隣は何を吐く人ぞ。

「ぬぼええええええ」

夜中、嘔吐する声が轟いた。最初にこのリバース音を
聞いた時、酔っ払いが道端でゲロしているのだろうと
思っていたが、定期的に聞こえて来るようになった。

時には二日おき、ひどい時になると朝晩続けて
発せられる。やがてそれは向かいのアパートから
聞こえてくることが分かった。

「あそこに住んでる奥さんじゃないかなあ」

嫁はその奥さんを見たことがあるらしい。
なるほど。嘔吐夫人であるか。

ミセス・リバース。僕は心の中でそう名付けた。

「つわりか、病気なんだろうか」

「つわりだったらおめでたいんだけどね」

苦しんでいるミセス・リバースには悪いが
気になってしょうがない。正直不気味だし。

「ぬぼえええええっ。ぬぼええええっ」

今夜は輪をかけてひどかった。この嘔吐声は
ご近所中に響いているだろう。

例えるならば鵺が鳴くとしたらこんな声であろうか。
もしくはジャイアンの歌声の「ボエー」

何だか八ツ墓村かジャイアンリサイタルのように
なってきた我が町内。

しかし、ミセス・リバースも一人で住んでいる
わけではない。本当にヤバかったら旦那さんか誰かが
然るべき手立てを講じる筈である。だから僕らが
心配する必要はないし、してもしょうがないだろう。
と、嫁と話し合っていたところへ

ピーポーピーポー。

救急車のサイレンが近付いてきた。まさか…と思ったら
そのまさかで、救急車は向かいのアパートの前で止まった。

嫁が真っ先に窓に走り、そこから覗く。

「バカ、覗く時はまず明かりを消せ!」

小学校の修学旅行の時から培ってきた覗きノウハウを
与えてやる僕は頼もしい夫。

結局外が暗くてよく分からなかったが、バタバタと
人が出入りする音がして

ピーポーピーポー。

再びサイレンが鳴り、遠ざかって行った。
ミセス・リバースは搬送されていったのだろう。
とにかくお大事に、としか言えない。

静けさが戻った。しかし約二時間後それは破られた。

「ぬぼえええええ」

え、もう戻ってきたの?てか良くなってないんじゃ…。

いくらミセス・リバースだからと言ったって
戻るのが早過ぎるのである。

わけわからんがホントにお大事に…。
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