旧魚住家住宅 Uozumi |
明治33年に野々市に移築。こんか鰊や肥料の販売を手掛ける魚住家の店舗兼住宅として使用。 昭和57年に郷土資料館となる。平成6年に現在地に再移築。 野々市市指定文化財 (平成5年2月16日指定) 石川県野々市市本町3-19-24 旧所在地・石川県石川郡村井村樋爪 (現・白山市) 建築年代/江戸時代(安政年間1854-1859) 用途区分/商家 指定範囲/主屋 公開状況/公開 旧野々市町中心部に所在する国指定文化財の喜多家住宅の西方50m程の街道沿いに移築された商家建築である。現在は野々市市の郷土資料館として活用されているが、元来は旧松任市の運動公園西側の樋爪集落で村役人を務めた出口家の住宅であった。住宅は明治33年に魚住家により買い取られ、野々市に移築、昭和48年まで肥料店として用いられるが、その後も幾度となく移築が繰り返されるという数奇な運命を辿ることとなる。多少の改造が施されたとはいえ、今にこうして残るは正に奇跡である。 旧魚住家住宅は、もと石川郡村井村字樋爪の出口権右衛門(屋号・油屋)の家として安政年間1854-1859)に建てられた農村の商家であった。この建物を魚住家が買い求め、自宅として明治33年(1900)に野々市村西通へ移築したものである。樋爪の権右衛門家は、藩政期には村役人を務めた家柄で、地区の代表的な家であったらしい。 農村に所在した商家として建てられた家であるため、ミセノマがあり、次のオエから後ろの部分は農家の間取りとなっている。表構えは細かな格子を嵌めた平入の町家建築で、その上部には三角形の切妻の破風が見えている。このような町家風の農家は金沢近郊の農村部の街道筋によく見られ、農家が街道に町家の構えを取って進出してきた形式であったとされている。野々市の魚住家は「ようや」という屋号で、今夏鰊や野菜や肥料を売る雑貨店兼住宅として昭和48年まで使われていた。その後、白山町に再移築され、昭和50年から老人憩いの家「椿荘」、昭和57年からは郷土資料館として活用されてきたが、平成6年に現在地に移され、郷土資料館として再利用されている。 |