西岡家住宅
Nishioka


国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定)
佐賀県藤津郡塩田町馬場下甲720
建築年代/江戸時代(19世紀中頃)
用途区分/商家
指定範囲/主屋
公開状況/非公開

旧長崎街道の宿場町であり、有明海の干満差を利用した川湊でもあった塩田津に所在する町家建築である。屋敷は町の中央部に在り、街道に西面する主屋は町内屈指の豪商に相応しく上質なものである。磁器の原料となる陶石の卸販売業を営んだ商家で、屋敷裏手には陶石の選別場が拡がる。肥前国は磁器の産地として著名であるが、その原料となる陶石は肥後国天草産に頼るところが大きく、内陸と有明海の水運を結ぶ交通の要衝・塩田津であればこそ、当家のような存在が成り立ちえたのである。


佐賀鍋島藩領においては南半分の地域が海苔の養殖で有名な有明海に面しているものの、あまりに潮の干満差が大き過ぎたため沿岸部では干拓地として開発が進むことはあったものの、港町として発展することはなかったようである。現在でも状況は変わらず、佐賀県のうち有明海沿岸部に大きな都市は未だ存在していない。さて当家が所在する塩田の町は佐賀鍋島家の支藩があった鹿島市の西方3kmほどの内陸部にある小さな集落である。旧長崎街道沿いに形成された宿場町で、約300mほどに亘って街道両脇に町家が連続して並んでおり、結構に往古の建物が残されていたため、平成10年に国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている。塩田の町はさほど大きくはないが、道幅は広く明るいイメージ゙がある。往時には陶石の中継地として大いに栄えたらしい。東方には海を挟んで知る人ぞ知る陶石の産地である天草があり、ここで産する良質の陶石は西方の有田・伊万里といった陶器の産地まで運ばれた。今でこそ干拓が大いに進み、塩田の町はかなり内陸部に入ったところにあるように思われるが、近年までは川舟が町裏の川岸まで遡上できたとのことである。当家は町のほぼ中心部に所在する。店舗棟の屋根上には母屋棟の妻を見せ大店の風格がある。屋敷の裏手はかつて川岸だったところで護岸石積みがそのまま残る。現在、屋敷は住まわれることはなくなっているが、修復の手を入れられることもなく、程よく保存されている。よい家が残されたものだと思う。また当家の周囲には興味深い民家が数軒残されている。当家の本家筋にあたる家や近年、登録文化財に指定された杉光家など大店としての風格を今に伝えてくれている。ブラブラと街歩きも楽しんで欲しい。