石川の民家
黒丸家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定) 石川県珠洲市若山町上黒丸2-33 建築年代/元禄年間(1688-1704)推定 用途区分/十村役・肝煎・農業・林業・酒造業 指定範囲/主屋・納屋・味噌蔵・米蔵 公開状況/非公開 能登半島突端部に位置する珠洲市の山中に所在する大型農家建築である。当家は15世紀末頃の明応・永正年間に能登に土着したと伝える中世土豪の系譜を引く家柄で、近世初期には十村役を務めたという。山間中腹の擂鉢状の底地にある屋敷は中世的な景観を留めているとされるが、県内最古と推測される主屋は江戸初期の元禄年間の建築。桁行11間、梁間8間半の大規模な主屋を中心に納屋や味噌蔵、米蔵等が周囲に配されるが、全てにおいて堅牢で力強い風情が武家が跋扈した中世という時代性を醸しているのかもしれない。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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上時国家住宅 | 国指定重要文化財 (平成15年12月25日指定) 石川県輪島市町野町南時国13-4 建築年代/安政4年(1857) 用途区分/天領大庄屋 指定範囲/主屋・米蔵・納屋 公開状況/公開 朝市で有名な輪島の北東、曽々木海岸に流れ込む町野川右岸の高台に建つ旧幕府領の大庄屋屋敷である。中世末から農業や製塩業、海運業により財を成したという当家は江戸初期の寛永年間に二家に分立し、町野川上流に在った当家は上時国、下流の隠居家は下時国を称した。大規模な主屋は桁行14間、梁間10間、完成までに28年の歳月を要したというが、二家に分流する以前においては、更に巨大な住宅が営まれていた可能性があると、近年の研究で明らかになっている。しかし、それでも唐破風屋根を備えた式台玄関や座敷の黒漆縁の格天井は民家建築としては破格の造作で、恐らく藩庁からの監視の目が行き届き易いた加賀藩領に当地が組み込まれていれば、容易には許されなかったに違いない。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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下時国家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和38年7月1日指定) 石川県輪島市町野町西時国2字1-1 建築年代/寛文10年(1670)頃 用途区分/山廻役・塩吟味役・農業・塩業・廻船業 指定範囲/主屋 公開状況/公開 前述の上時国家住宅の北西300mの平地に所在する旧肝煎屋敷である。上時国家が高台に立地しているのに対し、当家は平地に屋敷地を構え、全く異なる風情を醸している。そもそも時国家は大納言平時忠の末裔と伝え、中世以来の名主経営により奥能登地方に強大な勢力を誇ったという。しかし江戸初期に在村が加賀藩領と幕府領(当初は土方藩領)に分かれたため二重支配を避けるべく二家に分立し、当家は下時国を称し、以後は加賀藩領側の山廻役・塩吟味役等を務めた。石垣を枡形に組んだ表口から広大な前庭を経て鎮座する主屋は、江戸初期の古い建築ゆえに規模に反して質実な印象だが、土間内の架構は息を呑む程に豪壮である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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座主家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定) 石川県七尾市藤瀬4-17 建築年代/江戸時代(18世紀前半) 用途区分/農家(肝煎) 指定範囲/主屋 公開状況/外観公開 能登半島中央部に所在する旧肝煎屋敷である。藤瀬集落が存する旧中島町域は能登丘陵を横断するように流れる熊木川の氾濫原に当たり周囲は平地に恵まれ、広く田圃が拓かれた土地柄であるが、熊木川を上流部にまで遡ると一帯は釶内郷(ナタウチ)と称された林業地へと様相は一変する。郷の入口に位置する藤瀬集落には郷社で延喜式内社の由緒を持つ藤津比古神社が鎮座するが、当家は神社を鎮守とする妙光寺の座主坊の出自と伝える。屋敷は神社の西方150m程の位置に所在し、丘陵を開削して前面に石垣を築いた高台に、入母屋屋根の桁行7間半、梁間4間半の主屋が南面して建つ。主屋内は柱が1間ごとに立ち、押板や帳台構など古式な造作も残るとともに、部屋境には壁が多く閉鎖的である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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中谷家住宅 | 国指定重要文化財 (令和4年9月20日指定) 石川県指定文化財 (昭和61年3月22日指定) 石川県鳳珠郡能登町黒川28字130 建築年代/江戸中期 用途区分/天領庄屋 指定範囲/主屋・離座敷・土蔵・奉公人部屋及び東塀・正面門 公開状況/公開休止中 能登半島先端の比較的拓けた山間に所在する旧庄屋屋敷である。当住宅が所在する旧黒川村は江戸期においては天領で、周辺の加賀藩領と比較して年貢の低かったため、豪壮な屋敷を構えることができたとは先代御当主のお話。約4000坪に及ぶ敷地に桁行13間半、梁間9間の大規模な主屋は大正年間に茅葺から瓦葺に改められてはいるものの堂々たる建前である。また特筆すべきは主屋背後に控える土蔵内部の設えである。柱や根太を黒漆に塗り、板壁や天井板を赤漆で仕上げる様は妖しく美しい。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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角海家住宅 | 国指定重要文化財 (平成28年7月25日指定) 石川県指定文化財 (昭和47年8月23日指定) 石川県輪島市門前町黒島町ロ94-2 建築年代/明治5年(1872) 用途区分/廻船問屋 指定範囲/主屋・家財蔵・塩物蔵・小豆蔵・米蔵 公開状況/公開 能登半島北西の北前船の寄港地であった黒島集落に所在する旧廻船問屋である。平成19年の能登半島地震によって甚大な被害を受けた当集落は、重伝建地区に選定されることで町並の保全を果たす道を選び、半壊状態にあった当住宅もその中核的な存在として公有化され復活を遂げた。集落を縦貫する外浦街道に東面して建つ住宅は、海に面する風雨の強い土地柄ゆえに開口部を最小限に留め、壁面の大半を下見板張りで保護する。特に土蔵は鞘囲いをする念の入れ様で豪雪地域以外では珍しい。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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喜多家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定) 石川県羽咋郡宝達志水町北川尻ラ4-1 建築年代/文化・文政年間(1804-1830)頃 用途区分/十村役 指定範囲/主屋・表門・道具倉・味噌倉・敷地 公開状況/公開 能登半島の付け根部東側の千里浜近くに所在する旧十村屋敷である。海成段丘の端部に位置し西側に向けて高台となる8000坪の屋敷地はまるで森の様である。新田源氏の後裔と伝えられる当家は新田開発等で財を成し、江戸後期の享和元年以降から3代に亘って十村役・新田裁許役を務めた。茅葺の長屋門形式の表門を潜ると正面に切妻造の妻入りの主屋が建つ。正面の式台・大戸口など4つの入口は身分に応じて使い分けされるが、室内においても同様で部屋ごとに格式が細分化されている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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喜多家住宅 | 国指定重要文化財 (昭和46年12月28日指定) 石川県石川群野々市町本町3-8-11 建築年代/江戸時代(19世紀中頃) 用途区分/商家(酒造業) 指定範囲/主屋・道具倉・作業場・酒蔵・前蔵・貯蔵庫・土地 公開状況/公開 15世紀末の一向一揆により守護職・富樫氏が追放されるまで、野々市は加賀国の中心であった。以後は北国街道の宿場町として繁栄を維持したが、当住宅はその中心部に所在する商家建築である。当家は越前の武家を出自とし、当地に移住後は油屋を営み、幕末頃より酒造業に転じたという。主屋の背後に残る酒蔵は当初からのものであるが、主屋は金沢材木町で味噌・醤油・塩を扱った豪商・田井屋惣兵衛家の建物を明治24年の野々市大火後に移築したものである。金沢町家の粋を知る格好の住宅である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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志摩 | 国指定重要文化財 (平成15年12月25日指定) 石川県金沢市東山1-13-21 建築年代/文政3年(1830) 用途区分/茶屋 指定範囲/主屋 公開状況/公開 金沢城の北東、浅野川大橋北詰の東方に創設された茶屋町・東山に所在する茶屋建築。茶屋町開設当初からの建物。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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忠谷家住宅 | 国指定重要文化財 (平成21年6月30日指定) 加賀市指定有形文化財 (平成19年1月23日指定) 石川県加賀市橋立町ウ159-1 建築年代/江戸時代(天保年間1830-1844) 用途区分/商家(廻船船主) 指定範囲/主屋・新座敷・背戸蔵・新蔵・土地 公開状況/非公開 平成17年に重伝建地区に選定された加賀橋立集落に所在する旧北前船主の居宅である。酒谷家、久保家といった北前船主の大規模な屋敷が林立し、かつて日本一の富豪村と称された当集落において、屋敷規模は中程度ながら明治5年の大火を免れ集落中最古の建物となる主屋は、橋立における独特の住宅形態を紐解くうえで貴重とされる。当家初代は北前船の船頭から身を起こし船主として独立後に当住宅を構えたと伝え、板壁を多用する外観は漁家の系統を感じさせてくれるものである。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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山岸家住宅 | 国指定重要文化財 (令和2年12月23日指定) 白山市指定文化財 (令和元年12月2日指定) 石川県白山市白峰イ72-1 建築年代/天保11年(1840)建築・明治26年(1893)移築 用途区分/取次元・酒造業・金融業等 指定範囲/主屋・板蔵・味噌蔵・浜蔵・土地 公開状況/非公開 霊峰白山の西麓に営まれる白峰集落に所在する旧取次元屋敷である。取次元とは他領で云うところの大庄屋職で、当家は17世紀後半より天領・白山麓18ヶ村全体を統帥する立場にあり、且つ経済的にも養蚕、木材、金融、酒造、土地経営などを生業として村の中心的役割を担ったという。手取川に沿うように白山登山口へ続く白山往来に東面して屋敷を構え、敷地北東側に東面して桁行17.3m、梁間10.9mの主屋を配置する。主屋は同じ白峰地区に天保年間に建てられた分家建物を明治26年に移築したもので、三階建、切妻造で下屋を設けず、黄漆喰の大壁に縦長の窓が2間毎に設けられる様子はさながら土蔵の様な建前である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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旧中村家住宅 | 国指定民俗文化財 (昭和58年4月13日指定) 石川県小松市千木野ヘ107 (吉竹町憩いの森内) 旧所在地・石川県石川郡鳥越村渡津 (現・白山市) 建築年代/江戸末期 用途区分/山村農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 「白山麓西谷の人生儀礼用具及び民家」として、白山麓に営まれた出産、生育、成人、婚姻、厄年・年祝、葬送・供養、墓制等の儀礼用具1827点と共に指定される民俗学的価値を有する山村農家建築である。現在、小松市郊外の「憩いの森」内に移築されているが、そもそもは白山北西麓の大日川上流部の山間豪雪地帯に所在した。主屋内には寝間の奥に味噌蔵を設けたり、馬屋や寝間の天井裏にアマと称される小部屋を配するなど、厳しい山村での生活に耐え忍ぶための知恵が反映された造作となっている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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春木家住宅 | 国指定民俗文化財 (昭和52年6月14日指定) 石川県加賀市大聖寺敷地町子8 旧所在地・石川県小松市新保 建築年代/江戸時代 用途区分/山村農家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 「白山麓の山村生活用具及び民家」として白山麓で営まれた山樵、木工、狩猟、漁撈、焼畑農耕に用いられた民具2638点とともに民俗学的見地から指定される山村農家である。現在は加賀市郊外の中央公園に移築されているが、当初は小松市南方の福井県境に聳える大日山東麓にある新保村に所在していたという。この地域は戦後の暫くまで「親っ様」と称される大地主から山林を借り、焼畑等により零細な生計を維持した「地内子」の存在で知られ、住宅は出作り小屋を改良して永住家屋としたものである。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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雄谷家住宅 | 石川県指定文化財 (昭和61年3月22日指定) 石川県羽咋郡志賀町字福野イ70-1 建築年代/江戸中期 用途区分/十村役・農家 指定範囲/主屋・屋敷構 公開状況/非公開 何だろう。数多くの民家を見てきたが、民家に雅を感じたのは初めてである。根拠は無い。ただそう感じただけのことであるが、隠遁した御公家様の住居と云っても通じるような風情である。能登半島の一の宮である気多大社の北方8km程にある当家は近世初期に十村役を務め、後に屋敷前に拡がる広大な福野潟の開拓に成功し千石百姓になるとともに、潟を縦貫する於古川の川総支配役をも務めた豪農である。地元では「雄谷天皇」とも称されたとのことであるが、恐らくこの家の風情がそう云わしめたに違いない。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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岡部家住宅 | 石川県指定文化財 (昭和47年1月25日指定) 石川県羽咋郡宝達志水町荻谷ニ42 建築年代/元文元年(1736) 用途区分/十村役 指定範囲/主屋 公開状況/公開 金沢と能登半島の七尾を結ぶ国道159号線の中間に所在する豪農屋敷である。国道から少し東に入った丘陵沿いの荻ノ谷集落の中央に屋敷を構え、背後の山林を含めると約2万坪の広大な敷地に主屋を中心に馬納屋や炭納屋、漬物倉、味噌倉などの建物がゆったりと配されている。鎌倉幕府の御家人であった岡部六弥太を遠祖とし、江戸期には他藩の大庄屋に相当する十村役や加賀藩主巡見時の本陣を務めた由緒をもつ。古い建築年の割に土間が極端に小さいのは武家的建前を意識した故であろうか。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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横山家住宅 | 石川県指定文化財 (昭和54年12月19日指定) 石川県金沢市広坂1-8-19 建築年代/明治27年(1894) 用途区分/鉱山経営 指定範囲/居宅・土蔵 公開状況/非公開 【城南荘】 加賀藩の年寄職(家老職)を代々世襲した横山家33000石の嫡流であり、石川県小松市に拓かれていた尾小屋鉱山の経営により北陸の鉱山王の異名を取った横山隆平が長男・隆俊の結婚準備の為に造営した邸宅である。尾小屋鉱山は江戸初期に採掘が始まった銅山で一時期は廃坑に近い状態にあったが、明治期に横山家の資金援助で採掘の近代化を進め明治中期〜大正期の30年間に亘って全国屈指の産出量を誇った。当住宅の屋敷地は金沢市柿木畠の旧本多主水邸跡で公的部分は破却され、私的部分のみが残っている。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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旧観坊 | 石川県指定文化財 (昭和50年1月8日指定) 石川県鹿島郡中能登町石動山ヤ部2-3 建築年代/江戸末期 用途区分/寺坊 指定範囲/主屋 公開状況/外観公開 能登半島の付け根に位置する石動山は標高564mの低山ながら修験の山として著名である。嘗て山上には平安時代以前からの歴史を有する伊須流岐比古神社を中心に多くの坊舎が建ち並び一大宗教都市の様相を呈していたらしい。しかしながら明治初期の廃仏毀釈運動により一山壊滅的な打撃を受け、現在に残るは江戸期の58院坊のうち当住宅が唯一という状況である。正面に石垣を積んだ広大な敷地中央に建つ主屋は堂々たるもので、柱と桁の接合部に舟肘木を用いるなど一般の民家とは異なる造作。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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室木家住宅 | 七尾市指定文化財 (昭和38年7月29日指定) 石川県七尾市中島町外ナ-13 建築年代/明治13年(1880) 用途区分/庄屋・廻船問屋・酒造業 指定範囲/主屋他5棟 公開状況/公開 北陸の名湯・和倉温泉の北方約15km程の国道沿いに所在する農家建築である。当地の草分け百姓であった当家は幕末には庄屋を務めたという。しかし廻船業や酒造業により財を成した明治期に整えられたという屋敷は、旧家というよりも新興の家柄を感じさせる風情を醸す。屋敷前面には切込ハギの整った石垣に鶴や松等の吉祥をあしらった浮き彫りを施すが、職人の遊び心の域を越えて人目に付くことを意識した施主の意向であることは間違いない。江戸期の庄屋階級には余りに格式の高く造作が許されなかった薬医門を構え、主屋には唐破風の玄関を備える。庶民の住居としては明らかに度か過ぎた建前である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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園家住宅 | 金沢市指定文化財 (平成6年5月11日指定) 石川県金沢市西町三番丁17-7 建築年代/大正10年(1921) 用途区分/羽二重商別邸 指定範囲/ 公開状況/公開 羽二重商・本郷氏が建てた邸宅を、後に園家が譲り受けた。 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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酒谷家住宅 | 加賀市指定文化財 (平成18年3月28日指定) 石川県加賀市橋立町イ乙1-1 建築年代/明治9年 用途区分/商家(廻船船主) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 (北前船の里資料館) 嘗て「日本一の富豪村」と新聞で紹介されたこともある北前船主達が集住した加賀橋立集落の中心部に所在する船主屋敷である。住宅は日本海に面する海成段丘上に営まれた集落の東端部に所在し、屋敷背面の海崖部に笏谷石を積み上げた青い石垣の美しさは他に類を見ないものである。主屋は強い海風が吹く土地柄故に外壁を総板張りとするが、その地味な外観からは想像も付かない程に内部の造作は豪壮である。また一向宗の盛んな土地柄だっただけに仏壇の立派さにも仰天させられる。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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旧魚住家住宅 | 野々市市指定文化財 (平成5年2月16日指定) 石川県野々市市本町3-19-24 旧所在地・石川県石川郡村井村樋爪 (現・白山市) 建築年代/江戸時代(安政年間1854-1859) 用途区分/商家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 旧野々市町中心部に所在する国指定文化財の喜多家住宅の西方50m程の街道沿いに移築された商家建築である。現在は野々市市の郷土資料館として活用されているが、元来は旧松任市の運動公園西側の樋爪集落で村役人を務めた出口家の住宅であった。住宅は明治33年に魚住家により買い取られ、野々市に移築、昭和48年まで肥料店として用いられるが、その後も幾度となく移築が繰り返されるという数奇な運命を辿ることとなる。多少の改造が施されたとはいえ、今にこうして残るは正に奇跡である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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水毛生家住宅 | 野々市市指定文化財 (平成8年1月25日指定) 石川県野々市市本町3-11-14 建築年代/江戸時代後期 用途区分/商家(肝煎) 指定範囲/主屋・前蔵・後蔵 公開状況/非公開 北国街道沿いの宿場町で、金沢と松任の中間位置にある野々市町の中心部に所在する商家建築である。国指定文化財の喜多家住宅から東へ約80m程のところに在り、喜多家が金沢町家に典型的な平入りの外観であるのに対し、当住宅は農家の系統に連なるアズマダチと称される切妻造妻入の様式を採っている。当家は藩政期に肝煎を務めたが、それ以前の天正13年(1580)には佐々成政に対する越中征伐の途次、前田利家が当家で秀吉を出迎えたとの逸話も残っている。相当な旧家であった様である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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西尾家住宅 | 旧柳田村指定文化財 (町村合併後解除) 石川県鳳珠郡能登町桐畑 建築年代/文化7年(1810) 用途区分/肝煎・組合頭 指定範囲/主屋 公開状況/非公開 能登半島の先端近くに所在する農家建築である。桐畑村は柳田村と飯田を結ぶ県道25号線から少し脇道に逸れた山間の小集落で、狭隘地の段丘を利用して形成された集落の入口付近の最も低い位置に当家は屋敷を構えている。県が昭和45年に実施した緊急民家調査の報告書によれば、「屋敷前方に二重の濠の痕跡があり、中世的な構えを残す」とあるが、屋敷内の整地が進んでしまったため今ではよく判らない。建築年が判明する主屋は能登V型の典型的な造作で当地域の基準作とされる民家である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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寺島蔵人邸 | 金沢市指定史跡 石川県金沢市大手町10-3 建築年代/ 用途区分/武家 残存建物/石垣・塀 公開状況/公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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延命家住宅 | 登録有形文化財 (平成24年2月23日登録) 石川県鹿島郡中能登町武部卜部11番地 建築年代/明治44年(1911) 用途区分/大地主 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 昭和45年の民家緊急調査で第2次調査の対象となった民家で、能登半島を南北に分断する邑知大地溝帯の南側、石動山西麓の小集落に所在する農家建築である。主屋は切妻造桟瓦葺妻入の大規模なもので、地元でアズマ建と称される建前である。広大な敷地内には、北寄りに東面して建つ主屋の他、その南手に大規模な土蔵が三棟点在する。報告書によれば、使用される材料は杉の良材を用いて拭き漆で磨かれており、かなり上質な建物であるとのことだ。主屋の上手に後設ながら仏間として用いられる角屋が付属するが、主屋全体の安定感を高める効果に大きく寄与している。建築年代は比較的新しいものの、屋敷内には大木が生い茂り、旧家としての風格を感じさせてくれる。 【平成29年2月23日に火災焼失のため登録抹消】 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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浅永家住宅 | 登録有形文化財 (平成16年3月2日登録) 石川県金沢市浅野本町1-14-18 建築年代/江戸末期 用途区分/農家 登録範囲/主屋・土蔵 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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中村家住宅 | 登録有形文化財 (平成15年7月1日登録) 石川県金沢市東山1-4-33 建築年代/江戸末期 用途区分/ 登録範囲/主屋 公開状況/非公開 |
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本岡家住宅 | 登録有形文化財 (平成18年3月27日登録) 石川県金沢市元町2-7-7 建築年代/明治15年(1882) 用途区分/肝入 登録範囲/主屋・西蔵・東蔵・内門及び築地塀 公開状況/非公開 ▼個別解説ページへ(製作中) |
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蔵六園 (旧酒谷長一郎家住宅) |
登録有形文化財 (平成11年2月17日登録) 石川県加賀市橋立町ラ47 建築年代/明治3年(1870) 用途区分/商家(廻船船主) 指定範囲/主屋・土蔵1〜8 公開状況/公開 県東部の北前船主集落である加賀橋立町に所在する旧船主屋敷である。当家は市指定文化財で「北前船の里資料館」として公開される酒谷長平家の船頭を務めた橋本宗七が酒谷姓を名乗り分家を許されたことに始まるとされるが、屋敷の規模は本家に勝るとも劣らないものである。集落南端の出水神社へ続く参道両脇の西側に主屋を、東側には多くの蔵群を配置する。主屋は奥行の深い切妻造妻入の典型的な橋立型の形態を採り、銘木を用いて奇を衒いつつも丁寧な造作である。粋で結構な屋敷である。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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旧稲邑家住宅 (みおやの里) |
無指定・公開 石川県鹿島郡中能登町小田中ム部103 建築年代/明治42年 用途区分/農家 残存建物/主屋 公開状況/公民館的施設として活用 能登半島を分断する邑知大地溝帯が田園に姿を変えて眼前に拡がる石動山系西麓の旧七尾街道沿いに建つ農家建築である。嘗ての宿場町である高畠に連なる御祖集落には北陸最大級で陵墓にも指定される親王塚古墳が所在していることから古くから拓けた地域であったに違いない。街道に南面して建つ主屋は切妻造の妻壁面に梁や束、貫を格子状に露出させるアズマダチと称される建前で、その美しい姿から幕末以降、上層農家を中心に流行したものである。内部の品の良い整った造作も並大抵ではない。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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米谷家住宅 | 無指定・公開 石川県小松市千木野ヘ107 (移築) 旧所在地・石川県小松市安宅町 建築年代/文政5年(1822) 用途区分/商家(廻船問屋) 指定範囲/主屋 公開状況/公開 国指定民俗文化財の旧中村家とともに「憩いの森」内の民家園に移築されている旧廻船問屋の主屋建築である。当家は江戸期に廻船問屋を営み、明治維新後は金融業に進出した富豪であったというが、住宅は農家建築の形態を採っており、土間に接して広間があり、その奥に2室を配する典型的な広間型3間取の建前である。移築前には上手、下手、裏手に増築を重ね、桁行は2倍、梁間も1.5倍程に拡張され、かなり規模の大きな住宅であったが、移築に当たり当初部分だけが復元された。少しもったいない。 ▼個別解説ページへ(制作中) |
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百万家住宅 | 無指定・公開 (能登町郷土館) 石川県鳳珠郡能都町宇出津イ112-1(遠島山公園内) 建築年代/文政年間(1825年前後) 用途区分/農家 残存建物/主屋 公開状況/公開 桁行23m、梁間16.5m、棟高17mの巨大民家。 ▼個別解説ページへ(製作中) |