子を持たない人生も幸せ、という主張がTwitter(現X)で話題になっていた。
確かに、産むか産まないかを、当事者が主体的に選択できる部分もある。でも、授かるかどうか、わからない部分もある。
産むか産まないか、人間が完全に主体的に選択できるという考えは傲慢に思える。授かりたくて授からない人もいれば、希望はなくても授かる人もいる。
持つつもりがなくて子を授かった人が、皆、育児放棄をするわけではない。授かって覚える愛情もあるだろう。もっとも、虐待や放棄の事例も多く、それはそれで非常に悲しい。
私たちは長く子を授からなかった。覚悟して、子のない人生を想像したこともある。
だから、持つ選択をした、というよりも、幸運にも「授かった」という意識が強い。子は「天からのめぐみ」と思った。名付けをするときにも、そういう思いを込めた。
古くなった自分の自転車を処分してから、息子が高校通学に使っていた自転車を譲り受け、10年くらい乗っている。使わないときに屋根のないところに放置していたために、ほとんどサビだらけ。それでも、ずっと使ってきた。
今回、タイヤがパンクした。自転車店まで押していくのが面倒でまだ行っていない。
これまで図書館や歯医者には自転車に乗って通っていた。その自転車がこわれたので、仕方なく歩くことにした。図書館も歯医者も遠いところではない。歩いても15分もかからない。
これくらいは歩いたほうがいいだろう。自転車はいずれ処分する。乗ろうと思えば、結婚した娘が置いていった自転車もある。
自転車に乗らない理由がもう一つある。それは自動車が怖いから。近所には見通しの悪い角がいくつかあり、何度かヒヤリとしたことがある。毎回、ヘルメットをかぶるのも面倒。
何ごとにつけ、急ぐ必要はない暮らしをしている。行きたいところへは歩いていけばいい。
Twitter(現X)のタグから。
岩波文庫も、そもそも本もたくさん持っていない。岩波文庫は両手で抱えられるくらい。
そのなかで10冊選んだ。
以前、「岩波文庫 私の三冊」で選んだときとちょっと入れ替わりがある。
さくいん:島崎藤村、八木重吉、西田幾多郎、トルストイ、オマル・ハイヤーム、中国
隙間時間に読める短文集を2冊借りてきた。両方とも膨大な数の作品に感想を書いている。とくに辻邦生の趣味は映画、美術、音楽と幅広い。私が読んだり観たりした作品は少ない。そこで自分でも読んだり観たりした作品についての文章だけを拾って読んだ。
辻邦生の文章を読んでいて心地がいいのは、大衆を見下した知的エリート臭がしないこと。むしろ、自分のなかにある大衆性にも気を配っているように見える。『ニュー・シネマ・パラダイス』の感想を読んで、そう思った。政治や社会問題に目を向けた新聞連載の時評を読んだときにも同じことを思った。
石井の本では、原口統三『二十歳のエチュード』について書いた文章が気になった。
石井は原口が生前に書いた「人生そのものを芸術にする」という自死宣言を肯定的に受け止めている。「青白い文学青年の自殺」とは違うとも書いている。原口が早熟で、秀才だったことは私も否定しない。でも私は疑問に思う。「青白い文学青年の自殺」と「人生そのものを芸術」に高めた死の線引きは可能なのだろうか。
「死にたい」という気持ちを持つことは何も異常ではない。とりわけ思春期ではよくあることだろう。でも、積極的に選択して、実行する思考は、視野狭窄ではないのだろうか。
森有正は『二十歳のエチュード』に寄せた「立ち去る者」という文章の中で「罪の意識の欠如」を厳しく指弾していた。彼の自死へのキリスト教的な理解からは、そのような見解が導かれるのだろう。
この考えにも私は共感しない。自死は、多様なストレスによってもたらされる複雑な心理が引き起こす視野狭窄が大きな原因であって、主体的な責任ある選択とは思えないから。
自殺未遂をして生存した人の多くが自分の行動が自分の意思を超えた異常なものだった、生き延びてよかったと思う、という調査結果をどこかで読んだことがある。
必要なのは、自死を美化することではない。
「死にたい」という自然な、ただし非常に視野の狭い気持ちを、「いま、急いで死ぬことはないかな」という、おおらかな肯定感に進路を変える手助けではないか。
さくいん:辻邦生、知識人、石井洋二郎、三木清、原口統三、自死、森有正
土曜日は月一回のうつ病の診察日だった。
調子がいいと症状が重かった頃のことを忘れる。そして悔やむ。
もう少し上手く立ちまわれば会社に残れたのではないか。
休養した後、正社員でも働けたのではないか。
そうして、何だか自分が間違った選択をしていたような気持ちになり、元気をなくすことがある。元気になると元気をなくすという奇妙な状態になる。
そう思えるのは、いま、症状が軽いからであり、営業職を辞めた10年前には、そんな風に考える余裕はまったくなかった。それを忘れてしまう。
あなたの選択は正しかった。
S先生に諭された。障害者枠の非正規雇用という負荷の軽い職種。あのときにはその選択肢しかなかった。
診察室でボロボロ泣いたことも思い出した。これでよかった。これしかなかった。自分にあらためて言い聞かせた。
こういう負の循環思考に陥るのは、たいていお金について考えるとき、というのも情けないけれど事実。「もっと稼げてたはず」「もっと贅沢できたはず」。根底にはそういう俗物根性がある。
さくいん:うつ病、S先生
土曜日。朝一番でS医院へ行き、そのまま横浜の実家へ向かった。久しぶりに快晴になったので、1週間分の洗濯をするように母にメッセージを送っておいた。確かに洗濯はしていた。でも、干すのを忘れていた。介護の段階が変わっていることを実感した。
午後、母を連れて京急線で逗子・葉山へ。駒井哲郎の名前は知らなかったけれど、版画を見るのは好きなので行ってみた。
抽象的な作品よりも、建物や樹木、風景を彫った作品に目を奪われた。証明写真よりひとまわり大きい程度の小さな画面に丸の内のレンガ造りの建物や樹木が彫り込んである。極細の技術に目をみはった。
パリに留学したこともあり、長谷川潔と交流が合ったらしい。長谷川の作品も「木の葉の上の魚」「狐と葡萄」の2点が展示されていた。
白い壁の広い部屋に白黒の版画作品が整然と並んでいる。観覧する人もまばら。ベンチに座り、部屋をゆっくり見まわす。美術館で過ごす、こういう空間、こういう時間が愛おしい。作品が有名かどうかよりも、どんな気分で鑑賞できるかの方が大事。
外へ出ると、一月以上ぶりの晴天で海がきれいに見えた。潮騒も心地よく聴こえた。
さくいん:逗子・葉山、パリ、長谷川潔
先月のこと。
必要があって英語で電話会議をした。久しぶりのことでとても疲れた。ぐったりした。
休肝日なのにビールを呑み、柿ピーわさびを食べてようやく気持ちが落ち着いた。
これが日常だったときもあったのに。10年以上前のことだけど。
「昔は俺だって」などと口にすると、まるで『きかんしゃやえもん』。情けない。
でも、つい考えてしまう。スキルがなかったわけではない。ただ、メンタルが弱すぎた。
横柄な態度や無理難題に接すると硬直してしまい、受け流したりできなかった。
だから激務に耐えられず、易々と心を病んでしまった。そして、違う職業人生を選んだ。
いつも、何ごとでも、最善の策を選んできたはず。過去は忘れろ。今を生きろ。
さくいん:労働、英語、日常、うつ病
昨年BSで放映して好評だったドラマ『団地のふたり』(藤野千夜原作)を毎週楽しみに見ていた。
小泉今日子と小林聡美の掛け合いは面白かった。最終回では、小泉今日子は本領を発揮、小林聡美も芸達者なところを見せた。由紀さおりや名取裕子ら、配役も豪華だった。
一つ、とても強く心に残ったこと。グリーフがモチーフの一つになっていること。
二人は小学生のときに亡くなった友人の思い出をとても大切にしている。命日には、花を持って母親を訪ねてもいる。子ども時代に亡くなった子のことをいつまでも覚えていてくれる友人がいたら、母親はうれしいに違いない。
50代になっても、子ども時代に亡くなった友だちを悼む気持ちを持ち続けている。それはとても素敵なこと。そう思った。
18歳で亡くなった姉と仲良くしてくれていた友人たちは、いまはどうしているだろう。
覚えていてくれてるかな。思い出してくれる日もあるのかな。そんなことを考えたりした。
以前、お墓の名刺入れにメッセージが入っていたことがあった。「いつも思っています」と書かれていた。ほかの人たちも覚えていてくれている。そう思いたい。
団地といえば、同じNHKのドラマ『しあわせは食べて寝て待て』も二人で見た。こちらは主人公が難病という設定だったために、すこし暗い雰囲気がありつつも、話は面白かった。設定も展開も突拍子がなくて、団地を舞台にしたファンタジーを見ているようだった。
さくいん:NHK(テレビ)、小泉今日子、悲嘆(グリーフ)、自死遺族
いま住んでいる戸建てに住む前はURの団地に7年住んでいた。2002年の夏に住みはじめ、2009年の冬に戸建てに越した。
団地に住んでいた時期はちょうど子どもたちの成長期だった。娘は一輪車を覚え、息子は自転車やキャッチボールを覚えた。子ども向けの行事もあって暮らしはそこそこ楽しかった。二人ともここで小学校に入学した。団地にはいい思い出が多い。
ただ、2LDKの部屋は狭かった。北側の部屋はほぼ納戸になってしまい、リビングと寝室の二部屋で暮らしていた。はじめは四人で川の字になって寝ていた。そのうち、私が仕事で遅くなることが増えて、夜、リビングを片付けて布団を敷いて寝ていた。
リビングにはテレビと食卓とソファのほかに子どもの勉強机が二つあったので、親が寛ぐ場所はなかった。あの頃は、残業も読書も『庭』を書くのも、食卓でするしかなかった。
転居したのは、娘が小学六年、息子が四年の冬。結果的に、このタイミングはよかった。中学に入ってからでは、家に娘の居場所がなくなっていただろう。新居ではそれぞれに部屋を持てた。でも娘は中学時代は楽しくなかったと嘆く。一方、息子はいまも交際が続く親友を見つけられた。人生設計はむずかしい。転勤の多い家族はもっと苦労が多いに違いない。
私たちが住んでいた部屋は、今は保育施設になっている。1階の角部屋で遊具のある広場に面している。保育施設としても最高の環境だろう。
さくいん:HOME(家族)
横浜そごうの紀伊国屋書店で見つけて、図書館で借りてきた。上下に分かれているけど、横浜市の中心である中区と西区、私の地元である金沢区が掲載されている上巻だけを借りてきた。
私の実家付近の地図もある。昭和30年でもまったく開発されていない野山。昭和60年には完全に宅地になっている。この30年間で景観が大きく変わったことがわかる。
昭和60年の地図には祠のある小山が残っている。宅地が造成されてからあとも長く残っていた。私たち子どもは、張り付けられた大きな看板からその山を「安全第一の山」と呼んでいた。その小山も切り崩されていまは宅地になった。しばらく鳥居が残されていたけれど、それもいまはなくなり、跡にアパートが建っている。
知らない人はそこに小山があったことも、その前には小山の頂上の高さまで野山が広がっていたことも想像できないに違いない。
横浜の現代史は海についても山についても、大規模開発と自然破壊の歴史と言い換えて差し支えないだろう。そういう場所で、私は育った。ここでも、私は「暴力の受益者」だった。それを忘れてはいけないし、許してもいけない。私はどう罪を償えばいいだろう。
横浜はよく神戸と比較される。古い港町で海と丘があり、洋館や中華街があるなど確かに共通点は多い。私は横浜育ちだけど、神戸のほうが趣があるような気がする。
山が海岸の際まで近づいていて豪快な景色が神戸にはある。街が小さいということは裏を返せばコンパクトということ。
横浜にもいいところはたくさんあるけど、あまりにも大きくなりすぎてしまった。大正、戦前、戦後の地図を見比べるとそれがよくわかる。
馬車道、みなとみらい、山下公園、中華街、元町、山手。これだけを廻るためには1日では足りないだろう。神戸ならもっと手短に街を見てまわれるはず。
個人的にも、神戸での仕事にはいい思い出がある。
さくいん:横浜、神戸
東京では9月のあいだずっと雨だった。きれいに晴れたのは銀座へ行った日くらい。10月に入り、ようやく秋晴れの日が増えてきた。そんな好天に恵まれた連休の中日に妻を誘って神代植物公園へ出かけた。
バラフェスタが開催中で混雑は予想していた。そこで、いつもと順序を変えて、昼前にまずそば屋、多聞へ行った。10時半に到着したのにすでに列ができていて入店まで30分以上待たされた。店内でのサービスは迅速でゆっくり昼食を楽しめた。
多聞を出て深大寺の参道を歩いて植物公園の深大寺門から入った。どの店の前にも長蛇の列ができていて、最近の深大寺人気ぶりがよくわかった。
バラ園では、秋晴れの下、色とりどりのバラが咲いていた。写真は、ジャニナ、タマンゴ、ホワイトマジック。最後の写真は大温室にあるベゴニアの花手水。
お昼にビールを呑んだせいで、いつものように帰りのバスでぐっすり眠ってしまった。
妻は週末、ジムに行くか家で平日に食べる常備菜作りで忙しくしている。久しぶりに二人で休日を楽しむことができてよかった。
さくいん:神代植物公園
三連休の最終日だった昨日のこと。早朝カラオケに行くつもりで家を出たところ、天気があまりにいいので部屋にこもるのはやめにして歩き出した。
気が向くほうへ歩き続けていたら小金井公園にたどり着いた。神代植物公園と同様、私にとって心のオアシスと呼べる場所。晴れた日に来ると嫌なことは忘れていい気分になる。
コスモス畑は満開。後から思えば、風に揺れているコスモスの動画を撮ればよかった。
有料の神代植物公園は隅々まで手入れが行き届いた公園。樹木ごとにエリアも区分されている。一方、入場無料の小金井公園は広い芝生広場と素朴な雑木林が残っている。こちらも都立公園なので手入れはもちろんされている。噴水や温室はなく、植物公園ほど人工的ではない。
9時半の開場と同時に江戸東京たてもの園に入った。人もまばらでゆっくり観覧できた。
写真は、前川國男邸、デ・ランデ邸、下町エリアの商店、昭和を思い出させる路地裏。
最後の2枚は、たてもの園へ来ると酒屋で必ず撮ってしまう看板。
バスで植物公園に行けて、その気になれば歩いて大きな公園にも行ける。図書館も近い。深く考えずに決めたいまの住まい。環境に恵まれていて、幸運だった。
さくいん:神代植物公園、小金井公園、江戸東京たてもの園
先月購入したiPhone 18 Proにかぎらず、最近のiPhoneのデザインでどうしても気に入らないのがカメラの出っ張り。カメラを下にして置くと斜めになってしまう。
カメラの高さまで全体をカバーするケースを探した。そういうケースもあるにはあるけど、海外製で直販サイトでしか売ってなかったり、すでに装着しているエレコムのカメラカバーと干渉したり、単純に価格が高かったり、ちょうどいいものがなかなか見つからないでいた。
カメラの保護カバーはレンズ部だけでなく、フラッシュも含めた全体を保護するエレコムの製品が気に入っていた。そこでエレコムの相談窓口に要望を投げてみた。
すると期待に合う製品を紹介してくれた。製品としては17 Pro対応品として売られているもので、18 Proにも使えるとメールにあった。18 Pro対応とはまだ表立って宣伝していないことがよかった。楽天では型落ち品扱いで海外製品の1/4という格安価格で購入できた。色はグレイシャーに合わせてネイビーを選んだ。色のバランスは悪くない。
使用感もいい。中央部がくびれていて握りやすい。今回は、保護フィルムもカメラカバー、ケース、すべてエレコムで揃える結果となった。
もう一つ、最近、スマホ用に買って重宝しているのがダイソーで買ったスタンド。縦にも横にも置ける。Twitter(現X)や株価だけを表示させるサブディスプレイとして活用している。
横置きにして充電ケーブルを接続すると時計とカレンダーが表示される。これが便利。デザインもいい。充電ケーブルを接続しないと起動しないところが難点。とはいえ、充電をせずに常時起動させるとバッテリーを消耗するから仕方がない。サードパーティのアプリも調べた。結論として、デフォルトのデザインがシンプルで一番いい。
18 Proはバッテリーが長持ちするのが売りの一つ。睡眠分析アプリを使っているので、夜、80%程度まで充電して翌日そのまま使い続ける。夕方、充電が30%以下になったら充電する。そこからが時計+カレンダー表示の時間。
以前、iTunesのアプリ起動中に横置きにすると、アルバムのジャケットがタイル状に表示される機能があった。あの機能は復活させてほしい。
さくいん:アップル
NHKテレビの番組「ファミリーヒストリー」に対する違和感がどうしても拭えない。
そもそも、家系をテーマにすることに問題はないのか。
調べたかぎりでは、被差別部落や朝鮮半島にルーツを持つ人はこれまで出演していない。
ある人は秘密にしているようなテーマを、ほかの人物で取り上げて、お涙頂戴のバラエティ番組に仕立てることに、私は違和感が残る。秘密を抱えて生きている人への差別を感じる。
長続きしているので、人気のある番組なのだろう。肌が合わないので私は見ない。
どんなに有名になっても「ファミリーヒストリー」にだけは私は出演したくない。家族の秘密を公共の電波に乗せて、それを見ている姿を映されるなんて想像もしたくない。
さくいん:NHK(テレビ)、秘密
テレビ東京のドラマ『きのう何食べた?』のファンブック。図書館で借りて面白かったのでまとめて購入した。
よしながふみのファンである妻に勧められて見はじめて、すっかりハマってしまった。何もすることのない週末の午後などに、くつろいだ気分で繰り返し見ている。
原作を実は私は読んでいない。料理も登場人物の仕草も、ドラマに先に引き込まれたので、動かないマンガには食指が伸びない。
実際、原作では表現されていないところ、料理をするところや買い物のシーン、内野聖陽の絶妙な動き方がいい。そして音楽もいい。
興味深いのは、原作者であるよしながふみもドラマを高く評価しているところ。近ごろ、原作者とドラマを制作するテレビ局とのあいだで深刻なトラブルが起きたりもしているので、こういう良好な関係はファンもうれしい。
これまでに二人でハマったものといえば、彼女にすすめられて読んだ美内すずえ『ガラスの仮面』と一条ゆかり『有閑倶楽部』。私がすすめた『刑事コロンボ』と森高千里。いずれにも共通しているのは、シンプルで心が和むというところ。
『有閑倶楽部』や『コロンボ』は、子どもたちとも共有できて「我が家の文化」となっている。
子どもたちと話を合わせるために『VIVANT』も見ているけど、凄惨な場面があるので半ば義務感から見ているだけで心から楽しんではいない。私たち二人には、『団地のふたり』や本作のような、見終えてほのぼのした気持ちになれる作品がちょうどいい。
さくいん:よしながふみ、『ガラスの仮面』、一条ゆかり、『刑事コロンボ』、森高千里
ファンブックと一緒に劇場版のDVDを中古で購入した。前に一度見ているけれど、京都へ旅行したこと以外、忘れていた。
二人暮らしの和やかな日常をコミカルに描きながらも、ところどころに深刻な問題提起も差し込まれていて、考えさせられる場面も少なくなかった。前に見たときは、穏やかな場面しか見ていなかった。映画の見方が下手すぎる。
具体的に書けば、LGBTQを家族はどこまで受け入れられるか、50代からの老化について、パートナーが重病になったら。など。あとの二つは私たちにも大いに関係があり、その場面では互いに無言になってしまった。
大きな事件やアクションがあるわけではないので、劇場で見るより、家で妻とおしゃべりしながら見るのがちょうどよかった。二人で毎回感心するのは内野聖陽の役作り。ふだんのおちゃらけた雰囲気から終盤でのビシッと決めたスタイルまで隙のない演技だった。
午前中、カラオケに行ったので、帰りに和菓子屋で団子を2本ずつ買って、妻とお茶を飲みながら見た。我が家では、劇場ではなくて、こういう見方がちょうどよかった。
原作、脚本、キャスティング、演技、音楽。すべての要素がかみ合っていて見事な出来映えだった。
追記。
私は自死遺族であることを妻の両親には伝えていない。交際中に話していたら、結婚を反対されていただろうか。あとから伝えていたら、家には来ないでくれと言われていただろうか。
自死遺族に対する偏見や差別にあからさまなものは少ない。平静を装い、少しずつ疎遠になっていくことが多い。妻の両親が私や、私の両親に、どんな反応をするか、告白を逡巡していた結婚前には悩むことが多かった。ありがたいことに、妻は秘密にしておくことに同意してくれた。
秘密を抱えて生きていくことは、やはり苦しい。
さくいん:よしながふみ、自死遺族、秘密
昨年、岩波文庫で復刊された本。横浜そごうの紀伊国屋書店で見つけたので購入した。
入門的な本を想像していたら、思っていたよりもずっと専門的な本で、わからないところが多かった。わかりそうなところを拾って読んだ。それでも肝心の、著者が言う唐詩の特徴、「おおらかさ」と「若々しさ」という点はよくわかった。
本書は、著者が紹介する漢詩が素晴らしいことに加え、著者の書く日本語の文章が非常に素晴らしい。著者の教え子で『中国名詩選』の著者である川合康三も解説で「簡潔で平明、しかもそれでいて、何ともいえない気品が醸し出されている。」と書いている。気品は、たとえば、「《付》私の収穫」にある何気ない文章にあらわれている。
ことに「唐詩選」で親しみの深い作品のいくつかを読みかえすと、少年のころ愛誦したなつかしさがたちかえってくる。私は長く離れていた故郷をふたたびおとずれた旅人の気持に似たものを味わった。そして見なれた風景も、時として思いがけない美しさを見せることがあるように、私もできるだけ今の目で解説しようとした。
近頃は、こういう文章をみかけなくなった。口語に近過ぎたり技巧に溺れたりした文章が巷にはあふれている。こういう文章には憧れるけれど、模倣さえとても無理。もはや身体の隅々まで流れている言葉の血から違う気がする。
戦前生まれの教養人が書いた文章は、すでに古典の世界に属している。
さくいん:中国、教養、スタイル(文体)
木曜日の午後から休み横浜へ帰省した。駅に着いて、一人暮らしで料理もしなくなった母に牛乳やヨーグルトなどを買った。夕飯に焼き鳥のテイクアウトを買い、夜は二人で純米酒を呑んだ。
金曜日は、病院同行。
朝、まず耳鼻科から。耳を掃除してもらい、インフルエンザの予防接種を受けた。次は、かかりつけの総合病院。血液検査をして内科で結果を聞いた。幸い、急を要するほど心配な値は何もなかった。母に先に退室してもらい、医師にデイサービスの昼食以外は、しっかり食べていないことを伝えた。血液検査では顕著な栄養不足は見られないこと、追加で食べるならば、お菓子よりは果物がいいと言われた。
内科の後は整形外科。膝にヒアルロン酸を注射。最後は処方箋を持って薬局へ。その合間に美容院の予約をして、密かにスマホから株取引もした。
大きな薬の袋を持って駅へ戻り、ピザとスタでランチを済ませてバスに乗り帰宅したのが午後2時。ちょうどケアマネージャーとの面談を約束していた時間になっていた。
「デイサービスで親しい人はできないか」と尋ねたところ、「帰ると、その日あったことを忘れる人が多いので、継続的な関係はあまり望めない」という返答。確かに、私の母も昼に何を食べたかを尋ねても忘れている。母は短大からOL時代にあたる若い頃の話をしたがっている。有料でも傾聴してくれるサービスを探すべきか。
夕方は、薬の仕分けとデイサービスの入浴の準備。デイサービスの昼食後に服用する分を分けて、朝、昼、夕、就寝前をそれぞれラベルをつけた別々の袋に入れる。
洗濯は朝、洗濯機を動かしておいて、夕方に入浴日の着替えを曜日ごとにセットして紙袋に入れた。
トイレや入浴の介助をしている人はもっと苦労しているだろう。私はキャパシティが小さいので、これだけでも十分に疲れる。母の繰り言を聴くのも疲労に拍車をかける。
割かれる時間を考えただけでも、出張や会議がある正社員の営業職のままだったら間違いなく対応できなかった。
介護で離職せざるを得ない人がいるのも頷ける。社会全体として大きな損失だろう。
土曜日。朝、母をデイサービスに送り出してから実家を出た。母はもっと私と過ごしたい様子だったけど、長く一緒にいるとこちらが疲れてきて不用意に感情的になってしまうので、申し訳ないが、一緒に過ごす時間は制限することにしている。
気分転換にバスに乗って鎌倉へ出た。八幡宮前で下車して、妻が大好きなクルミっ子を売る紅谷本店で行列に並んだ。1時間以上は並んだだろう。妻が大好物と公言するものは少ない。とくにお菓子は節制している。クルミっ子は例外。なので、買って帰るととても喜ぶ。
音楽を聴いていたので、並んで待つことは苦にはならなかった。せっかく並んで買える機会だからと思い、クルミっ子も予定より多く買い、期間限定のバナナパウンドケーキまで買ってしまった。
土曜日の江ノ電は予想どおりのオーバーツーリズム。朝の中央線快速のような混雑が長谷まで続いた。私は稲村ヶ崎で下車した。海沿いの店は混んでいそうなので、駅前の昭和っぽいラーメン屋で簡単にランチを済ませた。
カフェも混んでそうなので、コンビニで缶ビールと辛口チキンを買い、海へ出た。稲村ヶ崎公園でベンチに座り、江ノ島を眺めながらしばらくぼんやり過ごした。
七里ヶ浜はもう浜とは呼べないほど砂浜が縮小している。これも気候変動の影響なのか。
高校生だった31年前の春、好きだった女の子を誘って歩いたときは広い砂浜だった。大学一年生だった29年前の秋、妻の誕生日に来たときも砂浜はあった。2023年の冬、その翌年の冬にも一人で来た。そのときも稲村ヶ崎から七里ヶ浜まで歩くことができた。
その砂浜いまはもうない。
潮騒を聴きながら江ノ電の七里ヶ浜駅まで歩いた。帰りは片瀬江ノ島からロマンスカーに乗った。缶ビールを呑んだら眠ってしまい、気づくと下車するはずだった新百合ヶ丘は過ぎてしまい、新宿の手前まで来ていた。
さくいん:鎌倉、江ノ電、江の島
ふと思いついたことをメモ書きしておく。
自殺は自分を殺すと書く。しかし、そもそも自分を殺すことは可能なのか。
殺人犯が被害者を殺すように自分を客体化することができるのか。つまり、自分で自分を殺す、という行為は起こり得るのか。
事態はもっと自動詞的なものではないか。例えば、自滅のような。自分が自分の意思とは無関係に勝手に滅んでしまう。
私の経験上も、希死念慮は「死にたい」より「消えてしまいそう」が近い。自分が自分でいることに耐えられない感覚とも言い換えられる。
この問いは、「自分とは何か」という哲学的な問いと深く関係がある。哲学書を読めば何かわかるかもしれない。
さくいん:自死
昨日のつづき。
自殺・自死についてよく考えたいと思い、図書館で検索したり、在架の本を何冊か広げてみたけど、借り出したり、読み進めたりすることはできなかった。深刻で強烈な事例を読むことがとても耐えられない。抽象的な議論ならまだ読める。
そして気づいた。私は自殺・自死に関心があるわけではない、と。私が関心を持つのは、自死遺族。身近で大切な人を自死で失った人が、どのようにしてその死を受け止め、また受け止めきれずに生き続けていくか。私の関心はそこにある。
うつ病の症状が重く、自分が希死念慮に苦しんでいたときには、自殺・自死に関心を持っていた。うつ病の症状は軽くなり、「消えてしまいそう」という不安はほとんどなくなった。
姉の自死の原因については、「なぜ」という問いが完全に消え去ったわけではないものの、さまざまな要因が複雑にからまりあい、ストレスが過剰に蓄積し、視野狭窄に陥ったために起きてしまった「心の交通事故」ということで、私のなかではほぼ決着がついている。
ほかの事例についても、おおかた同じだろう。私はそう考えている。責任自殺とか、死と引き換えにしたメッセージという理由を私は信じない。そういう死も視野狭窄に陥った末に生じたものと考える。
ましてや、美や芸術に殉じるという理由づけは、そういう考え方じたい、視野が狭くなっている証拠と強く思う。
切腹や殉教はどうか。前者は強制された死と分類できる。後者はあとから意味づけられたものだろう。
自死の原因についてはいまも多くの人が研究をしていることは知っている。それを否定するつもりはない。私のなかでは決着がついている、というだけの話。
さくいん:自死・自死遺族、うつ病
毎年、秋冬にはラグビージャージを買い足してきた。今年は買わなかった。代わりに、長年着ていたマリナーズのパーカーがヘタレてきたので、スウエットシャツを買った。
生地はヘビーウェイトでしっかりした質感。真冬もこれだけで過ごせそう。
品物はいつもの店のもの。ただし、店舗や直販サイトではなく、割引があり、ポイントも貯まる楽天市場で買った。
こういう買い物が最近増えている。店舗で現物を下見して、楽天で買う。ポイントは貯まるけど、店舗にとっては何の利益もない。
ブランドが出品しているのだから買う方に優劣はない。店舗はショーケースとして機能している。そう言い切れるだろうか。
2014年にこんな投稿をTwitter(現X)にしたことがある。
高い服を着ると贅沢と言われ、安い服を着るとブラック企業を助けてると言われる。
新しい服を買わないでいると、消費しないと景気がよくならないと言われる。
「兎角、この世は生きづらい」。
店舗とECサイトのあいだでも、似たようなジレンマを感じる。
Twitter(現X)のタグから。
手持ちの新潮文庫はほとんどが昭和期に買ったものや姉からもらったもの。当然、すべて昭和以前の作品。
多くは最初に読んだのも昭和時代、すなわち10代の頃が多い。思春期の愛読書といってもいいかもしれない。
海外文学がほとんどないのも、私の本棚の特徴と言える。
番外。買ったはずなのになぜか見つからない。新田次郎作品はこれ以外にも『孤高の人』『アラスカ物語』『珊瑚』『八甲田山 死の彷徨』など、実家にたくさんある。中学時代によく読んでいた。これまでに一番多く読んだ作家は新田次郎だろう。
実家に帰ったときに、十代の頃に読んだ新潮文庫を本棚から取り出して並べてみた。上の写真と重複しているのは2度、3度、買っているということ。
さくいん:山口瞳、芥川龍之介、三木清、原民喜、高野悦子、福永武彦、住井すゑ、夏目漱石、島崎藤村、サガン、新田次郎、井上ひさし、山本周五郎、三浦綾子
本書は、今春、亡くなられた絵本作家の作品世界を丁寧に解説している。本人が執筆したエッセイや詳しい年譜もあり、盛りだくさんの内容。
林明子にはほんとうにお世話になった。証拠がある。
子どもたちが幼かった頃、2002年から2003年頃まで、毎晩、絵本を読み聞かせていた。読んだ本をメモしておいて、あとでランキングを調べたことがある。
上位20作品のうち、林明子の作品が5冊あった。『おでかけのまえに』『きょうはなんのひ』『こんとあき』『おふろだいすき』『あさえとちいさいいもうと』。
このほかに『はじめてのおつかい』『はじめてのキャンプ』『とんことり』『もりのかくれんぼう』も読み聞かせた記憶がある。
林明子の絵は私の声とともに、子どもたちの身体にきっと沁み込んでいるだろう。父親としてはそうあってほしいと願う。
林の訃報に接したとき、とても驚いた。もっと若い人と想像していたから。彼女の作品に出会ったのが子ども達に絵本を読み聞かせた頃で、勝手に「今売り出し中」の若い描き手と勘違いしていた。
何のことはない。彼女の絵本画家としてのデビューは70年代半ばで、私が出会ったときはすでにベテランで50歳を過ぎていた。自分が子ども時代に読んでいなかったから新しい人と勘違いしたのかもしれない。
林明子は子どもの不安を上手に描く、とどこかで読んだことがある。この評価に強く同意する。初めてのおつかいに緊張している表情。転居したてで友だちがいなくてさびしい表情、ぬいぐるみが破れてしまった悲しい表情。そういう不安の表情が記憶に残っている。
不安の表情が生き写しのように細やかに描かれているからこそ、それとは正反対の、喜びを爆発させた笑顔の描写も活き活きとしたものになるのだろう。
エッセイや対談にも、絵からイメージされる優しく、気取らない性格がにじみでている。
さくいん:林明子、エッセイ
ブクログ:林明子
土曜日に妻と二人で都心へ出かけた。ランチは36階の地中海料理のレストラン。披露宴の引出物としてもらったカタログギフトにあったクーポンで食事をした。あいにくの雨で眺望は楽しめなかったけど料理はとてもおいしかった。
雨は降り続いていたけど、地下鉄を乗り継いで濡れずに乃木坂まで行くことができた。
一度平日に行った妻がタペストリーをもう一度見たいというので週末に行ってみた。案の定、入場口で長蛇の列。手帳のおかげですぐに入場はできたものの、会場内も大混雑。鑑賞はとほど遠く、たくさんの頭の上から眺めるだけ。それでもお目当てのタペストリー「田園の合奏」とエル・グレコ「アントニオ・デ・コバルビアス・イ・レイバの肖像」は近くに寄って見ることができた。
本展の目玉はダ・ヴィンチ「ある女性の肖像」。正面から見たければ長い列に並ばなければならない。列には並ばなかったけど、斜め横からでも十分、その強烈な目力を体感できた。
帰りも地下鉄を乗り継いで、ほとんど濡れずに帰宅できた。多少、回り道になっても東京の地下鉄がとても便利なことがよくわかった。
さくいん:東京
日曜日。朝5次半に目が覚めたので身支度をして外へ出た。薄暗い住宅街を抜けてカラオケ店へ。6時から早朝割引があるので6時13分に入店して11時過ぎまで5時間歌った。
最初に深く考えずふと思いついた、さだまさし「セロ弾きのゴーシュ」を歌った。すると、なつかしい気持ちがあふれてきたので、続けてさだまさしばかり選曲した。
歌ったのは、ほとんどが70年代の楽曲。アルバムでいうと『帰去来』『風見鶏』『夢供養』『印象派』まで。グレープ時代の歌も歌った。
この頃の歌はほとんど歌詞を見ないで歌える。小学五年生から中学一年生頃まで繰り返し聴いていたから。ギターで弾き語りも練習した。
カラオケは私にとってただのストレス発散ではなく、グリーフワークでもある。とりわけ、さだまさしを歌うことは追悼の表現であり、供養でもある。歌っているあいだ、ときおり、姉と一緒にラジカセで聴いていた12歳の頃に戻ったような気持ちになった。
さだまさしの歌に出てくる「君」「あなた」は、私にとってはすべて同じ人物を指す。あの夜に聴いた「雲にらくがき」を歌っていたら、不覚にも泣いてしまった。
3時間以上、歌いたいと思う歌はすべて歌った。最後は「長崎小夜曲」で〆た。生ビールと焼きそばで休憩をしてからさらに2時間歌った。
店を出ると、入店したときには静かだった商店街はすっかりにぎやかな休日の姿に変わっていた。調べものがあったので、大きな図書館に寄り道してから帰宅した。
さくいん:さだまさし、グリーフ(悲嘆)
携帯電話は楽天と契約している。月のデータ使用量が3GB以下なら880円。
在宅勤務で平日は家にいる。外へ出るのは週末だけ。外ではスマホは触らないようにしている。Twitter(現X)も見ない。データを使わないので音楽は聴く。それでも月末には使用量は3GB近くになる。
そこで思い切って設定でモバイルデータ通信をオフにしてみた。これは効果大。バックグラウンドで勝手にデータを消費することもないし、ダラダラとTwitterを見ることもない。
コード決済や時刻表検索のときだけデータ通信をオンにする。
これで無駄遣いも減らせるし、依存症の予防にもなる。財布にも心にもいい。
株投資がうまく行っていない。損はしていない。でも、たいして儲かってもいない。
大きく利益を出すチャンスが何度もあったのに、そのたびに逃している。
原因は、見通しの甘さと握力の弱さ。株価が乱高下すると不安になり、手放してしまう。そのあとで大きな波が来る。悔やんでもあとの祭り。そういうことが何度も起きている。
損失はもちろんつらいけど、儲けを逃すこともとても悔しい。
来年の旅行費用を捻出するつもりだった。このままでは旅行には行けないかもしれない。
損はしていない。現金はまだ手元にある。チャンスは何度でも来る。
何度も自分に言い聞かせている。でも、掛け声だけではいい取引はできない。
株投資を始めた頃から見れば、進歩しているところもある。高嶺掴みはしなくなったし、狼狽売りもしなくなった。AIの助けで成長性のある優良銘柄を選べるようにもなった。
あとは利益を伸ばすこと。ここを改善すれば、次は上手く取引できるかもしれない。
お金のことで悩むのはほんとうに苦しいし、情けない。でも、非正規雇用で薄給だから、資産は自分で増やさなければならない。絶望せず、退場せず、継続あるのみ。
輸血歴がある人でも献血ができるようになるという記事を読んだ。
輸血歴があるので、これまで献血ができなかった。輸血したのは出生時。母の血液型がRH-だったので拒否反応があるかもしれないので、生まれてすぐに血液交換をした。そのせいで49日も入院した。入院したのはこれが最初で最後。
そういう人はめずらしいらしい。健康診断で採血するときによく看護師に驚かれる。
実際のところ、血液交換をしなかったらどんな病気や障害の恐れがあるのか、調べてみたけど、私には理解できなかった。最近では事前の予防策があるで交換輸血が必要ないケースは減っているということだけはわかった。
母がなぜRH-なのかはわからない。希少な血液型なので、病院に登録されていて若い頃には緊急で呼び出されたこともあった。
献血ができるのは69歳まで。献血が可能になったら、できるかぎり献血をしたい。私にもできる数少ない社会貢献だから。
どんなに立派なことを言っても、どんなに素晴らしい人格でも、テレビに頻繁に出演する研究者を私は認めない。学者の本職は研究と教育にあると思っているから。
大学院に通っていたときのこと。担当教官はメディアに引っ張りだこの有名人だった。研究室をノックしてもいつも留守。帰宅してテレビを見るとコメンテーターとして出演している。高いお金を払っているのに悪質な詐欺にあったような気がしていた。
大学院へは自分のお金と妻から借りたお金で入学した。だからなおさら、メディアを教育に優先させるような教員に憤りさえ感じた。
その教授は、私が修士一年目の夏にサバティカルに入った。しかし、海外へ行くわけでもなく、ダラダラとテレビに出続けた。それから、教授は大学での一番有名で人気のある教授だったにもかかわらず、突然、他大に転出した。
研究らしい研究もしていなかった。社会時評のような新書を書いただけで、単著も論文も見かけなかった。
そのあと移った大学も辞めてしまったらしい。どこで、何をしているのか。もうメディアも取り上げなくなったのでわからない。
テレビは学者を育てない。人気が落ちれば、使い捨てにするだけ。視聴者には何の痛みもない。不幸なのは教育を受ける機会を失う学生たち。