雄谷家住宅



 
石川県指定文化財 (昭和61年3月22日指定)
石川県羽咋郡志賀町字福野イ70-1
建築年代/江戸中期
用途区分/十村役・農家
指定範囲/主屋・屋敷構
公開状況/非公開

何だろう。数多くの民家を見てきたが、民家に雅を感じたのは初めてである。根拠は無い。ただそう感じただけのことであるが、隠遁した御公家様の住居と云っても通じるような風情である。能登半島の一の宮である気多大社の北方8km程にある当家は近世初期に十村役を務め、後に屋敷前に拡がる広大な福野潟の開拓に成功し千石百姓になるとともに、潟を縦貫する於古川の川総支配役をも務めた豪農である。地元では「雄谷天皇」とも称されたとのことであるが、恐らくこの家の風情がそう云わしめたに違いない。


大島のバス停から福野の集落まで歩いて15分程の所、集落の真ん中近くに1万4850u(4500坪)の広大な屋敷地をも雄谷家住宅がある。かつては堀と土塀が周りを取り囲んでいたのであろう。今は茅葺・入母屋造・平入りの能登の近世中期頃の建築になる大型農家と門前の堀とに、中世の土豪的性格と近世の豪農の姿が偲ばれる。同家の苗字は鶴見氏で代々助太夫を当主名としている。近世の初頭は十村役を務めたが、以後は村肝煎役に終始し、福野潟の開拓、用水普請、新村設立などに手腕を発揮した。同家は新開や土地集積による豪農の歩みを特徴としており、近世初期から保管される文書は貴重な存在である。(山川出版・石川県の歴史散歩より)


 

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