下時国家住宅



 
国指定重要文化財 (昭和38年7月1日指定)
石川県輪島市町野町西時国2字1-1
建築年代/寛文10年(1670)頃
用途区分/山廻役・塩吟味役・農業・塩業・廻船業
指定範囲/主屋
公開状況/公開
上時国家住宅の北西300mの平地に所在する旧肝煎屋敷である。そもそも時国家は大納言平時忠の末裔と伝え、中世以来の名主経営により奥能登地方に強大な勢力を誇ったという。しかし江戸初期に在村が加賀藩領と幕府領(当初は土方藩領)に分かれたため二重支配を避けるべく二家に分立し、当家は下時国を称し以後は加賀藩領の山廻役・塩吟味役等を務めた。石垣を枡形に組んだ表口から広大な前庭を経て鎮座する主屋は規模に反して質実な印象だが、土間内の架構は息を呑む程に豪壮である。




拝観パンフレットより
当家の初代は文治元年(1185)、能登に配流された平大納言時忠です。2代目から当地で農耕を営み、時国村を成しました。天正9年(1581)、能登は加賀前田藩領となり、その後の慶長11年(1606)には時国村の一部が越中土方領となり、時国村は二重支配を受けることになりました。寛永11年(1634)、13代藤左衛門時保は時国家を二家に分立し、当人は加賀藩領に居を定めました。当家はその加賀藩領の時国家であります。江戸時代を通して、山廻役、御塩懸相見役、御塩方吟味役など藩の役職を代々受け継ぐとともに、農業、塩業、回船業などを営んでいました。
当家の著名なる重要文化財は邸宅と庭園にあります。邸宅の構造は木造平屋建て、間口13間、奥行き8間、総面積108坪、茅葺き入母屋造りです。大戸口を入ると40坪の土間があり、1尺5寸角の太い大黒柱や巨大な梁組は豪壮で古い様式の生活を偲ばせます。また特異な部分として屋根裏に「かくし倉」があります。庭園は2000坪。自然の地形を巧みに利用し、椎の古木が鬱蒼と茂る回遊式庭園で建物との調和も見事にとられています。



 

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