先日、部屋を片付けていたら、9年前に通っていた就労移行支援事業所の課題で書いたストレス・コーピングのリストが出てきた。読み返すと、10年近く経ったいまもほとんど変わらない。そこでまず、9年前に書いたことを転記してみる。
- 早く寝て、よく眠る
- 自分がどれだけ恵まれた人生を歩んできたか、数え出す
- 自分がどれだけ運がいいか、数え出す
- 文章を書く、自分が書いた文章を読み返し、推敲する
- 海を見る(汐風療法)
- 江ノ電に乗る、鎌倉高校前駅から江ノ島を眺める
- 図書館へ行く、図鑑や画集、写真集を眺める
- 美術館や博物館へ行く
- 酒を呑む(ビール、マティーニ、ジン、純米酒、シングルモルト)
- 府中市美術館で牛島憲之の作品を見る、らいおんらーめんを食べる
- Earl KlughとKenny Gの好きな曲を聴く
- 餃子を作る
- カレーを作る
- 三鷹の跨線橋に立つ
- YouTubeでスポーツの名場面を見る(具志堅用高のKOシーンや柔道の一本など)
- コーヒーを淹れてファミマの「たっぷりクリームデニッシュ」を食べる
- 週末に妻と出かける、外食をする
- 昔、住んでいた団地まで歩いて、子どもたちが幼かった頃を思い出す
- ライブハウス、ケネディハウス銀座へ行く
- 息子のバスケットボールの試合を応援する
ここまでが10年前に書いたこと。いまではもうできないこともある。三鷹の跨線橋は解体されるのでもう行かれない。今年に入ってからライブハウスには行っていない。息子はとうの昔に高校を卒業していてスポーツ観戦することもない。餃子やカレーも、二人暮らしになってからは作る機会は格段に減った。
10年を経て、いまのストレス・コーピングは、上のリストに加えて以下の通り。
- 神代植物公園へ行き、森林浴をする、そのあと、深大寺そばを食べる
- ぬり絵やなぞり描きをする
- まだ行っていないハンバーガー店を開拓する
- 夜、教会の説教を聞きながら目を閉じる
書き出してみてわかること。
リストに「人に会う」がない。一人ですることばかり。コミュニティに所属していないし、仲間と呼べる人たちもいない。それでも寂しいとは思わない。いまは一人でいることで充足している。
映画やドラマを観たりすることが入っていない。読書はしても、図鑑やエッセイは読んでも小説は読まない。うつ病やグリーフケアについての専門書を読むことも多く、読書とは小説を読むこととするならば、ストレス・コーピングとは言いがたい。図鑑を眺めることも読書と言うのなら、趣味は読書と言える。
リラックスすることばかりで生産的な活動や学び直しは何もない。以前は、語学の勉強やギターを弾くことが楽しいときもあったのに、最近ではまったくしていない。これは問題。
新しい行動がほとんど追加されていないことも気になる。最近の低空安定飛行ぶりがよくわかる。
低空安定と書いたように、深く落ち込むことが多かった10年前と比べると気持ちはずっと安定している。でも、ポジティブやアクティブという言葉からは程遠い。
まとめると、リストにしたストレス・コーピングのおかげもあり、精神状態は安定しているものの、より人生を楽しむ、いわゆるQOLを向上する活動まではできていない。
言葉を換えると、大きく落ち込みそうになることは何とか防止できているけど、マイナスをゼロに戻すだけに留まっている。プラスまで持っていくことができていない。うつ病の症状がまだ継続しているのかもしれない。
一言で言えば、生きがいがない。もっとも、生死の境を彷徨っていた10年前から見れば、ずいぶんこんな悩みを持てるのは幸せなことかもしれない。
まずは生きているありがたみをかみしめることから。
さくいん:孤独、江ノ電・江ノ島、ケネディハウス銀座、府中市美術館、具志堅用高、神代植物公園、牛島憲之、餃子、マティーニ、エッセイ、アール・クルー、ケニー・G、うつ病