旧観坊
Kanbou



 
石川県指定文化財 (昭和50年1月8日指定)
石川県鹿島郡中能登町石動山ヤ部2-3
建築年代/江戸末期
用途区分/寺坊
指定範囲/主屋
公開状況/外観公開

能登半島の付け根に位置する石動山は標高564mの低山ながら修験の山として著名である。嘗て山上には平安時代以前からの歴史を有する伊須流岐比古神社を中心に多くの坊舎が建ち並び一大宗教都市の様相を呈していたらしい。しかしながら明治初期の廃仏毀釈運動により一山壊滅的な打撃を受け、現在に残るは江戸期の58院坊のうち当住宅が唯一という状況である。正面に石垣を積んだ広大な敷地中央に建つ主屋は堂々たるもので、柱と桁の接合部に舟肘木を用いるなど一般の民家とは異なる造作。




院坊跡群の東南に位置する。東正面に高さ3m程の石垣を積んだ約1500㎡の敷地の中央部に建物が存在する。現存する建物は、入母屋造・茅葺で、一見したところ農家風の構えをもっているが、絵様舟肘木や化粧棰にかつての寺坊としての格式を示している。江戸末期の建築と見られるが、明治初年、一山崩壊の運命に見舞われた石動山に残された唯一の現存坊舎として重要である。(町史より抜粋)

正形四間取で最奥に座敷が設けられる。全ての部屋に長押が廻らされており格式が高い造作。
山中ゆえの湿気対策の意味もあるだろうが、床が高いことも格式の高さの表れか。
修験の家にも関わらず、祈祷の間が無いのは不思議。
土間は広くは無く、通り土間にもなっていない。土間奥には囲炉裏の間が設けられている。
座敷も一般的な様式で、特に変わったものではない。平野部の格の高い豪農住宅の様な間取りである


一覧のページに戻る