前田家住宅
Maeda



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登録有形文化財 (平成13年9月14日登録)
佐賀県伊万里市立花町4028
建築年代/江戸時代後期
用途区分/農家(大庄屋)
登録範囲/主屋・西の蔵・東の蔵・北の蔵・薪小屋・水車小屋
公開状況/非公開

伊万里市中心部に近い玉屋百貨店の南方に所在する当家は肥前佐留志の豪族・前田美濃を祖とし、江戸時代初期から代々伊万里郷の大庄屋職を務めた。南北に長い約1000坪程もある広い敷地に主屋や座敷、蔵等の多くの建物が残されているが、特に主屋は複雑な棟形状で、大庄屋の役宅的な側面と商家的なな建前が混在する不思議な住宅である。佐賀藩では寛政年間に財政悪化を理由に大庄屋制を廃止しているが、藩境に近い地域についてのみは例外扱いとし、当家も幕末までその地位を維持した。

伊万里といえば伊万里焼。しかし伊万里の町の中心部は陶器の産地というよりも、更に内陸に入った大川や有田で焼かれた陶器の積出港としての役割が大きかった。しかし時代は変化し、いまや陸送の時代。現在の伊万里の町は少し寂しい。地元の人も自覚はしているようである。当家は伊万里の町の中心近くに所在するが、まるで農家のような姿をしている。そもそも伊万里は厳密には港と街道筋を中心とする町方と、その周辺部に広がる郷方に分かれており、当家は郷方に属する代々大庄屋職を務めた名家であった。主屋だけをみていると純農村部に所在する民家の様であるのは、そのためである。しかし1000坪程もある広い敷地を持つにも関わらず、主屋や座敷、蔵等を屋敷西北部にまるで集めるかのように配置し、余裕のない屋敷構えとするのは町方の建前が影響したためであろうか。農家か、商家か、どちらなのかよく判らないような屋敷構えである。農家にしては収穫作物の加工場となるべき前庭を広く取らず、蔵や納屋の配置は町中の商家のように屋敷を囲む形で閉鎖的である。仮に商家であったとしても主屋の間口は街道に面しておらず、内部にミセの空間も設けられていない。私も数多くの民家を見てきたつもりではあるが、こうした屋敷構えはあまり記憶にない。長く民家の世界に浸っていると「あるべき姿」を頭の中で思い描き、ついステレオタイプ的な物の見方に陥りがちであるが、世の中には様々な形があるものだということを思い知らされる。、


 

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