野中家住宅
Nonaka



登録有形文化財 (平成12年3月2日登録)
佐賀県佐賀市材木町1-82
建築年代/寛政8年(1796)
用途区分/商家(薬問屋)
登録範囲/主屋
公開状況/非公開

県を代表する町家建築である。当家は佐賀城の北東に位置する旧商人町に所在し、寛政8年(1796)に藩から一手製造の認可を受け販売した不老長寿の生薬「烏犀圓」の成功を基盤に、幕末には佐賀藩の長崎貿易にも従事した藩御用商である。屋号を「松養軒」と称した。主屋は実に特異な外観をしており、切妻屋根の軒下に平入の店屋を潜り込ませたような類を見ないものである。とかく類型的な建前になりがちな町家建築にあって、豪商としての面目を施すため、如何に他家との差異化に腐心したかが窺われる。

寛永3年(1626)創業の老舗薬問屋。土蔵造ながら開口部を大きく取り、軽快な印象を演出するが、大規模で複雑で意図的に屋根を幾重にも重ね棟高を上げる姿は見る者を圧倒する。佐賀市内を東西に横切る長崎街道筋から少しばかり脇に逸れた町の一画に広大な敷地を依然維持しておられる豪商家である。東面する店舗棟に直交する母屋の屋根が異様に高く、全体にアンバランスな印象を持つが、どのような経緯でこのような奇妙な建前になったのか興味を引く。市内にも数軒、当家のような大商家を中心に奇妙な屋根をみかけるので何か理由があるはずである。当家は「卯犀園」という名称で江戸時代から続く著名な製薬業者で、長者番付にも度々名前を連ねた豪商であった。幕末のパリ万博へ藩主・鍋島家の使節として参加したメンバーの中に当主の名前が見受けられるほどである。現在は家伝の薬は薬事法の関係で使用禁止物質を含むため製造を中止しておられるようである。どのような薬であったか少し興味をそそられる。店舗棟正面の庇上には、当時の看板がそのまま掲げられており商家としての風情をよく残してくれている。抜けるような真っ白な漆喰壁が家全体に明るい雰囲気をもたらしてくれており、全体的に沈んだ暗い雰囲気の家が多い佐賀県にあっては出色である。

寛永3年(1626)創業の生薬製造販売の老舗。
寛政8年(1796)に「烏犀圓」の製造販売を藩から許可(一手製造・販売特権)され、その頃の建物と推定される。
屋号は松養軒。現在はウサイエン製薬。ウサイエンは不老長寿の薬。


 

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