山口家住宅
Yamaguchi



国指定重要文化財 (昭和49年2月5日指定)
佐賀県佐賀市川副町大託間930
建築年代/江戸時代(19世紀前半)
用途区分/農家
指定範囲/主屋
公開状況/非公開

九州一の大河である筑後川河口付近に形成された中洲に営まれる大託間集落に所在する農家建築である。今でこそ周囲は堤防で囲まれ干拓地化が進んだため広大な畑作地が拡がっているが、嘗ては有明海の干潟であり、過去には全く様子の異なる別の生活が展開されていたに違いない雰囲気が今でも集落中を歩くと色濃く漂っている。住宅は茅屋根の軒を低く葺き下ろした姿と、嘗て東北や北陸などの豪雪地帯で見受けられたように外壁の表面を茅で保護する様子から随分と古い建物のような印象を受けるが、実は江戸後期の建物と推定されている。当住宅の建前は規模こそ大きくはないが、数ある日本の民家の中でも屈指の変わり様で、佐賀平野の民家の特徴であるクド造の一系統となる建前ではあるが、建物を真上から見ると屋根の棟筋が「ロ」の字型をしており、まるで漏斗のような形状から、そのままに「漏斗造」との名で称されている。凡そ日本の民家は直屋、あるいは曲屋形式を採ることが大半で、屋根の棟を真上から見れば、通常は「一」あるいは「」型をしているものであるが、当住宅の場合は何と「ロ」型なのである。大きな屋敷で別棟の建物が複雑に組み合わさって中庭を囲む形で偶然に「ロ」型ができてしまうことも無い訳ではないが、当家の場合は一棟である。こうした特殊な形状は佐賀藩による家作制限、すなわち梁間制限によるものだと云われている。それは単純に奢侈を戒めるために行われたという考えもあるが、広大な平野が目立つ当藩では森林資源の枯渇を心配したせいではないかとの説もある。また私の個人的な見解では、泥地の地盤が弱い土地に建物を建てる際、梁間が小さいほうが単位面積あたりの家の荷重を小さくできて有利に働くためではないかと考えている。実際、建築年代の割に柱を密に建てるのもその証左ではないかと思われるし、家を軽くした反面、中洲という立地条件から強風に見舞われることも多く、建物が風を孕むことが無いように開口部を極端に少なくしたのではないかと思われる。ともかく他の地域では見られない面白い姿なので、是非とも訪れると良い。


 

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