息させられること請け合いである。
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山口家住宅 国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定)
佐賀県佐賀市川副町大託間930
建築年代/江戸時代(19世紀前半)
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
筑後川河口に形成された中洲に所在する農家建築である。軒を低く葺き下ろした茅屋根と表面を茅で保護する外壁の姿から随分と古い建物のような印象を受けるが江戸後期の建物と推定されている。佐賀平野の民家の特徴であるクド造の一系統となる漏斗造と称される建前で、建物を真上から見ると屋根の棟筋が「ロ」の字型をしており、まるで漏斗のような形状からその名が付けられた。開口部が極端に少なく、建築年代の割に柱を密に建てるのは、恐らく中洲という立地条件から強風に対する備えなのであろう。
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吉村家住宅 国指定重要文化財  (昭和49年2月5日指定)
佐賀県佐賀郡富士町大字上無津呂2856
建築年代/天明9年(1789)
用途区分/山村農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
佐賀と福岡の県境となる脊振山中に所在する山村農家である。有明海を臨む広大な佐賀平野では、地域的な特色として屋根の棟筋が凹形となるクド造民家を数多く見受けるが、山間地にある当住宅の場合は直屋である。周囲の民家も殆どが直屋で、平地が貴重な環境に影響された為であろうか。山中の寒冷地ゆえに北面するウラ側の部屋には外気を遮断するかのように開口部を殆ど設けず、反対に南面するオモテ側の部屋には太陽の恵みを存分に取り込もうかとするように開口部を大きく取っている。
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土井家住宅 国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定)
佐賀県杵島郡大町町大字大町1045
建築年代/江戸時代(19世紀前半)
用途区分/商家(酒造業)
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
佐賀平野の北西部の大町町に所在する商家建築である。長崎街道の小田宿と北方宿の中間に位置する大町町は、農商が混在する地域で、当住宅もかつては造酒屋であったと伝えられる。明治初期に土井家が購入して以降は純然たる農家住宅として用いられてきた。外観は町家ながら内部の土間は異様に広く、まるで農家のような造作である。半農半商的な生活が営まれていた可能性もあるが、一般に酒蔵での醸造を想像する酒造業も、規模が小さな場合は主屋内の土間で行われていたのかもしれない。
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川打家住宅 国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定)
佐賀県多久市西多久町大字板屋6200-1 (移築)
旧所在地・佐賀県多久市西多久町大字板屋6300
建築年代/江戸時代(18世紀前半)
階層区分/町家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
佐賀県西部の多久と伊万里を結ぶ往還沿いに形成された在郷町に所在した農家建築である。現在は道路拡幅により少し南方の民家園内に移築されている。そもそもは往還に接して建てられていた当住宅は町家的要素と農家的要素の両者が混在する建物で、開口部が極端に少なく閉鎖的であるのは往還沿いの治安上の問題からであろうか。またオモテ側に並ぶイマとザシキの境界に建具を立てず開放的な造作とするのも一般の農家では見受けない建前である。外観はクド造の典型で県内最古の例とされる。
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西岡家住宅 国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定)
佐賀県藤津郡塩田町馬場下甲720
建築年代/江戸時代(19世紀中頃)
用途区分/商家
指定範囲/主屋
公開状況/非公開
旧長崎街道の宿場町であり、有明海の干満差を利用した川湊でもあった塩田津に所在する町家建築である。屋敷は町の中央部に在り、街道に西面する主屋は町内屈指の豪商に相応しく上質なものである。磁器の原料となる陶石の卸販売業を営んだ商家で、屋敷裏手には陶石の選別場が拡がる。肥前国は磁器の産地として著名であるが、その原料となる陶石は肥後国天草産に頼るところが大きく、内陸と有明海の水運を結ぶ交通の要衝・塩田津であればこそ、当家のような存在が成り立ちえたのである。
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大隈重信生家 国指定史跡 (昭和40年6月4日指定)
佐賀県佐賀市水ヶ江2-11-11
建築年代/江戸時代
用途区分/武家(石火矢頭人・知行300石)
公開状況/公開
明治の政治家・大隈重信候は、立憲改進党を立ち上げ、2度も総理大臣を務めた偉人であるが、明治も遠くなった現在では、むしろ早稲田大学の創立者としてのみ知られる存在かもしれない。
当住宅は候が幼年時代を過ごした生家であるが、そもそも大隈家は佐賀藩の石火矢頭人を務めた知行300石の中級武士の家柄で、今で云うと砲術長のような役目により長崎警固の任を負ったとのこと。石高に比してあまり格式張らない簡素な建物で、増築したニ階部屋が幼き頃の候の勉強部屋だったらしい。
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中尾家住宅 佐賀県指定文化財 (平成24年4月27日指定)
唐津市指定文化財 (平成14年6月24日指定)

佐賀県唐津市呼子町呼子3750-2
建築年代/江戸中期
用途区分/商家(捕鯨業)
指定範囲/主屋・勘定場・角蔵・離座敷・裏二階
公開状況/公開
長崎県の北部、壱岐や対馬、平戸島に囲まれた海域を西海と呼ぶ。現在でも漁業が盛んな地域ではあるが、江戸期には何と云っても捕鯨業の一大拠点であった。当住宅は最近まで酒造業を営む山下家の所有であったが、そもそもは捕鯨の大網元(鯨組主)、中尾家の本宅として建てられたものである。当時において鯨は余すところなく活用できた天然資源であり、食することから始まり、鯨油や楽器の弦など多用な用途に活かされた。大船団で漁をし、水揚げした後、解体・販売までを差配する商家でもあった。
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伊東玄朴生家 佐賀県指定史跡 (昭和48年4月23日指定)
旧神埼町指定文化財 (昭和45年2月17日指定)
佐賀県神埼郡神埼町大字的1675
建築年代/文政3年(1820)
用途区分/医家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
伊東玄朴は仁比山村の農家の生まれながらも長崎・鳴滝塾でシーボルトに医学を学び、江戸に出て蘭医として名声を博した後、鍋島候の御匙医となり、日本初の種痘を行った幕末の偉人である。最終的には将軍家の御奥医師にまで登用されたというから凄い。佐賀平野北方の山裾にある仁比山神社参道脇に所在する当住宅は彼の生家として保存される建物であるが、小振りながらも玄関を構え、土間は小さく座敷も整う建前で、とても農家建築とは思えない。恐らく玄朴の出世後の建築ではないかと思うのだが。
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古賀家住宅 佐賀市指定文化財  (平成7年10月23日指定)
佐賀県佐賀市柳町3-15
建築年代/明治17年(1884)
用途区分/実業家邸宅(銀行頭取)
指定範囲/
公開状況/公開 【佐賀市歴史民俗館】
佐賀城址の東北に位置する柳町の一画に周囲の風情に全く馴染まぬ褐色タイル張の立派な洋館が建っている。明治時代に九州五大銀行の1つとまで云われた古賀銀行旧本店で、現在は佐賀市歴史民俗館として利用される建物である。その東隣に所在する当住宅は、江戸期には両替商を営み、明治に入って古賀銀行を設立した古賀家の本宅で、銀行開業に先立つ1年前に整備されたものである。街道に面して薬医門形式の表門を構え、切妻破風の大振りな式台玄関を設える点は上流武家屋敷の風情である。
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牛島家住宅 佐賀市指定文化財 (平成7年10月23日指定)
佐賀県佐賀市柳町4-9 (移築)
旧所在地/佐賀県佐賀市今宿町63
建築年代/江戸時代(18世紀前期)推定
階層区分/商家(咾役・煙草仲買・海陸運漕業)
指定範囲/主屋
公開状況/公開 【佐賀市歴史民俗館】
佐賀市歴史民俗館を構成する商家建築である。市内でも比較的古い建物が数多く残っていた柳町に、同じ市内の今宿町で道路拡幅工事に引っ掛かった当住宅を移築し、路地裏回遊型の建物園を形成している。その発想には全く敬服させられる。当住宅は、そもそも問屋業を営み、町の咾役を務めた高楊家の建物であったが、戦後に牛島家の所有となった。市内最古の商家建築と推定されているが、質が高く、余り古めかしさを感じることはない。移築復元時に明治末期頃の姿に戻した故もあるのだろう。
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福田家住宅 佐賀市指定文化財 (平成10年5月26日)
佐賀県佐賀市松原4-3-15
建築年代/大正7年
用途区分/実業家邸宅
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/公開(佐賀市歴史民俗館)
当住宅は明治末期〜大正期にかけて活躍した実業家・福田慶四郎の旧邸である。彼の名は全国的な知名度こそ低いものの、興した会社は佐賀セメント、佐賀軌道会社、朝日商会、佐賀水産、佐賀紡績などあらゆる分野に及び、最終的には百六銀行の頭取を務め、佐賀商工会議所の会頭にまで推された佐賀経済界の重鎮である。大正年間に整備された屋敷は近代和風建築の粋を集めたもので、良材を用い、基本に忠実な建前は、佐賀県内における伝統建築の1つの到達点を示すものと云えるだろう。
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犬塚家住宅 伊万里市指定文化財 (平成3年6月1日指定)
佐賀県伊万里市伊万里町甲555-1
建築年代/文政8年(1825)
階層区分/商家(陶器問屋)
指定範囲/主屋
公開状況/公開 【伊万里市陶器商家資料館】
有田焼の積出港として栄えた伊万里に残る数少ない商家建築である。往時は伊万里川河畔の本町通りに80軒以上の陶器商が軒を連ねたということであるが、今に残るは当住宅のみとなってしまった。通りに北接する間口僅か3間の主屋は、規模の大きな土蔵の様な外観で、江戸陶器蔵元の要職を歴任し伊万里津屈指の豪商であったという当家の来歴からは、拍子抜けするほどに簡素な建物である。しかし内部は陶器商ならではの実用的な工夫を随所に見ることができ、伊万里の歴史を伝える貴重な町家である。
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森家住宅 多久市指定文化財 (平成8年3月29日指定)
佐賀県多久市西多久町6200-1 (移築)
建築年代/
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
日本三大聖廟の一つとされる多久聖廟が所在する多久旧市街から伊万里方面に向かう街道沿いの在郷町に所在した農家建築である。当住宅は道路拡幅により立ち退きを余儀なくされ、当所地から僅かな距離の現在地に移築、国指定文化財の川打家住宅と共に民家園を形成している。当住宅は嘗て街道に接面した立地環境や後谷型のクド造とする建前など川打家住宅と多くの類似点を共有するが、建築年が大きく相違するためそれが建物の造作にどのような違いとなって顕れるか興味深く鑑賞できる。
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乗田家住宅 鹿島市指定文化財 (平成17年10月7日指定)
佐賀県鹿島市古枝字寺角甲115 
建築年代/江戸時代(19世紀初期)
用途区分/在郷武家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
国の重伝建地区に選定される肥前鹿島の八本木宿内に所在する在郷武家住宅である。長崎街道の脇道である多良海道に面して造酒業を営む大規模町家を主体に構成される同地区であるが、街道脇の路地を奥に入った辺鄙とも云える場所に屋敷はある。その身分から考えて不思議を感じる位置である。しかし式台玄関を構え、整った座敷を備える造作は、さすがに武家住居の趣である。また養蚕のため2階天井を土壁で塗籠めるという特異な造作もあり、半農半士的な在郷武家の一面を垣間見ることもできる。
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内田家住宅
(下村湖人生家)
神埼市指定文化財 (平成3年3月30日指定)
佐賀県神崎市千代田町大字崎村字一本松895-1
建築年代/明治時代初期
用途区分/在郷商家
指定範囲/主屋
公開状況/公開
明治17年生の下村湖人は東京帝国大学を卒業後、教職の道をひたすら歩み、地元の鹿島中学や唐津中学で校長を務めた後、青年団活動に奔走した人物であるが、恐らく名著「次郎物語」の作者としてご存じの方が多いだろう。物語は湖人の自伝的な内容で、主人公・次郎の家は村内きっての旧家で屋根の棟には旧藩主から下賜された鬼瓦が載っていると描かれているが、実際においても相当な豪家であったことは一目瞭然で、蓮池藩の藩邸であった「天賜園」の名を記した瓦も発見されている。
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野中家住宅
(野中烏犀園)
登録有形文化財 (平成12年3月2日登録)
佐賀県佐賀市材木町1-82
建築年代/寛政8年(1796)
用途区分/商家(薬問屋)
登録範囲/主屋
公開状況/非公開
県を代表する町家建築である。当家は佐賀城の北東に位置する旧商人町に所在し、寛政8年(1796)に藩から一手製造の認可を受け販売した不老長寿の生薬「烏犀圓」の成功を基盤に、幕末には佐賀藩の長崎貿易にも従事した藩御用商である。屋号を「松養軒」と称した。主屋は実に特異な外観をしており、切妻屋根の軒下に平入の店屋を潜り込ませたような類を見ないものである。とかく類型的な建前になりがちな町家建築にあって、豪商としての面目を施すため、如何に他家との差異化に腐心したかが窺われる。
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百ア家住宅 登録有形文化財 (平成29年5月2日登録)
佐賀県佐賀市水ヶ江3丁目231
建築年代/明治前期
用途区分/御典医
登録範囲/主屋
公開状況/非公開



杉光家住宅 登録有形文化財 (平成10年9月25日登録)
佐賀県嬉野市塩田町馬場下甲728
建築年代/江戸時代末期
用途区分/商家(米穀商/現在は陶器店)
登録範囲/主屋・一の蔵・二の蔵・三の蔵
公開状況/店舗として営業中
重伝建地区に選定される塩田町に所在する大規模な商家建築である。そもそもは塩田町の別当職を務めた宮崎家の住宅で、国重文の西岡家住宅の並びに所在し、規模が大きく、棟の高い豪壮な外観は、明治期には米穀・砂糖・肥料等を扱い塩田一と称された豪商としての威光を今に伝えている。主屋の背後には塩田湊に至るまで大規模な蔵が並び、嘗ては砂糖蔵・米蔵・塩蔵と称されていた。現在は陶磁器卸商を営む杉見家の所有となったが、往時の屋敷構えをそのままに残す第一級の商家建築群である。
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池田家住宅 登録有形文化財 (平成21年5月14日登録)
佐賀県嬉野市塩田町五町田字辺田乙4345
建築年代/明治時代初期
用途区分/在郷武家
登録範囲/主屋・座蔵・石垣
公開状況/非公開
長崎街道は塩田宿で温泉地として著名な嬉野に向かう本街道と鹿島城下に向かう多良海道に分岐する。当住宅は塩田宿から嬉野方面に本街道を約3km程下った塩田川南岸の小高い山裾に所在する。辺りは純農村地帯の趣であるが、当家は在郷武家の系譜を引く元士族ということである。屋敷は緩やかな傾斜地に石垣を築き平地を造成し、背後に山林を背負いつつ、西側に主屋、東側に座蔵を配置する。主屋は元来、くど造形式の茅葺であったものを大正年間に近代和風の要素を入れて改築したものである。
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香月家住宅 登録有形文化財 
佐賀県嬉野市塩田町久間字西山乙3595-1
建築年代/明治前期
用途区分/窯主
登録範囲/主屋
公開状況/非公開



 
前田家住宅 登録有形文化財 (平成13年9月14日登録)
佐賀県伊万里市立花町4028
建築年代/江戸時代後期
用途区分/農家(大庄屋)
登録範囲/主屋・西の蔵・東の蔵・北の蔵・薪小屋・水車小屋
公開状況/非公開
伊万里市中心部に近い玉屋百貨店の南方に所在する当家は肥前佐留志の豪族・前田美濃を祖とし、江戸時代初期から代々伊万里郷の大庄屋職を務めた。南北に長い約1000坪程もある広い敷地に主屋や座敷、蔵等の多くの建物が残されているが、特に主屋は複雑な棟形状で、大庄屋の役宅的な側面と商家的なな建前が混在する不思議な住宅である。佐賀藩では寛政年間に財政悪化を理由に大庄屋制を廃止しているが、藩境に近い地域についてのみは例外扱いとし、当家も幕末までその地位を維持した。
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町家カフェぜん
(旧藤田家住宅)
登録有形文化財 (平成26年4月25日登録)
佐賀県唐津市坊主町552-5
建築年代/大正14年(1925)
用途区分/商家(質屋)
登録範囲/主屋兼店舗
公開状況/非公開



永井家住宅 登録有形文化財 (令和3年2月4日登録)
佐賀県唐津市呼子町呼子字坊山3085
建築年代/江戸後期
用途区分/商家
登録範囲/店舗兼主屋
公開状況(店舗として営業中)
烏賊の活け造料理で有名な呼子の朝市通りに東面して建つ商家建築である。


 
田中丸家住宅
(牛津町会館)

登録有形文化財 (平成13年9月14日登録)
佐賀県小城市牛津町牛津586-1
建築年代/大正初期
用途区分/事業家本宅(百貨店経営)
登録範囲/主屋・倉庫
公開状況/公開(公民館として利用)
九州北部に住む年配者には懐かしい「玉屋デパート」の創業家二代目の田中丸善蔵氏が大正初期に建てた大邸宅である。牛津は佐賀三津の1つに数えられる湊町で、田中丸家の隆盛は初代・善蔵氏がこの地で呉服店を開いたことに始まる。主屋は建坪約125坪にも及ぶ大規模近代和風建築で、間取りは福岡県の筑豊地方に残る大炭鉱主の邸宅と類似する。昭和29年に町に寄贈され現在は公民館として使用されているが、存外に粗略に扱われている様子で座敷の床柱や長押に残る画鋲の穴跡が痛々しい。
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深川家住宅 登録有形文化財 (平成13年5月15日登録)
佐賀県小城市小城町877-2
建築年代/江戸時代末期
用途区分/商家(酒造業)
指定範囲/主屋・土蔵
公開状況/公開
佐賀県の中西部にある旧小城藩の城下町に所在する商家建築である。佐賀の名峰・天山の麓に位置する小城町はその伏流水を利用した酒造業が盛んな地域で、当家も江戸中期から明治まで酒造業を営んでいた。主屋の背後に桁行5間の明治初期建築の土蔵が残り、嘗ては酒蔵であったらしいが明治から昭和初期まで米穀商を営んでいたため面影は希薄である。主屋は外観が直線的でやや硬質な印象ゆえに、明治以降の近代町家かと思っていたが、江戸後期の建築であることが判明している。
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小柳酒造 登録有形文化財 (平成14年3月12日登録)
佐賀県小城市小城町903-1
建築年代/江戸時代後期
用途区分/商家(酒造業)
登録範囲/主屋・離れ・昭和西蔵・昭和東蔵・麹室・酒母室・釜場・検査室・煙突・ムロマエ・ポンプ小屋・ビン詰場・西貯水槽・東貯水槽
公開状況/店舗として営業中
佐賀藩の支藩である小城藩73000石の城下町に所在する文化年間創業の老舗酒造店である。脊振山地の山裾に位置する小城の町は天山水系の清らかな伏流水に恵まれた酒造の好適地で、当家では現在も「高砂」という銘柄で醸造を続けておられる。祇園社の門前から城下に至る街道沿いに東面して建つ主屋は江戸後期の建築で、切妻屋根で白漆喰の大壁が印象的である。背後に大正から昭和初期にかけて整えられた一連の酒造施設群がよく残り、主屋を含めた計14棟の建物が登録文化財となっている。
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旧前田家住宅 登録有形文化財 (平成16年11月29日登録)
佐賀県鹿島市浜町乙2696
建築年代/江戸後期
用途区分/商家(継立場)
指定範囲/主屋
公開状況/公開 【肥前浜宿継場】
重伝建に選定される肥前浜町の中心部に所在する商家建築である。地元で「継場」と称されてきた建物で、人馬の継ぎ立てを行う問屋場と同義であったと思われる。明治以降に呉服商を営んだ山口氏による改造を経て、前田氏へと受け継がれ、現在は公営化されて町並散策の拠点として活用されている。住宅主屋は切妻屋根の妻入洋式で白漆喰大壁造の妻面に小振りの単窓が2ヶ所のみを開く非常に簡潔な姿である。地区内の白壁土蔵造の商家の中ではもっとも古い建物と推測されている。
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呉竹酒造 登録有形文化財 (平成16年11月29日登録)
佐賀県鹿島市浜町乙2751
建築年代/昭和8年(1933)
用途区分/商家(酒造業)
登録範囲/主屋・一番蔵・東の蔵
公開状況/非公開
肥前浜町の中心部に広大な屋敷を構え、「呉竹」という銘柄の酒造元である。元々は庄屋屋敷の跡地で、同じ浜町に「祐徳」の銘柄で酒造業を営んだ水頭家から分家した当家の祖先が明治期に購入したものである。昭和期を代表する町家建築で、総欅造りで屋久杉などの銘木を随所に使用した豪勢なものである。町内の明治以前の建物は土蔵造が主流であるが、当家は真壁造りの瀟洒な建築である。屋敷背後には東西に伸びる長大な酒蔵なども残されており、付属屋も含めて屋敷構えがよく残されている。
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中島酒造場 登録有形文化財 (平成18年8月3日登録)
佐賀県鹿島市浜町乙2714
建築年代/明治18年(1885)
用途区分/商家(酒造業)
登録範囲/主屋・仕込蔵、麹室、土蔵、西蔵
公開状況/非公開
重伝建地区に選定される肥前浜町・八本木宿の東側一帯は酒造業を営む大規模な町家が軒を連ねることを特徴とするが、旧長崎街道の脇街道である多良海道に北面して建つ当住宅も「君恩」の銘柄で醸造業を営んだ近代町家建築である。浜町の酒造業は江戸中期から始まり、昭和初期に最盛期を迎えたといわれるが、当家は江戸後期創業の最も古い歴史を持つ醸造元である。道を挟んで主屋の対面に建つ土蔵も当家の所有で、主屋背後には浜川に面して仕込蔵や麹室が建ち並び、広大な屋敷を形成する。
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旧中島政次家住宅 登録有形文化財 (平成18年8月3日登録)
佐賀県鹿島市浜町乙2692
建築年代/明治27年(1894)
用途区分/商家(呉服商)
登録範囲/主屋
公開状況/非公開
JR長崎本線の肥前浜駅から南西方向に真っ直ぐの道を突き当ると、そこが重伝建に選定される肥前浜宿地区への入口である。この三叉路から東側の往還沿いに白壁土蔵造の妻入商家が連続する様子は圧巻で、町並を代表する景観と云っても差し支えないだろう。その内の1軒である当住宅は道路を挟んだ対面にある中島酒造場が所有する商家建築で、明治中期に本家の中島政平氏が弟・政次氏の分家に際して建設したものと伝えられる。珍しい3階建の建物ではあるが3階と2階表半分は物置である。
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飯盛酒造 登録有形文化財 (平成18年8月3日登録)
佐賀県鹿島市浜町古枝甲122
建築年代/大正13-14年頃(1924-25)
用途区分/酒造業
登録範囲/主屋・麹室・煙突・一号蔵及び二号蔵・三号蔵
公開状況/非公開
JR肥前浜駅から真っ直ぐに宿場町へと延びる通りの突き当たりに屋敷を構える。往還沿いに妻側を見せる町家が多い中、当住宅は平入の建物で、向かって左手の土間部は白漆喰塗大壁の土蔵造とするのに対し、右手の床上部は真壁造で木部を露出した対照的な建前となっている。そもそも飯盛家は同じ往還筋の東側に所在する呉竹酒造を営む水頭家から戦後暫くの頃に分家した来歴を持ち、以来30年程の間、「乾杯」の銘柄で酒造業を営んできた。往還筋に面して主屋を構え、煉瓦造の麹室と巨大な酒蔵を裏手の水路に沿って建てる。

矢野酒造 登録有形文化財 (平成18年8月3日登録)
佐賀県鹿島市高津原字一本杉3903-1
建築年代/明治37年(1904)
用途区分/商家(酒造業)
登録範囲/主屋・旧精米所・麹室・中蔵・西蔵・東蔵・離れ
公開状況/店舗として営業中



 
吉田家住宅 登録有形文化財 (平成21年1月22日登録)
佐賀県鹿島市中村字本町103
建築年代/明治23年(1890)
用途区分/商家(貸金業・米穀商)
登録範囲/主屋・土蔵・一番蔵
公開状況/非公開
佐賀藩の支藩である鹿島藩の城下にあって、長崎街道の脇街道・多良海道に西面して建つ近代町家である。当家が所在する本町は鹿島鍋島家が文化4年(1807)に居城・常広城を水害を理由として現在の高津原の地に移すまでの間、商業の中心地として栄えた場所である。近世町家の建前を継承する外観ながら1階側面の腰壁を煉瓦積にするなど近代の趣も垣間見える。当家は旧鹿島村の地主で明治以降は貸金業や米穀商を営んだと云い、当住宅を建築した吉田次平は藤津郡議会議員を務めたという。
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桑原家住宅 登録有形文化財 (平成17年8月2日登録)
佐賀県武雄市朝日町甘久1956-2
建築年代/明治15年(1882)
用途区分/商家(呉服商・薬局)
登録範囲/主屋
公開状況/非公開
辰野金吾の設計で有名な武雄温泉から西方約3kmのところに高橋という町がある。江戸期には有明海の干満差による新堀川の水運を利用した湊町だったところで、往時は「市は高橋、荷は牛津」と謳われた程に繁栄を極めた。しかし明治28年の鉄道開通に際し駅が設けられなかったことから次第に廃れ、今ではここに町場があったことすら想像は難しい状況である。当住宅はその高橋の町に稀に残る商家建築である。旧長崎街道に東面する主屋は大壁造の品の良い建物で、往時の風情を唯一止めている。
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杉森家住宅 登録有形文化財 (平成21年11月2日登録)
佐賀県武雄市山内町大字宮野字水尾345
建築年代/明治24年(1891)
用途区分/医師
登録範囲/主屋・二階門
公開状況/非公開

診療所や製薬所として使用されたこともある。



中野家住宅 登録有形文化財 (平成29年5月2日登録)
佐賀県藤津郡太良町伊福字椎木坂甲1978
建築年代/明治42年
用途区分/県議会議員・実業家
登録範囲/主屋・石垣・門柱・水槽・上の取水口・下の取水口
公開状況/非公開


大島家住宅 無指定・公開
佐賀県唐津市南城内4-23
建築年代/明治26年(1893)
用途区分/実業家
公開状況/公開



 
釘町家住宅 無指定・公開 【佐賀県遺産認定】
佐賀県武雄市東川登町永野6793
建築年代/19世紀中頃
用途区分/在郷武家・地主
公開状況/蕎麦屋として営業中
日本の近代建築の黎明期に活躍した建築家・辰野金吾の設計として名高い楼門風建築があることで有名な武雄温泉から、美人の湯として名高い嬉野温泉へと続く国道34号線沿いの武雄市南郊に建つ在郷武家住宅である。以前から、この道を通るたびに普通の農家建築とは異なる厳かな風情に魅入られていたが、平成18年に佐賀県遺産に認定されて世に知られることとなった。正面からは直屋に見受けられるが、上手の座敷と下手の土間を後方に突き出す「くど造」となっている。現在は蕎麦店として活用されている。
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山口亮一旧宅 無指定・公開 【佐賀県遺産認定】
佐賀県佐賀市与賀町1368-1
建築年代/江戸期(天保以前)
用途区分/御典医・画家
残存建物/主屋
公開状況/常時公開



池田家住宅  無指定・公開
佐賀県鹿島市



 
中島家住宅 無指定・公開
佐賀県鹿島市



中村家住宅 無指定・公開
佐賀県鹿島市



 

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