父の悲。

僕が娘・R(10ヶ月)を肩車していたら、嫁がケータイカメラを
こちらに向けてシャッターチャンスを狙っていた。
そういえば僕が子供の頃にも、今は亡き父に肩車されている
写真があったなあ、と思い出しながら嫁に撮られるに任せた。

何日か後になって、田舎の母からメールが来た。
嫁が肩車写真を母に送ったらしく、

「この頃年かな…写真を見ると涙腺がゆるみます」

と書かれており、また大げさな母であることよと笑っていたのだが
文の結びを読みハッとなった。

「写真を見ると、お父さんとあなたの時がダブるのです」

…ああそうか。母もあの写真を思い出していたのか。
僕も不覚にもゆるんでしまった。

父に肩車された僕の写真。
父に似た僕に肩車された、僕に似たRの写真。

Rが産まれた時、父に見せることができたら
どんな顔して喜んでくれただろうか、そんなことを思っていた。

そんなわけで父さん元気ですか。
父さんのことだから、時々孫の顔をこっそり
見に来てるんでしょうね。

僕に似て子煩悩でしたからねえ。
って僕が似たのか。

父親になって初めて迎えた父の日。
.

Trackbacks

< 中華人民今日も書く。|TOP|俺のカラダを越えてゆけ。/父の非。 >