森家住宅
Mori


 
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多久市指定文化財 (平成8年3月29日指定)
佐賀県多久市西多久町6200-1 (移築)
建築年代/
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/公開

日本三大聖廟の一つとされる多久聖廟が所在する多久旧市街から伊万里方面に向かう街道沿いの在郷町に所在した農家建築である。当住宅は前面道路の拡幅工事により立ち退きを余儀なくされ、当初地から僅かな距離の現在地に国の重要文化財に指定される川打家住宅に隣接して移築・復元され共に民家園を形成している。当住宅は嘗て街道に接面した立地環境や後谷型のクド造とする建前など川打家住宅と多くの類似点を共有するが、建築年が大きく相違するためそれが建物の造作にどのような違いとなって顕れるか興味深く鑑賞できる。

当住宅の建築年代は18世紀中頃とされているが、18世紀初頭に建てられたと云われる川打家住宅と比較して、時代が大きく異なるわけではないにも関わらず、間取りや技法などかなりの部分において新しい要素を感じることができる。規模は当住宅のほうが少しばかり大きなものであるが、文化財としての価値については、一面的な捉え方は宜しくはないとは思うが両者を比較すると確かに国と市の指定の違いはあると感じざるを得ない。佐賀県内は比較的民家の残存状況も悪いものではないと思われるが、意外に民家の見学可能な建物は少ない。また県下を代表する民家の形式であるクド造りに限っても、これほど特異な様式は全国的にも稀であるにも関わらず同様である。その意味においては、当所はクド造りの特異な建前や発展経過を勉強するには絶好の場所である。

多久について
古代中国の思想家で儒学の始祖として有名な孔子様を祀る御堂のことを聖廟・聖堂と云う。大方の日本人は、自分達の生活には儒教の教えが根付いていると考えながらも、このことをあまり知る人はいない。昔、中学の歴史の教科書で「江戸時代の幕府の御用学者であった林羅山が湯島に聖堂を建てた」との記述に接した記憶ぐらいはあるのではないかと思うが、それでも湯島の聖堂が一体何をするところかよく判らないまま、単に単語として覚えている程度の方が大半ではなかろうか。
況して、日本には三大聖廟と称する著名な聖廟があるなどという話は、殆どの方が見たことも聞いたことも無いのではないかと思うが、佐賀県の西方に位置する多久市に所在する多久聖廟もその一つに数えられる存在であるらしい。斯く云う私も、多久聖廟のことは知っていたが、さすがに三大聖廟という概念までは知らなかった。
さて、この多久聖廟、なかなかに美しい建物である。江戸時代に佐賀鍋島藩の家老を務めた多久家の当主が建てたものであるが、なぜ城下から遠く離れた多久の地に、このような建物が建てられたのか訝しく思われる方も多いのではなかろうか。

佐賀藩は、その成立事情から中世的な古い体制を温存せざるを得ず、地方の支配機構は地方知行制を採っていた。多久家は多久邑を中心とした一帯21600石を領し、多久は在地支配のための役所が置かれ、小さな城下町のような様相を呈していたのである。
廃藩置県後は、佐賀西部の小都市として、炭鉱景気に沸いたこともあったらしいが、閉山後は他の炭鉱町と同様に新たな産業の誘致を図るが、今一つパッとしない。

 

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